フェルメール来日史! | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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現在、オランダのアムステルダム国立美術館にて、

史上最大のフェルメール展が開催され、話題となっています。

 

 

 

出展されているフェルメール作品は、なんと驚異の28点!

これだけのフェルメール作品が一堂に会するのは、

後にも先にも、今回のフェルメール展くらいなものでしょう。

なお、この展覧会は当然、世界的にも注目度が高く、

会期2日目にして、期間中のチケットがすべて売り切れてしまったのだとか。

あぁ、日本でも開催してくれれば・・・。

 

と、ここでふと一つの疑問が湧きました。

果たして、これまでに日本には、

どれくらいフェルメール作品がやってきていたのでしょうか?

そこで、4月からレギュラー化するフジテレビのあの番組にならって、

誰も調べていない「美術界におけるせま~い歴史」を調べてみました。

題して、『美術のバカせまい史』。

 

 

今回、僕が発表するバカせまい歴史は、こちらです。

 

 

 

日本に初めてフェルメール作品がやってきたのは、一体いつなのか?

今回調べた限りで最もさかのぼれたのは・・・・・

 

 

 

三億円事件があった1968年(昭和43年)でした。

その記念すべき来日第一号のフェルメール作品は、

マウリッツハイス美術館が所蔵する《ディアナとニンフたち》

 

 

 

現存するフェルメール作品の中で、唯一の神話画で、

かつ、もっとも若い時に描かれたものと考えられています。

偶然にも、フェルメールの来日第一号作品は、

フェルメール自身の第一号作品だったのですね。

 

なお、こちらのフェルメール作品が紹介されたのは、

国立西洋美術館の“レンブラントとオランダ絵画巨匠展”という展覧会。

展覧会名には、フェルメールという名前は入っていません。

主役はあくまでレンブラント。

この頃はまだ、フェルメールはその他大勢のうちの1人でしかなかったようです。

 

そんなフェルメールが脇役の時代は、しばらく続きます。

1968年以降の主な来日作品をまとめてみました。

 
       

・1974年 “ドレスデン国立美術館所蔵 ヨーロッパ絵画名作展”

       会場:国立西洋美術館、京都国立博物館

       来日作品:《窓辺で手紙を読む女》

 

1984年 “マウリッツハイス王立美術館展”

       会場:北海道立近代美術館、国立西洋美術館、愛知県美術館

       来日作品:《真珠の耳飾りの少女》《ディアナとニンフたち》

 

1987年 “西洋の美術 その空間表現の流れ展”

       会場:国立西洋美術館

       来日作品:《手紙を書く女》

 

1999年 “ワシントン・ナショナル・ギャラリー展”

       会場:京都市美術館、東京都美術館

       来日作品:《手紙を書く女》

 

さて、長いこと不遇の時代が続いていたフェルメールですが、

この年に、フェルメールは一気に大ブレイクすることとなります。

 

 

 

ブレイクのきっかけとなったのは、

大阪市立美術館での“フェルメールとその時代”。

日本初のフェルメール展です。

その際に来日したフェルメール作品は、

《真珠の耳飾りの少女》《地理学者》を含む5点(当時最多)でした。

 

さらに、この年には、国立西洋美術館と愛知県美術館で、

“レンブラント、フェルメールとその時代”が開催されています。

1968年ではレンブラントのバックダンサーのような扱いだった(?)フェルメールが、

2000年にはついに、展覧会名にレンブラントと名前が並ぶまでに飛躍を遂げたのでした。

 

さらに、その4年後の2004年には、東京都美術館と神戸市立博物館を巡回した、

“ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展”で、《絵画芸術》が来日。

その後も毎年のように、フェルメール作品は来日しました。

2000年代は以下の通り。

 

 

 

まさに、フェルメールバブル到来。

ほぼ年一で来日しています。

なお、2010年代になっても、その勢いは衰えず。

2010年から今日までに開催された展覧会で、

フェルメール作品が来日した展覧会は、なんと11展もありました。

その中でもっとも注目すべきは、2018年。

上野の森美術館と大阪市立美術館で開催された“フェルメール展”です。

こちらは、日本史上最もフェルメールが来日した展覧会として話題となりました。

 

 

 

さらに、フェルメール来日史上もっともエポックメーキングだったのが、この年。

 

 

 

この2015年に、フェルメールの作品と考えられている、

《聖プラクセディス》が国立西洋美術館に寄託されました。

 

 

 

ついに日本に留まる帰化(?)フェルメール作品が誕生したのです。

これにより、いつでも日本でフェルメール作品が観られるようになったのでした。

 

 

ちなみに。

昨年も日本の4会場を巡回するフェルメール展が開催されました。

 

 

 

展覧会のタイトルは、“フェルメールと17世紀オランダ絵画展”。

実はこの展覧会には、レンブラントの作品が1点来日していました。

しかし、展覧会のタイトルには、レンブラントの名前はありません。

そう、今やフェルメールが主役で、レンブラントが脇役。

1968年の展覧会から約50年後には、逆転現象が起きていたのでした。

 

 

そろそろまとめに入りたいと思います。

結局のところ、フェルメール作品は何点来日していたのでしょうか。

数えてみたところ、この50年近くで、

全部で28点のフェルメール作品が来日していました。

そう、ちょうど現在開催中のフェルメール展の出展数と同じ数です。

つまり、アムステルダム国立美術館に行かなくても、

日本にいながらにして、同じ数のフェルメール作品は観れるということ。

無理してオランダに行く必要はありません。

 

・・・・・と、自分に言い聞かせて、

アムステルダム国立美術館を諦めようと思います。

 

 

 

 

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