ロサンゼルス、パシフィック・デザイン・センター(PDC)(1972年)には
度肝を抜かれた。見た当時、ポップアートのポスターかと思える
鮮やかな色の純粋無垢の巨大立体物は、この世の物とは思えなかった。
ありえない存在に打ち震えた。
建築と言えば古代から石やレンガ、それが近代になれば鉄とガラスが主流になったが、
基本は素材による造形である。
センターグリーンは1888年増築棟
センターブルーは1972年
真赤な2013年の増築ビル:センターレッド(webより)
PDCは建築の革命であったし、建築の概念を変えた。
素材感はどこにもなく、色の立体、それも巨大なブロックで建築の伝統的表現はどこにもな い。
アメリカ文明とロサンゼルスという気候そして何よりシーザー・ペリーが
一生に一度だけ、神から与えられた天才を遺憾なく、
若さに任せて成し得たアメリカ文化を象徴する記念碑となった。
あたかもカメレオンのように、余りにもドラマティックに豹変するのは建築家の性であろうか、
クライアントの様々な要求、予算や環境や歴史があるにしろ、
PDC以後のペリの仕事が普通の売れっ子建築家になってしまったのは何故だろうか。
その答えの一つが、1992年のニュ-ヨーク、ワールドセンター脇の
メルリリンチなどが入ったワールドフィナンシャルセンターの設計だったのではないか。
かつてPDCで見せた全ゆるしがらみを創造性で吹き飛ばした表現とは正反対、
古代ローマ帝国の亡霊に振り回されてきた
帝国主義建築の虜の姿と顔を世界中にお披露目したものだ。
バッテリーパークシティの付け根、ウィンターガーデンのアトリウムから、
その後ろには、かつてのWTCそして、
そのバックには世界経済の中心ウォールストリートへと軸線が突き抜ける。
ペリは金と権力の象徴に変身した。
ペリは日本でも数多く設計しているが、キャピタリズム建築の総帥として、
文化施設もPDCで見せたような感性の片鱗も残念ながら見られない。


