豊田耕一blog「田舎での子育て」

豊田耕一blog「田舎での子育て」

次の世代にツケを回さない!ために、
4人の息子の父親として、市議会議員として、
敦賀の子どもたちのために日々奮闘しています。

午前中から市役所の環境政策課へ行き何点か要望や確認作業をさせて頂き、午後からも引き続きごみ袋の件等について調査をさせて頂いています。

 

まず、市民の方から「資源ごみ指定袋に令和3年度から別分別となったスプレー缶に関する注意書きがあることの疑問」について調査しています。

 

敦賀市のご家庭から出たスプレー缶(カセットボンベ、ライター、着火器等も含む)は、指定したコンテナ内に入れて回収していますが、スプレー缶に穴開けしても資源ごみの袋に入れないようお願いしています。

 

敦賀市では、資源ごみ指定袋の製造はクリーンツルガ協同組合さんと株式会社ミヤゲンさんの2社へお願いしています。

 

上の写真の「資源ごみ指定袋」には書いていない「スプレー缶は穴をあけて下さい。」という文章とイラストが、下の「資源ごみ指定袋」には書いてあります。(赤および青色の線は市民の方が引かれたものです。)

 

今回、市民の方は2社が製造した45リットル、および25リットルの「資源ごみ指定袋」それぞれ10枚入りの製品4種類の現物も同封してくれています。

 

繰り返しになりますが、敦賀市はスプレー缶に穴開けしても資源ごみの袋に入れないようお願いしているのに「スプレー缶は穴をあけて下さい。」と「資源ごみ指定袋」に書かれていることについて、市の担当課へ行き現状と課題の共有を行いました。

 

市の担当課もこのことは把握していましたが、その場で改めて清掃センター等への確認作業等を行っています。

 

今後は改善されるとは思いますが、特に出荷量が少ない25リットルの「資源ごみ指定袋」については、在庫が無くなるまで少し時間が掛かる可能性があるとのことでした。

 

また「もやせるごみ袋の厚口タイプ(地域活動や家庭での伐採草木収納用などに耐久性がある)作成の検討」についても依頼を受けましたので、こちらは担当課へ要望というかたちで伝えました。

 

頂きました内容については、セイタカアワダチソウ等の茎が太い雑草や笹などの伐採草木処理の場合に、現在の「もやせるごみ指定袋(厚さ0.03ミリ)」に収納する際、茎や枝により袋に穴が開いたり、破けてしまう場合が多く見かけるとのことでした。

 

上記の件については、私も自宅前にある木を伐採して袋に入れる際に同じような経験をしていますので、お気持ちはよく分かります。

 

担当課から「敦賀市指定ごみ袋の規格等に関する要綱」をコピーして頂きましたので、その中にある「指定ごみ袋の規格」を以下貼り付けさせて頂きます。

こちらの件については規格等もあり時間は掛かりますが、新清掃センターが稼働するタイミング(令和9年3月1日)も見ながら、調査を続けていきます。

 

今回頂いたご要望の中に「市民が読む読まない、見る見ないに関わらず、市のHPや広報つるがと行政チャンネル、および敦賀FMにおいて説明責任を・・・という点についても伝えています。

 

担当課の職員も「こんなに意識の高い市民の方がおられるんですね」と感心して、全ての件について前向きに取り組んでくれました。

 

最後に、現在の敦賀駅のごみの現状と課題についても、担当課としっかり意見交換をさせて頂いたことを申し添えておきます。

今朝グループホームの朝食作り後の片付けをしていると、入居者の方が「最近スポーツジムに通い出したんです!」と言ってこられました。

 

私は「いいことですよ。ただ頑張り過ぎると続かないから、ぼちぼちが一番ですよ!」と伝えたところ・・・。

 

「そうなんです!同じことをスポーツジムの人からも言われました。週に1、2度だけで十分ですと言ってました!」とのお答えが返ってきました。

 

そんな会話を交わしながら8時30分にグループホームを出て、今日はテニスコートへ寄ってから市役所へ向かおうと思ったのですが・・・。

 

そう言えば、今週は月曜日もテニスをしていたことを思い出し、気温も高いので無理をせず今日はボクシングジムへ行くことにしました。

 

ボクシングジムには先客がいたので少しだけ話をして、1時間ほどの練習では無理をしないことを意識していました。

 

私は、日々の活動等をSNSで発信していますが、その投稿を見てくださった方々から「少し無理し過ぎじゃないですか?」といったコメントを頂くことがあります。

 

私のことを心配してくださる方々へ心より感謝申し上げます。ただ、今回のことのように、実はそんなに無理をしていませんのでご安心ください。

 

本日も気持ちの良い汗を流すことが出来ましたので、すっきりした心地よい疲労で9時30分過ぎに市役所へやってきました。

 

おかげ様で本日も集中して夕方までしっかり仕事をさせて頂き、夕方からは支援者の方との意見交換会、そのまま夜勤へ突入という1日になります。

昨日はグループホームの朝食作り後に電車に飛び乗り、交通犯罪「被害者遺族たちの声」の講演とパネルディスカッションを拝聴するため京都先端科学大学へ向かいました。

 

ご記憶の方も多いと思いますが、昨日は京都府亀岡市で無免許運転の車が小学生の列に突っ込み、10人が死傷した事件から12年目の日です。

 

昨日の午前8時前から遺族が参列して法要が営まれ、私は法要には間に合いませんでしたが、東京・池袋で高齢ドライバーの車が暴走した事故で奥さんと娘さんを亡くされた方も現場を訪れられたと聞きました。

 

今回の第1部では、東京・池袋での事件の被害者遺族である方のご講演があり、第2部ではその方に加え亀岡市の事件の被害者遺族の方々も加わり、パネルディスカッションが行われました。

 

パネラーを務められた方で、約1か月後に発足する「つるが交通遺族の会」で共に活動する方でもある亀岡市の被害者遺族の方からお誘いを受け、私は今回参加させて頂くことになりましたが・・・。

 

その方をはじめ亀岡市の事件の遺族の方々が、昨日会場に着いた時には、お忙しいなか温かく出迎えてくれました。

 

そして、パネルディスカッション後は、取材を受けていたその方々に気付かれないようひっそりと帰ろうと思っていましたが、「豊田さん帰っちゃうんですか!寂しいな!!」など皆さんから温かいお言葉を頂くことになりました。

 

「つるが交通遺族の会」もそうですが、今月施行された「敦賀市犯罪被害者等支援条例」等についても、私はあくまで裏方で頑張りたいと思っています。

 

そんな中でも常に当事者意識を持って、被害者の方々に寄り添った活動を心掛けたいとも思っています。そのようなお話を先ほどさせて頂きましたのでよろしければご覧ください。

 

次男の話ばかりで申し訳ないのですが、上の写真が次男が寮生活を行っている仮設住宅です。

 

次男からは、チームメイトの中には、頑張る仲間がたくさんいると聞いています。


次男は、そんな環境が大切だと中学生の時から考えていて、今の日本航空高校石川サッカー部を選びました。

 

では、私たち地方議員はどのように頑張る環境を作っていくのか、自分なりの思いを話させて頂いたところ、以下のようなコメントを頂きました。

 

さぼりが前提の地方議員ですよ。私の町ではサボり常識。「議員活動で議員に利益が無ければ市民の為でも仕事はやらない。」と堂々と私の町の市議会議員は言っています。

 

この議会は何処なのかは分かりませんが、私は以下のように返信させて頂きました。

 

「利益が無ければ仕事をしない」ということを、議員が堂々と言っていることに驚きを禁じ得ません。ただ、お金に困っている人だと、そのようなに発言してしまうのでしょうか・・・。今回も少しお話させて頂いていますが、私は時間およびお金にゆとりを持って仕事をしたいと思っていますので、しっかり収入を得て議員活動を続けることも重要視しています。

 

「地方議員をサボらないために!」よろしければご覧ください。

 

昨日は、いつものように8時30分にグループホームの朝食作りを終え、帰宅後すぐに荷物を積み込んで東京都青梅市へ向かいました。

 

青梅市で約4ヶ月ぶりに会うチームメイトをはじめ、新1年生も加わり総勢約100名の日本航空高校石川サッカー部がやっと集結することが出来るようです。

 

それは、日本航空高校石川での学校および寮生活、そしてサッカー部の活動を行う拠店が青梅市に決まったからですが、その件については、キャンパスを無償供与してくださる学校法人明星学苑のプレスリリースで分かりやすくご説明頂いていますので、以下引用させて頂きます。

 

学校法人明星学苑(東京都日野市、理事長:吉田 元一)は、学校法人日本航空学園(山梨県甲斐市、理事長:梅澤 重雄)に対し本学苑が所有する青梅校(東京都青梅市、以下「青梅校」)を無償供与することについて、1月29日に合意しました。
 日本航空学園では、日本航空高等学校石川や日本航空大学校石川(いずれも石川県輪島市、能登空港キャンパス)を設置しており、1月に発生した令和6年能登半島地震で被災し、校内の被害も大きく、校舎・寮等の上下水道の復旧の見通しが立っていない状況です。また、能登空港キャンパスは奥能登地域の復旧・復興における拠点にもなっています。
 このことから日本航空学園から本学苑に対して要請があり、同校の教育活動の継続を支援することを目的に、青梅校の土地・建物を緊急避難先として供与することとなりました。

 

学校法人明星学苑
 1923年に明星実務学校として創立。東京都多摩地域に幼稚園から大学院までを有した総合学苑。幼稚園から高等学校まで東京都府中市、大学・大学院は東京都日野市に所在。
 青梅校は明星大学青梅校として1992年に開設、2015年に大学の教育研究活動の機能を日野校に移転。その後、学苑全体の教育研究・課外活動及び地域貢献の場として活用。

 

引用は終わります。昨日は9時頃に自宅を出発して、途中に八ヶ岳パーキングエリアで次男と二人で天ぷらうどんを食べて、14時30分に青梅校に到着しました。

 

そこから、衣装ケースやスーツケース、新しい布団セットやマットを部屋まで運び、三段ボックスの組み立て等を行い、15時過ぎに青梅校を出発しました。

 

青梅校を出発してから敦賀までの約450キロを止まることなく走り続けましたが、15年近く前に初めて保育園へ次男を送り届けた寂しい帰り道を思い出しました。