目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論 | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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今年の夏も、日本各地の美術館で、

オバケや妖怪をテーマにした展覧会が開催されています。

川崎市岡本太郎美術館もその一つ。

この夏、常設展示室で開催されているのは、

“目もあやなオバケ王国 岡本太郎のオバケ論”という展覧会です。

 

 

 

岡本太郎とオバケ・・・??

正直なところ、両者があまり結びつかなかったのですが、

改めて、「オバケ」という観点で、岡本太郎の絵を観てみると。

例えば、初期の代表作の一つである《夜》には・・・・・

 

 

 

画面の上に、顔半分の骸骨が描かれていました。

おわかりいただけただろうか・・・

 

また例えば、もう一つの初期の代表作《森の掟》には・・・・・

 

 

 

画面のど真ん中にガッツリとバケモノ(オバケ?)が描かれていました。

それ以外にも、オバケっぽいものが多数描かれています。

 

他の作品を観ても、オバケと言われれば、

オバケと思えるものがたくさん登場していました。

 

 

 

ちなみに。

岡本太郎は、妖怪ではなく、

オバケという言葉を好んでいたそうで、

ろくろ首やぬらりひょんも「オバケ」として話題にあげていたそう。

岡本太郎が制作した立体作品の中には、

その名もずばり、《カッパ》という作品もありました。

 

 

 

なお、この作品に添えられたキャプションによると、

岡本太郎は1982年に開催された「日本カッパ龍神祭り」で、最高顧問を務めたのだとか。

昭和のオバケ・妖怪ジャンルは、

水木しげるの一強かと思っていましたが、意外な伏兵現る。

岡本太郎もそれに負けないくらいのオバケクリエイター(?)でした。

 

 

さてさて、そんな岡本太郎が、

オバケに興味を持ち始めたのは、1950年代後半からとのこと。

オバケについての資料も数多く蒐集していたようです。

 

 

 

岡本太郎は日本のオバケについてこう考えていました。

オバケとは、身分制度による上下関係や、

戦争などで社会に抑圧された人間の心の表れである。

といっても、恨み言をいう幽霊のように、ネガティブな存在ではなく。

人間の身分に構わず、イタズラをしかけ、

笑い飛ばし、人間が親しめる愉快な役者の役割を果たすもの、

強いては、「日本人の誇り得るものの一つ」と捉えていたようです。

 

また、オバケと付き合っていく方法として、

「自分自身もバケモノとなり自身を見返すこと」と述べていたそう。

確かに、こんなべらぼうな絵ばかり描き続けていたら・・・・・

 

 

 

オバケのほうが、岡本太郎に対してビックリしていたことでしょう。

岡本太郎の絵画は、どんな呪符よりも効果がある気がしてきました。

心霊現象で悩んでいる方は、試してみてはいかがでしょうか。

一家に一岡本太郎。

星

 

 

ちなみに。

本展でもっとも印象的だったのは、

岡本太郎が唯一設計デザインした建造物で、
残念ながら2000年に取り壊されてしまったマミ会館の模型です。

 

 

 

この模型はこれまでも何度か目にしており、

そのたびに、“ヘンテコな建物だなぁ”とは思っていましたが、

「オバケ」という切り口で紹介されていたため、

今回改めて、その全体をマジマジと観ていたところ・・・・・

 

 

 

足のような部分を発見しました。

たぶん、こいつ…動くぞ!

 

 

 

 

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