一昨日の4月27日は、姉のお義母さんの8回目の月命日でしたので、私は夜勤後に敦賀駅から電車に乗って枚方柴峰霊苑を訪れ、お墓にお酒をお供えしてお参りをさせて頂きました。
その後、姉のお義父さんのお宅にお邪魔して、姉夫婦と母も一緒に、焼肉と敦賀からお送りした甘エビとヤリイカを刺身で頂きました。
5人での食事中の会話では、姉夫婦の小学校時代の話や、姉の旦那さんの大学時代の話で盛り上がりましたが、姉の旦那さんは、私の小学生時代の先輩でもあります。
姉の旦那さんの話が終わったところで、母から「学年で進学せず就職した男子2人のうち1人の子は家庭の事情で就職したけど、もう1人のあんたは何でわざわざ牧野高校へ行ったん?」といつものように、笑いながら私のことを話し出しました。
ちなみに「牧野高校偏差値」でネット検索すると、偏差値が63で、そんなに進学校というわけではありませんが、私が高校3年生の時に進学を選択しなかった男子は、母の言う通り私を含め2人だけでした。
当時は、枚方方式とも言われるほど地元集中の指導が徹底された時代でしたが、私は地元ではない大阪府立牧野高校を受験して、とても充実した3年間を過ごさせて頂きました。
話は戻りますが、「何でわざわざ牧野高校へ行ったん?」と母に言われたことは何度もありますが、今まではずっとヘラヘラ笑ってやり過ごしてきました。
なのに一昨日は「本当は進学したかったけど、毎日お金のことで喧嘩している両親を見ていて、進学したいとは言えなかった。」と正直に言ってしまったのです。
姉は「ほんと毎日喧嘩してたな〜。耕一が進学してたらどうなってたやろか…」と会話を続けようとしてくれましたが…。
母と私は黙ってしまいました。私は当時進学したいという気持ちがあったのは事実ですが、かと言って今までの人生に一片の悔いもありません。
私は、あの時に進学せず働き続けたからこそ、親が抱えたお金の問題を解決することが出来たのに、何で最後まで母の言葉をヘラヘラ笑ってやり過ごせなかったのか…。
その晩も夜勤へ行くため、19時に近鉄電車の新田辺駅で母と別れましたが、母は私の言葉を気にしていないだろか…。本当に私はまだまだ未熟な人間だと反省しています。