「ひとりの市職員の逝去について」この通告書を提出して3日が経ちますが、多くの方から連絡を頂いています。
内容については、9月17日10時の一般質問をご覧頂きたいのですが、ここでは過去の思い出をひとつお話させてください。
私が高校3年生の秋ごろだったでしょうか。ひとりの仲間がお昼休みにクラスに入って来て・・・「豊田、悪いけど先に帰るわ」と伝えに来ました。
その時は「どうしたんや」くらいのことを返したのかもしれませんが、ひとりの仲間から言われた言葉や表情は記憶していても、自分自身のことは何も覚えていません。
そして、学校後に帰宅してすぐに家の電話がなりました。私は、その電話でひとりの仲間が亡くなったことを知りました。
慌てて自転車に乗って仲間の自宅へ向かうと・・・、ひとりの仲間は布団に寝かされていたんだと思いますが、その時の記憶も曖昧です。
あの日から30年以上経って曖昧な部分はありますが、あの日のこと、ひとりの仲間のことを忘れたことはありません。
その時、ひとりの仲間の自宅に呼ばれた数人の仲間と会うことがありますが、今でも、ひとりの仲間が「何で亡くなったんや」という話になります。
高校卒業後の進路も推薦で県外の大学へ行くことが決まっていたんだと思いますが、何でだったのでしょうか。
私は「自分が悪かったんじゃないか」と今でも考えることがあります。また、仲間の内のひとりは「あいつが亡くなったのに、自分が幸せになってはいけない」と思い込んでいて、未だに結婚することを拒んでいます。
今回「ひとりの市職員の逝去について」という一般質問を行うことで、いろいろなところに影響を与えてしまうことを理解しています。
もちろん、ご遺族とは何度もお話をさせて頂き一般質問に臨むのですが、それでも、ご遺族にご迷惑をおかけしないかという心配もあります。
それでも、私は敦賀市議会議員として、今回のことから逃げたらあかんという気持ちが強く、今回一般質問させて頂くことになりました。
何度目になるかは分かりませんが、本日逝去された市職員に手を合わせに行く約束をご遺族としました。そして、ご遺族がお許しくださるのなら、一般質問の前にも手を合わさせて頂きたいと思っています。