モーリス・ベジャール バレエ団と東京バレエ団が共同して
ベートーヴェンの「第九」を上演する。
スイス、ローザンヌでの練習風景に始まり、
9ケ月後の本番に向けて様々なアクシデントを乗り越えてゆくドキュメンタリーである。
「第九」と言えば、日本人にとっても現在、
心の故郷のように身体の奥底に生き続けて、命の源になっている。
そしてモーリス・ベジャールはストラビンスキーの「春の祭典」と
ジョルジュ・ドンの「ボレロ」で伝説になった。
人間の生命力というより、神が賦与したとしか思えない、
摩訶不思議な「間」と動きに、
次元の境界でジョルジュ・ドンと観客も一緒に漂っている感じがした。
photo webより
時代を象徴する「第九」も「春の祭典」「ボレロ」とのコラボレーションは
映画などのバック音楽ならいざ知らず、
音楽とはまったく異なる表現を肉体パーフォーマンスで演ずる。
「第九」の素晴らしさを超えた新次元を見せる。うまくいかなくても、
「第九」を汚さないなどなど。天才と言われる別次元の創造物に対抗するには、それ相応の天才が必要なのだ。
バレエ団80名、指揮者のズービン・メータとオーケストラを含む総勢350名の陣容をマネジメントするのはベートーベンのように、個人とは異なる才能が必須だ。今の時代の才能の生かし方を見たような気もする。
どうしても目的に向かわなくてはならない合目的性がなくては達成できない。つまり、周囲の賛同と経済的裏付け、ビジネスの敏腕社長のカリスマ、教祖の要素も欠かせない。
第四楽章の圧倒する歓喜の歌と舞台を埋め尽くすダンサーのせめぎあいは新しい人類の表現の扉を開いた。
