アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】 -8ページ目

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

美術を、もっともっと身近なものに。もっともっと楽しいものに。もっともっと笑えるものに。

東京美術学校(現・東京藝術大学)を卒業後、

美術団体には一切属すことなく、名声を求めることもなく、
自分が納得できる作品を遺すことに生涯を捧げた画家、牧野邦夫(1925~1986)

生前も、その死後しばらくの間も、知る人ぞ知る存在でしたが、

2013年の練馬区立美術館での回顧展を機に、ブレイクを果たしました。

あの伝説の回顧展から10数年―

生誕100年を記念して現在、茅ヶ崎市美術館にて、

“生誕100年 昭和を生きた画家 牧野邦夫—その魂の召喚—が開催されています。

 

牧野邦夫 展覧会ポスター 茅ヶ崎市美術館
(注:展示室内の 写真撮影は、特別に許可を得ております。)
 
 
出展数は、約110点。
その大多数を占めるのが、個人コレクターの所蔵品です。

というのも、美術界から距離を置いていたため、

牧野の作品は美術館にはほとんど収蔵されていません。

ただ、画壇で発表はしないものの、個展はたびたび開催していたようで。

そのたびに、牧野の熱心な個人コレクターたちによって収集されていたようです。

 

ちなみに。

俳優の石坂浩二さんも、牧野コレクターの1人。

所蔵する牧野作品を快く貸し出してくれただけでなく、

本展のために、牧野とのエピソードも寄せてくれていました。

 

牧野邦夫「駅で遭った恋人達」

《アメリカ人形と静物画》 昭和52(1977)年 個人蔵

 

 

さて、牧野と言えば、自画像の画家。

その生涯において膨大な数の自画像を残しました。

当然、本展の冒頭を飾るのも、牧野の自画像です。

 

牧野邦夫の自画像:茅ヶ崎市美術館展示
《自画像》 昭和42(1967)年 個人蔵(練馬区立美術館寄託)

 

 

その後も、自画像に次ぐ自画像の展示が続きます。

 

牧野邦夫の自画像と静物画
牧野邦夫の絵画展、自画像中心に展示

 

 

40代になっても、50代になっても、

やはり牧野は自画像を描き続けました。

 

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《黒い布付けた自画像》 昭和50(1975)年 個人蔵

 

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《武装する自画像》 昭和61(1986)年 個人蔵(練馬区立美術館寄託)

 

 

たくさんの人が登場する絵の中にも、

どこかしらに牧野が描き込まれています。

 

牧野邦夫「俺の祭壇」絵画、茅ヶ崎市美術館
《人》 昭和58(1983)年 個人蔵

 

 

あまりにも自画像が続くので、自画像じゃない作品が登場すると・・・・・


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《ガスコンロと静物》 昭和45(1970)年 個人蔵

 

 

「自画像じゃないんかい!」とツッコんでしまいました(心の中で)。

ゴッホや佐伯祐三など、自画像を多く描いた画家はいなくはないですが。

彼らは自画像以外も、同じくらいに多く描いています。

そう考えると、牧野邦夫は人類史上もっとも自画像を描いた人物なのかもしれません。

 

なぜ、牧野はそれほどまでに自画像を描いたのでしょう。

その最大の理由は、レンブラントへの憧れです。

牧野は生涯、レンブラントを尊敬し続けました。

敬愛するがあまり、40歳の時には、半年ほどオランダに滞在しています。

その際に書かれた手紙には、こんな一文があるようです。

 

 しかし、レンブラントは抜群の力をもって在る。
 何のきっかけか、俺が少年の時、この人を最高の目標として
 選んだことに間違いのなかった事を、今、確かめることが出来る。
 そしてこの人のケッ作がこれ程集まってゐるアムステルダムへ来た事を喜んでゐる

 

自画像以外でも、レンブラントへのリスペクトが感じられる作品があります。

それが、こちらの1枚↓

 

牧野邦夫《俺の祭壇》絵画

《僕の祭壇》 昭和33(1958)年 個人蔵

 

 

その名も、《僕の祭壇》です。

牧野は生涯で何度も引越しをしたそうですが、

引越しすると、まず何よりも最初に設置したのが、

レンブラントの画集の上に彼の自画像を置いた祭壇だったそう。

牧野にとって、レンブラントはまさに“神”だったのですね。

 

そうそう、レンブラントの強い影響と言えば、

未完にして代表作の一つである《未完成の塔》も。

 

牧野邦夫《未完成の塔》レンブラント影響

《未完の塔》 未完成 個人蔵(練馬区立美術館寄託)

 

 

牧野は50歳の頃に、こんな目標を立てます。

 レンブラントのような絵を描けるようになるためには、
 63歳まで生きたレンブラントより30年長く生きなければならない!


そこで彼は、10年ごとに一層ずつ描き、
90歳になった時に、五重塔が完成する、そんな絵を描こうと思い立ちました。
しかし残念ながら、牧野は61歳で癌により亡くなります。
そう、それゆえ、この絵には50代と60代の2層分しか描かれていないのです。

 

 

さて、こちらは 《駅で遭った恋人達》という作品。

 

牧野邦夫《未完成の塔》 1968年

《駅で遭った恋人たち 昭和43(1968)年 個人蔵

 

 

まるで白昼夢のような光景ですが、その一部をよーく観てみると・・・・・

 

牧野邦夫「駅で遭った恋人達」の筆致

 

 

「ちがさき」とあります。

絵の舞台は、なんと茅ケ崎駅だったのですね!

実は、牧野邦夫は、茅ヶ崎市美術館のある茅ヶ崎市と深い関りがあります。

かつて茅ケ崎駅のすぐ近くには、マッコール洋裁学校がありました。

 

茅ヶ崎駅前。マッコール洋裁学校の脇。

《昭和50年頃の茅ケ崎駅南口タクシー乗場》 昭和50年代 茅ヶ崎市博物館蔵

 

 

その学校を運営していたのが、牧野邦夫の実の姉2人だったのです。

牧野は姉を手伝うため、茅ヶ崎に移り住み、

10年ほど学校の絵画講師や事務仕事をしながら、制作に励みました。

本展には、その頃の牧野に実際に絵の手ほどきを受けていたという、

茅ケ崎市在住の秋山庄子さんが大事に所蔵していた肖像画も出展されています。

新発見&初公開の作品です。

 

牧野邦夫「秋山庄子さんの肖像」
《秋山庄子さんの肖像》 昭和38(1963)年 個人蔵

 

 

茅ケ崎市はちょっと遠いなァ・・・。
と、躊躇している美術ファンの皆様、
この展覧会は茅ヶ崎市で観ることに意義があります。
是非、牧野ゆかりの茅ヶ崎市へ!

星星

 

 

ちなみに。

牧野の作品はどれもこれも濃密で強烈で、

印象に残る・・・いや、こびりつくものばかりなのですが。

結局のところ、一番印象に残っているのは、

意外にも牧野邦夫のポートレート写真でした。

 

牧野邦夫のポートレート写真

 

 

自画像のイメージから、常に表情が固く、

「笑わない男」とばかり思っていましたが。

実際の牧野はチャーミングだったのですね!

ギャップ萌えしました。

 

 

 

 

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