1970年、ニューヨークに行って、
まず、連邦プラザ前のリチャード・セラの「アーク」に腰を抜かし、
秋の紅葉が始まった頃、建築家のジョン・アレンに連れて行ってもらった
近郊のストームキング アートセンターでは話には聞いていたが、
予想していた作品のスケール、パワー、環境どれをとっても形容を超えていた。
全盛期のアメリカのパワーが
彫刻や造形物に賛歌が爆発するがごとく溢れていた。
60年代、世界を圧倒したアメリカの彫刻家の作品群は国力をバックに
ヨーロッパのアルプやブランクーシーらが築いた抽象彫刻史から
デービッド・スミスらが引き継いだ空間のリズムを軸に
明るいコンポジションで一気に飛躍を見せた。
マーク・ディ・スベロ、スネルソン、
アレクサンダー・リバーマンらの作品群を見ていると、
我々と別次元、別世界と分かっていても、
自分にできる限界を考えなくてよいのだと勇気を奮い立たせてくれた。
マーク・ディ・スベロ
かつてのヨーロッパが築いた造形の美しさやリズム、
素材や色などの美学といったものは、ここではすでに過去のかなたになり、
言ってみれば人工環境の整合性の中での、
室内芸術から野外で自然に対峙できる構成力や物量、
特に、自然界が持つ生きるための目的、生命力がテーマとなっている。
それは地球人として成立した人類が、
他の動物や植物の中で、創造性を武器に辛うじて生命を維持してきた原点を、
広大な丘陵地で確認し、表現しようとしている。
彫刻家それぞれが限界を超えて、全てを曝け出し、
人類についての永遠の時間を使ってシンポジウムを続けているように見える。
