・『OPPENHEIMR(オッペンハイマー)』を観る前に・・・(後編) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 と云うことで・・・、けふ(今日)は、前説無しで、早速本題に入ると、元・英国首相だった『チャーチル』が、同じく当時の『ルーズベルト大統領』に、物理学的には、既に

『有り得る理論(=物理学上)・・・』

となって居た

『原爆開発・・・』

の話を持ち掛けた時、ルーズベルトは、当初は信じなかったのだ・・・!

 

 ところが・・・、此処に、これまた既にアメリカに亡命して居た『アインシュタイン』から、

『遣れば、出来る(=可能だ)・・・!』

と云う手紙が届いたことで、戦争を早く終わらせる為も含んで、

『研究開発、Go・・・』

の密命を下したところから、有名な

『マンハッタン計画・・・』

はスタートする・・・!

 

 そして、そのリーダーに選ばれたのが、何故か、学者仲間からは毛嫌いされて居た『OPPENHEIMR』で有り、この開発と実験には『拡い荒野』を必要とすることと、極秘性も必要なため、アメリカの中央部の『ネバダ砂漠』が、研究の最前線として選ばれ、此処に、オッペンハイマーの陣頭指揮で、

『ロスアラモス研究所・・・』

と云う秘密基地(=Trinity)が設けられ、研究開始から3年の歳月が掛かる

『原発開発・・・』

がスタートした訳だが、アメリカは、この原発の研究開発を、最初から

『対Nippon戦の為・・・』

に始めたのでは無く、話を持ち込んだ『チャーチル』の思惑は、

『これ(=原爆)で、悪の枢軸、ナチスドイツ(=ヒトラー)を負かす為・・・!』

だったのは、確かだ・・・!

 

 ところが・・・、理論的には可能だし、集められるだけの優秀な頭脳を以ってしても、世界初のこの物騒な兵器の開発は容易なことでは無く、都合3年を懸けて、ネバダの原野での実証実験に漕ぎ着ける二カ月前(=1945年5月)に、使用目的だったドイツが完全降伏し、世界から

『悪魔・・・』

の代名詞を貰った『ヒトラー』は、その数週間前(=4月)に、ベルリンの地下壕で愛人と共に自殺してしまったのだから、

『今や目的を失ったハズ・・・?!』

なのに、この実験準備がそのまま進められたのは、最早、最後の悪足掻きに入って居た、

『憎っくきJapp・・・』

が、未だ太平洋上で、連合国側の艦船に『一機必殺(=特攻)』の戦法で突撃して来るNipponの本土に投下して、一日も早く、

『この恐ろしい国家と国民を黙らせなきゃならない・・・!』

と踏んだ『トルーマン大統領』(=ルーズベルトは、任期途中で死去)が、その開発中止を命じなかったからだ・・・!

 

『遣れば出来ます・・・!』

との理論を確立して居る学者たちとしても、この何も無い砂漠に3年も閉じ込められて、心血を注いで、折角完成寸前まで漕ぎ着けた

『世界初の代物・・・』

だから、

『何とか実証実験まではしてみたい・・・!』

と想うのは、学者としての本能のようなモノなのだから、『止めろ』と云われなければ、勝手に頭脳と身体が動くのを、咎めることは出来ない・・・!

 

 そして・・・、遂に、『1945年7月16日』に、ネバダ砂漠の真ん中に組み上げた櫓(=塔)に吊り下げた原爆の第一号弾の爆発に成功した訳だが、それを、ポツダムでの

『チャーチル&スターリンとの三者会談(=中華民国[蒋介石]は来れる状態に無かった)・・・』

の二日目に識らされた『トルーマン』は、恃みとして居た

『ソ連の対日参戦・・・』

をさせる前に、Nipponを降伏させる為に、即刻、

『Nipponへの一発目投下を許可した・・・!』

と云う訳だが、それでも、その甚大な被害を、

『新型爆弾が遣われた・・・!』

などと云って、呑気に被害調査などに奔って居るNippon政府と、此処に至っても、

『一億総玉砕・・・!』

などと気勢を挙げて居る『陸軍部』に向かって、

『凝りて無いようだから、2発目を・・・!』

と為ったのが、『8月9日』の

『長崎、原爆投下・・・!』

となって、此処に来て、遂に、Nippon 国は、連合国側の

『ポツダム宣言(=無条件降伏)・・・』

を受け入れる決断に至った訳だが、結果、この

『都合、3発の原爆炸裂の成功とその威力の凄まじさ・・・』

を証明してみせたリーダーの『オッペンハイマー』は、当初、

『戦勝に導いた大功労者(=Helo)・・・!』

として讃えられたが、自分では、そのあまりの凄まじさ(=威力)に、

『自分は死神になってしまった・・・!』

と苛むように為り、米国国民に讃えられ、『時の人』として『雑誌・TIME』の表紙を飾って、投下命令を下し、

『俺は、世界を救った・・・!』

と戦勝気分に浸って居た『トルーマン大統領』から、直接、

『HELOになった気分は、どうだ・・・?!』

と訊かれた時、自分のBossに対して、直接、

『私の掌(て)は、血に染まって居ます・・・!』

と応じ返したことで、

『投下の決定(=命令)を下したのは、俺だ・・・!』

と自負して居た政治家の機嫌を損ね、普通なら貰えて当然だった

『ノーベル物理学賞・・・』

を貰い損ねたのは、その政治家(=トルーマン~アイゼンハワー)が、最後まで、

『スウェーデンのアカデミーに、推薦しなかったからだ・・・!』

とも云われて居るし、その後、間を措かずして、対日参戦の準備を整えたばかりの機先を制せられて、

『Nippon を独り占め・・・』

された『スターリン・ソビエト』が、直ぐに核開発に成功しての

『核拡散世界(米ソ冷戦時代)・・・』

に突入したことで、

『核抑止力・・・』

と云う切り札を失ったアメリカで、米国議会が、

『20億ドル(=当時)もの大金を掛けた国家プロジェクト・・・』

の是非に突っ込み始めたワシントンの政治家どもが、それを、

『OPPENHEIMRの罪だ・・・!』

とまで云われ始めた

『原爆の父の苦悩・・・』

を描いたのが、この大作映画の背景だと云うことだから、

『原爆と云えば、HIROSHIMA&NAGASAKIの悲惨さ・・・!』

としか教え込まれて来て居ない我々

『Japaneas Mentallity(=平和ボケ&被害者意識)・・・』

 だけでは、

『この世界を変えた複雑で奥深いストーリを描いた映画は、理解出来ないですぞ・・・!』

と申し上げて措きたい・・・!

 

 尤も、このジジイが今更ホザいても、今年3月29日に封切られた本作品は、もうそろそろ2カ月に為り、懸け閉め(=上映終了)が迫って居るから、時、既に遅しだが・・・(汗)

 

 最後に、一言申し上げて措けば、Nipponを、今のところ

『世界唯一の被爆国・・・』

にしてくれたアメリカは、その非道さを隠す為に、

『戦争を早く終わらせる為だった・・・!』

と尤もらしく仰るが、それは、アメリカさんの外面(=表向き)

『創られた大義・・・』

で有って、本音は、ネバダでの実験成功だけでは満足しなかったアメリカ政府&軍部が、

『国家予算・約20億ドル』(=2015年の概換算額で260億ドル≒3,380兆円 [130円/$)

をも注ぎ込んだ超巨大プロジェクトなのだから、その威力の凄まじさと大成功の証明を、アメリカ国民に識らしめて、納得させる為に、

『実地実験で遣ってみたい・・・!』

と云う本音が主目的だったことは、事後検証をすれば善く判ることで、その証拠には、投下候補地に挙げられて居た数都市(=京都・広島・小倉・新潟など)は、不思議にも『B29爆撃機』での焼夷弾爆撃をせず残して居るし、戦勝後の占領統治に遣えそうな建物も、焼かずに残して居ることから考えても、それほど

『軍略には強かな(=抜け目無い)お国だ・・・!』

と云うことを、我々被爆国の指導者と国民は忘れてはいけないし、その候補地の中から『京都市』が、米軍上層部の幹部が新婚旅行で訪れた経験が有り、

『あの街は、Nippon 文化が凝縮した美しい街だから、候補地から外せ・・・!』

と命じて除外された話は、有名な話だ・・・!

 

 アメリカの軍部が選んだ候補地しては、その『京都』が、盆地になって居て、効果を確かめるのには一番の適地だった訳だから、その幹部の『新婚旅行・訪京』が無かったら、

『今の京都は無かった・・・!』

と想うと、Nippon人としては、ゾッとする話だわな・・・!

 

 

 上の画の建物は、丸の内の皇居の直ぐ前に在り、占領軍(=GHQ)が、戦後、真っ先に本部を置いた建物(=第一生命ビル)だが、これが、首都の中心に在りながら、傷一つ負わずに焼け残って居たのは、何故か・・・(笑)

 

 1945年の8月末に、厚木の飛行場に降り立ったマッカーサー総司令官が真っ先に向かった

『総司令官の執務室・・・』

は此処に設けられ、あの『昭和天皇』が都合7回も訪れ、マッカーサーに、

『私の命などどうなっても善いから、Nippon国民を頼む・・・!』

と懇請され、時の総理大臣『吉田茂氏』など、更に足繁く通わされた歴史を持つ建物ですぞ・・・!

 

 それは、北に一筋(=帝国劇場等)離れた此方も一緒で・・・!

 

 

(また寝ちゃった・・・汗)

 

 上の画の建物は、丸の内(=日比谷)の『明治生命館』だが、勿論、当時から贅沢な石積み造りの頑丈な建物だったから、火災には強かったであろうが、あの絨毯爆撃の中で、こんなにもキレイに残って居る不思議(=意味)を、我々Nippon人のどれ程が判って居るのか・・・?!

 

 因みに宣うと、此処は、連合国軍(=アメリカ軍)

『極東空軍司令部・・・』

が置かれて居たところだ・・・!

 

 壁に貼られた『重要文化財指定』のプレートには、

『築は、昭和9[1934]年・・・』

と為っていましたぞ・・・(笑)

 

 

 

『つまり・・・、そう云うことだ・・・!』

と云うことまで識った上で、客観的(=冷静)に観ないといけない映画だと云うことですな・・・(笑)

 

 最後の最後に、云い訳を一言綴らせて貰うが、このジジイは、決して

『共産主義思想の廻しモノ・・・』

でも無ければ、

『お隣大国の廻しモノ・・・』

でも有りませんので、念の為・・・(汗)

 

 長々と、お付き合い頂いて居りましたら、誠に申し訳有りません・・・(謝&拝)