(16)震災体験談 三日目 1月19日(木) その 2
三日目になって、やっと近くの倒壊した家屋に、自衛隊の救助が入ってきました。
気が付くと、頭上のヘリコプターも、取材のヘリから、自衛隊の黒い大きなヘリコプターに変わっていました。
ちょうどすぐ北(800メートルくらい先)に、王子公園があって、どうも そこが、自衛隊の基地になったようでした。
ひんぱんに、ヘリが発着していました。
やはり、近くに自衛隊が来たのをみると、
「あ、これで何とかしてくれる」 という思いを抱きました。
自衛隊の救出作業が入った家から、遺体が出されたとかで、自衛隊は、遺体を運ぶ車を持っていないので、誰か車を貸してくれ、と公園のリーダー格の人から連絡があって、わたしたちのマンションのグループの一人が、軽トラックをもっていらっしゃったので、急きょ運転していかれました。
しばらくして、かえってくると、2~3人の女性が、キャンプの調味料から 塩をつかみだし、かえってきた軽トラの荷台や、運転してきた人に、浄めの塩を さっさとまいていました。
その光景をながめていた私は、思わず感動してしまいました。
日本人の「穢れ・浄めの意識」を目の当たりにして、まだちゃんとそういう意識は健在なんだと感じました。
(それは、個人的に、日本人のルーツとか、祖先は、どこから来たかとかとかの本を、興味を持っていろいろ読んでいたせいかもしれません)
まとめ役の人から連絡があり、やっと、救援物資が配給されるとのことで、西郷川のところまで、各キャンプから2~3人で取りに行きました。
大きなトラックが入ってきて、荷物がどんどんおろされます。
流れ作業で、公園の片隅に山積みされます。
開けてみると、衣類と懐中電灯と毛布でした。
水のタンクも公園の南の入口に置いてありました。
やっと本格的に、救助の手がはいってきたんだと 実感しました。
みんな 「やっときたか」 というかんじではありますが、それぞれのキャンプ用に、たくさんの毛布衣類等をかかえていきます。
わたしたちのキャンプも、いっぱい毛布・衣類を分けてもらいました。
懐中電灯は各自ひとつづつ分けてもらいました。
私は、それと、新品のオーバーをもらってしまいました。(*^^*)
文化住宅から脱出したとき着ていたコートは、ちょっと薄手でしたし、キャンプ生活で、焚火の火の粉がとんで、小さい穴があいていたのでした。
(こんなんだっけ? もう記憶のかなた。。。。)
お弁当も 届きました。岡山の桃太郎弁当でした。
昼食は、そのお弁当でした。
(今まで、焚火で作った温かい食事をしていたので、冷たいお弁当は、ありがたいけど、ちょっとさびしいものがありました)
(^^ゞ