映画を見ながら思った。
地球上に人類が生まれた弱肉強食の時代、
人類は他の動物に比べ余りの非力に、
いつ食われてしまうのかと怯えた種族だったろう。
食物連鎖の末端に近い存在だったに違いない。
パスカルの言葉によれば、人間は「考える葦」というわけで、
他の動物にはない桁違いの脳力を持っていたからこそ、
その時代の恐怖心を脳に刻み、生き残ってゆく上の規範というよりDNAとして、
人間の本質になっているのではないか。
食うか食われるか。敵か味方か、種族が同じか異なるか。
人類は徒党を組んで生きるしかなかったが、
数と規模が大きくなればなる程、猜疑心は幾何級数的に増大する。
映画「第9地区」はアパルトヘイトで名高い南アフリカ共和国にやってきた
エイリアンに対する南ア政府の対応がストーリーである。
ヨハネスブルグ上空に巨大UFOが何年も滞留する。
接近を試みエイリアンに遭遇するも、
人類が想像もできないレベルの科学技術を持つエイリアンだが
「エビ」のような顔を持つから話しは複雑なのだ。
地球人が尊敬するにはそれに値しない
下等生物という「ルックス」が問題なのだ。
地球上でのエビは魚などが食い残したカスや砂や泥を漁る。
彼らもそうだ。そして、姿、形で峻別する人間のDNAは
分類の範囲を越えたルックスのエイリアンを
「ソウェト」と呼ばれるスラムに押し込める。
あらゆる意味で、人類の常識とは異なる事態ではあるが、
コミュニケーションを図る者もいれば、白人至上主義で利用する道を探る者もいる。
行政府は最終的にはエイリアンのいない、異質なものの存在しない世界を目指す。
20世紀後半、人類は理念として、グローバル世界を目指したが、
21世紀になるに従い、反対に民族意識、歴史や文化の差異を際立たせる方向が
現実的主流となった。
そして、人類は「非力のDNA」を知性と上面の笑顔による友好関係を装いながら、
どんな相手にでも、自分らがコントロールできない程の
徹底的にダメージを与える力を隠すようになる。
そして映画を見た感想としては、
人類の築いてきた思想、概念などは、共同幻想の輪を広げた「蛸壺」の中で、
右往左往しているだけなのかもしれないとも思った。
自分で考えられない群集心理を増幅させる役割の人は
担うことに喜びを見出すことで、共同体のメンバーに為れるかもしれない。
しかし、共存するDNAを模索することをしない人間を諦め、
ヨハネスブルグからはエイリアンのUFOは去る。
つまり、地球人は宇宙の中で孤立するしかない。
そして、地球には誰もいなくなる。


