本日は、いつものように障がいのある方々の朝食づくりをして、ぼちぼち仕事をしながら、帰りにサッカー練習を終えた四男を迎えに行き、夕方に地元の夏祭りに出席させていただく流れになります。
そんな中グループホームの休憩時間にスマホを見ていると…スレッズの「障がい児育児の過酷な現実。経験した人じゃないと分からない。せめて理解のある社会に。」という記事が目に留まりました。
この投稿者の方がおっしゃる通り、私は障がいのある子の育児を経験したことはありませんので、その過酷さを理解できていないのと思います。
ただ「せめて理解のある社会に。」との願いを叶えられるよう、これからも自分なりに頑張らせていただく所存です。
私は高校を卒業して直ぐに、仲間と一緒に大阪府枚方市にある徳風会で障がいのある方々への支援ボランティアで始めました。
ボランティアをしている中で、保護者の方々から進められて、枚方市や門真市でガイドヘルパー(移動支援従事者)としても活動していました。
仕事が休みの日は、必ずと言っていいほど障がいのある方々と共に電車に乗って出かけていましたが、特定の電車しか乗られないこだわりのある方、電車の中で大声を出す方…、いろいろな方がおられました。
障がいのある方と過ごす電車内では、周りの乗客から冷たい視線を浴びせられたり、怪訝な顔をされることも頻繁にありました。
一方で周りの方々に救われた経験も何度かあり、今でも障がいのある方々を支援する活動の支えになっています。
以前にもブログに書かせていただきましたが、約30年前にこだわりが強く特に外出が難しい彼を、周りの反対を押し切って枚方市から京都市の太秦映画村まで連れて行った時に経験したことは今でも忘れられません。
電車内は少し暴れることもありましたが何とか太秦駅に降りた途端、我慢の限界だったのでしょう…暴れ出して、私たちの様子を見ながら歩いていたご婦人に、彼が投げた靴が当たってしまいました。
被害に遭われた方に直ぐに謝らないといけないのに、彼を一人にはできない…と必死で彼が暴れるのを受け止めていると、そのご婦人が投げた靴を持って私の方に近づいてきました。
そして、私の目の前に立って…「私にも同じような息子がいます。頑張ってください。」と言って靴を返してくれました。
その際に、ご婦人は涙を流されていましたので、私も自然に涙が出てきた記憶がありますが、靴を返してもらったこと以後のことは、あまり思い出すことはできません。
でも、電車内等で冷たい視線を浴びせられる一方で、同じように何度も「頑張ってください。」と声をかけてくださる方とお話したことは思い出せます。
その時の彼のお母様とは、30年経った今でも年賀状のやり取りをしていて、彼の近況を知ることができていますし、他にも高校生の頃から共に過ごした障がいのある方々から連絡をいただくことがあります。
あの時の経験が私を強くしてくれたことに感謝しています。また「世の中は捨てたもんじゃない。」と教えられたのも、30年前から何度も経験した皆さんからの温かい眼差しでした。








