映画「第9地区」 | 私の好きなアートと建築

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50年に亘り、世界中の野外彫刻と建築を見てきています。その中から、わたくしの好きな「作品」を紹介していきたいと思っています

          映画を見ながら思った。

地球上に人類が生まれた弱肉強食の時代、

人類は他の動物に比べ余りの非力に、

いつ食われてしまうのかと怯えた種族だったろう。

食物連鎖の末端に近い存在だったに違いない。

 

         パスカルの言葉によれば、人間は「考える葦」というわけで、

他の動物にはない桁違いの脳力を持っていたからこそ、

その時代の恐怖心を脳に刻み、生き残ってゆく上の規範というよりDNAとして、

人間の本質になっているのではないか。

食うか食われるか。敵か味方か、種族が同じか異なるか。

人類は徒党を組んで生きるしかなかったが、

数と規模が大きくなればなる程、猜疑心は幾何級数的に増大する。

 

        映画「第9地区」はアパルトヘイトで名高い南アフリカ共和国にやってきた

エイリアンに対する南ア政府の対応がストーリーである。

ヨハネスブルグ上空に巨大UFOが何年も滞留する。

接近を試みエイリアンに遭遇するも、

人類が想像もできないレベルの科学技術を持つエイリアンだが

「エビ」のような顔を持つから話しは複雑なのだ。

 

         地球人が尊敬するにはそれに値しない

下等生物という「ルックス」が問題なのだ。

 

         地球上でのエビは魚などが食い残したカスや砂や泥を漁る。

彼らもそうだ。そして、姿、形で峻別する人間のDNAは

分類の範囲を越えたルックスのエイリアンを

「ソウェト」と呼ばれるスラムに押し込める。

あらゆる意味で、人類の常識とは異なる事態ではあるが、

コミュニケーションを図る者いれば、白人至上主義で利用する道を探る者もいる。

行政府は最終的にはエイリアンのいない、異質なものの存在しない世界を目指す。

 

          20世紀後半、人類は理念として、グローバル世界を目指したが、

21世紀になるに従い、反対に民族意識、歴史や文化の差異を際立たせる方向が

現実的主流となった。

そして、人類は「非力のDNA」を知性と上面の笑顔による友好関係を装いながら、

どんな相手にでも、自分らがコントロールできない程の

徹底的にダメージを与える力を隠すようになる。

 

          そして映画を見た感想としては、

人類の築いてきた思想、概念などは、共同幻想の輪を広げた「蛸壺」の中で、

右往左往しているだけなのかもしれないとも思った。

自分で考えられない群集心理を増幅させる役割の人は

担うことに喜びを見出すことで、共同体のメンバーに為れるかもしれない。

 

しかし、共存するDNAを模索することをしない人間を諦め、

ヨハネスブルグからはエイリアンのUFOは去る。

つまり、地球人は宇宙の中で孤立するしかない。

そして、地球には誰もいなくなる。