・OKINAWAの日、制定を・・・! | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 けふ(今日)、6月23日が、1945[昭和20]年の

『連合国軍・沖縄戦上陸終結の日・・・』

で有ることは、TV Newsを聴き観れるNippon人なら、誰もが嫌でも識らされる日だが、そのNippon本土に居るNippon人の、果たして何割の国民が、この日を、

『慎みの日・・・』

と自覚出来て居るのか・・・?!

 

 ジジイは、去年も、この日に、まったく同じことを投稿して居る・・・!

 

『・慎みの日・・・!』

 

 このジジイは、もう20年以上も前から、

『6月23日を、「OKINAWAの日」にしろ・・・!』

と云い続けて来た・・・!

 

 リンク記事にも綴って居るが、あの『昭和天皇』は、一年に4日の『慎みの日』を決めて居られて、その最初の日が、けふ、『6月23日』だったことを識る国民が、果たしてどれだけ居るだろうか・・・?!

 

『広島、長崎の原爆の日と終戦記念日』の

『8月の三日(=6、9,15日)・・・』

は、毎年、案外身近に意識をして居るやに観えるが、その2カ月以上前の

『沖縄戦の惨劇と傷跡・・・』

には、想いを致して居ないNippon人が余りにも多いことが、ジジイには残念でならない・・・!

 

 広島、長崎の原爆の犠牲者や被害者への哀悼や同情は、国民が意外と身近に憶えるが、遥か千数百キロ離れたOKINAWAは、異国(=異人)とでも想って居るのか・・・?!

 

 79年前の3月26日から6月23日に掛けて行われた

『OKINAWA上陸総攻撃・・・』

で、犠牲になった一般住民の数は、凡そ

『沖縄県民間人死者 94,000人・・・』(=全体では20万人とも・・・?!)

と云われ、これは、長崎原爆の犠牲者の数(=7万人)を遥かに凌駕して居る・・・!(=広島は9~16万人)

 

 実に、県民の4人に一人が、『自決』を含めた何等かの形で命を奪われた事実を、我々本土に暮らす国民は、自覚して居るのか・・・?!

 

 あの犠牲者は、天から降って来た原爆と云う『人災』とは、意味がまったく違う

『政災だったこと・・・』

を識って措かなければいけないと、ジジイは想う・・・!

 

 更には、その後の米軍統治下(=22年間)での屈辱や、今尚続く米軍基地負担を想えば、広島、長崎、或いは焼け野原から順調に復興を果たした本土の苦悩の比では無いことを、我々は識らないはずは無いのでは・・・?!

 

 毎年、この日になれば、定番の如くメディアで

『摩文仁の丘の平和の礎・・・』

が画に映されるが、ジジイは、あそこは、Nippon人なら一度は行って視なきゃいけない処では有るが、

『此処は、観光地では無い・・・!』

と、何故か最初に訪れた時から心に刻んで居る・・・(汗)

 

 もう遥か20数年前・・・、沖縄にルーツ(=源血)を持つジジイの養女(=当時)二人を眺めながら、若し立場が逆なら

『お祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、成長した孫娘たちに逢いたかろうなあ・・・?!』

と要らぬ気を利かせて、次女が高校生に為った年(=確か20年チョイ前)だったが、

『もう、大丈夫だろう・・・?!』

と想っいその年の5月の連休に、お祖父さんとお祖母さん、首を長くして待つOKINAWAを、一家6人総出でで訪れたことが有る・・・(汗)

 

 

 

 離婚の原因が、

『不肖の息子の不始末(=不倫)・・・』

で有って、元嫁が既に再婚し、更に子どもまで生まれて居ることを識って、

『もう逢えないだろう・・・!』

と想って、半ば諦めて居られたお祖母さんは、那覇の空港で、このジジイの手に縋り、

『あなたが、神様に視えます・・・!』

と滂沱の涙を流して泣かれたが、肉親の情とは、誰でもそんなモノだ・・・!

 

『これからは、遠慮無く行き来して下さいよ・・・!』

と路を開け、その厚誼が、今も円満に続いて居るやに聴き及ぶが、あの摩文仁の丘を訪れ、そのの礎に刻まれた『安里』と云う姓の方の文字を撫でながら、

『これが、あなたたちの曽祖父ちゃんと曽祖母ちゃん・・・、そして叔父さんと叔母さんよ・・・!』

と養女姉妹に告げられた表情を、ジジイは、何か、自分たち『本土の人間』が責められて居るように受け取ったことを、今も忘れない・・・!

 

 あんな酷い戦略の犠牲者の山を、もう二度と築いてはならないのだ・・・!

 

 だから、Nippon政府は、せめて国民の心に、

『OKINAWAを忘れるな・・・!』

と云う意識付けをさせるために、けふを忸怩

『OKINAWAの日・・・』

と定め、せめて、意識だけでも、その忸怩に自分を責められた

『昭和天皇の自責の心根・・・』

に近付く日にして欲しいモノだが、殊は、そのまったく真逆に進んで居るわな・・・!

 

 いかん・・・、チョッと感傷に奔り過ぎたか・・・(汗)

 

 要らぬ戯れ言を失礼しました、けふは朝から、そんな心根で過ごして居ります・・・(謝&拝)