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ヤマタロの日々2

ふつうに生きてりゃいろんなことがあるよね

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■#29 天と地と!

フルマラソンであれだけ悔しがったにもかかわらず、
喉元過ぎればなんとやらってのは俺のことで、
「ジュビロマラソン」までの3週間、一度も走りませんでした。

なんか走らなかったのは、フルの失敗に対する
「ふて寝」みたいな感じでもあった。
我ながら、どうしようもねえわけです。

まあ、20kmならいくらなんでも
フルみたく走れなくなるようなことはない。
身体を軽くほぐすくらいの案配でやればいいよと、
相変わらず低めの志で、自分を納得させようとしました。

しかし大会当日、実際に走り出すと、やっぱりもっと速く
走れるといいなという気持ちがよみがえってくる。

もう「ご趣味は?」と問われて
「えっと…ラ、ランニングですっ」って言ってもいいと思うし、
せっかく趣味になったなら続けていきたいし、
どうせやるなら、少しでもよくなるようにしたいしね。

ちなみにこの「ジュビロマラソン」、
磐田駅前の街並みを抜け、
田んぼが連なるのどかな風景を走って行くんだけど、
当日の気候も相まって、
これまでで一番走っていて気持ちのいい大会でした。
ぜひ来年も参加したい。

結果は消極的な目標を達成し、2時間弱。
うなぎを食って帰った。

次回更新:12/22
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■#28 洗礼!

足が動かなくなってからは、
それまで楽しかったマラソンが地獄と化した。

足が痛くて走れないから歩くが、
歩いていても痛くて歩けないから止まって休むが、
止まって休んでいても痛くて、そして痛い。
これが、実に2時間近く続いた。

「あとちょっとだからがんばれよ!」とか思うんだけど、
正直「もうやめたい」「楽になりたい」って
気持ちの方が全然強くて、
そして、ちゃんと備えてこなかった自分が情けなかった。
今年の4月、「桜マラソン」でも同じようなことを思ったが、
「全然学習しねえよなあ」と
へらへら思いながらゴールしました。

10kmの次は20km、20kmの次は30km、30kmの次は…と
なだらかにステップアップできるものだと思っていたが、
「30kmの次は40km」をまともに走るには、
10kmや20kmと同じように走っていてはだめなんだなと思った。
もちろん「それじゃだめだよ」と監督は本で言っているが、
とりわけ俺はイタい目を見ないと学習しない性質なので、
まあ良い勉強になったので
今日のところは勘弁してやるということにしてある。
それにしても悔しかったので、
腹いせに肉をたらふく食って帰った。

次は3週間後のジュビロマラソン、ハーフである。

次回更新:12/21
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■#27 凡人!

そしてフルマラソンである。

記録は5時間半、散々吹きまくったサブ4はおろか、
当日目標にしていた4時間半すら切れぬ
極めて凡庸な結果となった。

そもそも目標を高くしすぎた、と
今さらながらに言っておこうと思います。

なにより悔しかったのは、
30km地点からゴールまでの10kmちょいを、
ほぼ歩いてしまったことです。

練習でも何度か30kmくらいの距離を走っていましたが、
30kmを超えて以降、
まともに足が動かなくなってしまったのです。

どのマラソン関連書籍を読んでも、
一様に30km過ぎからは足が動かなくなる云々と書いてある。
もちろん、今や聖典と化した監督の本にも、そう書いてある。

そして監督は、
とにかく前半はペースを抑え、後半で飛び出せと言っている。

俺の敗因は、監督の教えを全然守らず、
前半に飛ばしすぎて最後まで足がもたなかたったという、
これまた凡庸な「よくある話」であった。

次回更新:12/20
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■#26 前説!

「大御所リレーマラソン」を経て
フルマラソンまでいよいよあとひと月となったが、
俺の練習量は目に見えて激減した。
一説によると、「天気のせい、それは暑さのせい」である。

監督の本によれば、
2週間何もしなければ筋肉は半分にまで衰えてしまう。
脚力のみならず、心臓を動かしているのもまた筋肉だから
心肺機能までが低下してしまう。

そしておそらく、俺の筋肉は半分以上減衰し、
心肺機能も著しく低下した。

不安はかなりあったが、
それでも当日が待ち遠しかった気持ちも、同じようにある。
自分がフルマラソンを走る日が来るなど、
3年前の自分に聞かせても鼻で笑われるだけだろう。

今春、大会へいつも一緒に参加している友人が
フルへの参加を誘ってくれた時も、
自分には時期尚早と最初は尻込んでいたが、
やはり「どうせフルに出るなら…!」という気持ちが、
積極的な練習につながったのは言うまでもなう。
むろん練習は計画通りにはいかなかったけど、
今どれくらい走れるのかという結果に、
自分のことながらすごく興味があった。

次回更新:12/19
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■#25 ごはんはおかず!

「大御所リレーマラソン」は、生涯ではじめて
「リレー」を楽しいと感じられた大会でした。

ガキのころ、運動会のリレーなど死ぬほど出たくなかったが、
一周先に友人が(しかもひとりぼっちで)待っていると思うと、
「はやくヤツのために戻らねば!」という気持ちが
おのずと発動されるので、不思議なものである。

「たすきをつなぐ」という概念の、
ほんの一部でも体感できたのがよかったな。
一度としてまともに見たことのない「箱根駅伝」ですが、
今の自分なら結構楽しめる自信があります。

リアルが充実している方面の人々は、
ゴール間際の直線コースをチーム全員で走るなどして
周囲の感動を誘っていたが、
結果から言うと我々は、
ゴールした勢いのまま公園を出て、そばを食って帰った。

昼飯のときに友人が、
「今日は良いインターバルの練習になったね」と言っていて、
「なんていい解釈をする人だろう」と感心した。

1.4kmを一生懸命走り、その後、友人が戻ってくるまでの
5分ちょっとを休息して待ち、そしてまた走り出す…
走っている最中は全然意識していなかったけれど、
これはまぎれもなく「インターバル走」である。

その時点での俺のインターバル練習は、
1kmを5分弱で走るのを3本もやったら限界だった。
大会では、1.4kmを5分半のペースで7回走ったから、
普段に比べると驚くべき飛躍である。

本当に良い練習になったし、
大会の空気感とか、誰かと走る面白さが、
普段より余計に自分を走らせたのかなあと
思ったり、思わなかったり。

しかしまあ、一応言っておくけど、
もし次に「リレーマラソン」に出る機会があれば、
やはり、もっと大勢で出たいものである。

次回更新:12/18
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■#24 U&I!

「大御所リレーマラソン」の当日はよく晴れ、
会場の駿府公園には、色とりどりに仮装したランナーや、
職場の同僚らとチームを組んだ若者たちの笑顔が、
晩夏の青空を、より青く彩っていた。

結果から言うと我々は、友人と俺の、ふたりでの参加となった。
ふたり…しかも三十路男ふたりの「チーム」は
おそらく参加者の中でも希有な方だったとは思うが、
周囲と比較すると逆に地味すぎて目立たず、
それが不幸中の幸いである。

小学校のころ、
この駿府公園でマラソン大会をやったものでしたので、
あれから20年経って、ふたたび同じ場所でマラソンをするなど、
感慨深いような、
自分の時間が当時から止まったままであるかのような、
実に複雑なる心境でありました。

次回更新:12/17
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■#23 先達!

8月のお盆の頃、街の本屋で、中学からの友人と会った。

近くの喫茶店で昼飯を食ったが、
その友人は、かねてからいろんなマラソン大会に
参加している人なので、
おのずと話題はランニング方面に向かい、
「実際、フルマラソンってどんなもの?」と、
生の声で教えてもらうことができた。

しばらくして、
その友人から「大御所リレーマラソン」という
大会へのお誘いがあった。

徳川家康の死後400年を翌年(2015年)に控え、
静岡市では様々な催しが既に企画されているが、
この大会もその一環のようである。
それにしても変な名前の大会である。

しかしこの大会、名の通り「リレーマラソン」なので、
「チーム」での参加となる。
かつて家康がいたらしいお城の跡地、
駿府公園内の周回コース(1.4km)をメンバーがひとりずつ、
かわりばんこに走るわけである。

次回更新:12/16
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今宵が「ふたご座流星群」なことを思い出して、一服がてら、宅の屋上に出た。
たてつづけに3つ、星が流れた。

ピークが21時頃だったはずだから、
それに合わせて、山にでも登ればよかった。
最近、そういうことしてねえなあ。

星が流れたとき、道を歩くカップルの笑い声が聞こえた。
きっと彼らは、流れた星のことに気付かなかっただろう。
そして終日パソコンに向かっていた俺も、
数多の流星を見逃してしまったのだろう。

でもなんか、流れ星をこの目で見たかどうかなんてのは、
ほんとどうでもいいように思った。

恋人たちが酔いにまかせて楽しく語らったり、
陰気な男がディスプレイに醜い顔を近接させたり、
そんなぼくらの普通の生活が、
「星の流れる空の下」に営まれているということが、
それがなんだか、妙にいとおしく感じられた。

たいていのことはしょーもないんだけど、
時々、世界がキラッとすることってあるよね。
「まあ、いいか」って気持ちになって、チャラになるような。

まあほんと、たいていのことはしょーもないんだけど。

もうちょい今夜もがんばろう。

それではさようなり。
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■#22 大同小異!

「長距離走」で仮に20km走る場合、
その前後なんやかやで計3時間くらいは必要になる。
だから自ずと、練習日は土日に充てることとなる。

一方「全力練習」は1回が30分から1時間ほどなので、
時間的には平日の夜などにも出来るのだが、
なにしろ練習そのものが、大変しんどい。

己の「全力」を使って走り込むため
息は切れ切れになるし、
たとえ練習時間は短くても、
帰宅して風呂入って、
そのままぼーっとしたり
寝ちゃったりしたこともあったので、
トータルで考えると、
「長距離」も「全力」も、
「練習時間的には大差がない」という印象であります。

そしてなによりも、
しんどいことからはなるべく
目を反らしていたいものですから、
「全力練習」のつもりで外に出ても、
たらたらと10kmくらい走って帰る、みたいなことが続いた。

「長距離走」はともかくとして、
「全力練習」については、
かなりいい加減にやっていたというのが実状である。

まあ目標が本の6割達成なので、
「走らないよりは、いいよね」くらいのやわらかい気持ちで
日々を過ごしていたというわけです。

次回更新:12/15
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■#21 計画!

小出監督の指導(読書)の話に戻るが、
時は7月下旬となり、
フルマラソン当日までの3ヶ月を利用した「特訓期間」となった。

監督のスケジュールにおいては、
ランナーを「一般的な会社員」と想定している。
平日の夜に30分から1時間、
土日は長めに練習時間を確保できる、という意味です。

しかし、練習回数は少なくて週3回、
可能であれば週5~6回という、
フタを開けてみれば、かなりきつめの内容である。

今の俺の生活において決して出来ないわけではないけれど、
「天候」とか「気力」とか「突発的な事情」とかを鑑みると、
守り通すことは難しい。

監督もそのへんのことをちゃんとわかってくれていて、
一週間で「最低、これだけやれ!」という練習を
明示してくれている。
見ず知らずの輩にどうしてそこまでしてくれるのか?と
思わず唸ってしまうほどの温情ぶりである。

しかし、それでも守り通すことは難しい。

かといって、計画倒れにいちいち
ふてくされていても仕方がないから、
「まあスケジュールの6割くらい出来ればいいか」的な気概で
取り組むことにした。

先述したことではあるが、
かつて練習回数を増やしても走る距離を伸ばせなかったのは、
ただ漠然と日々走っているだけでは、
長距離に耐えうる「脚力」を
身につけることができないからだ、というわけです。

その「脚力」を身につけるには、
自分の「全力」を駆使して走るトレーニングを
日々の練習に取り入れなければいけない。

監督のいう「これだけやれ!」とは、
週に最低2日の「全力練習」と、
休日を利用した「長距離走」(15km以上)だった。

次回更新:12/14