彼岸も終わろうと云うけのふ(昨日)は、連れ合い入院中の為、軽乗用車のレンタカーを仕立てて、
『故郷、薩摩は霧島山麓・・・』
まで・・・(汗)
一昨日までの冬型が緩んで、幾分春霞が掛って麗らかな陽気の道中の中を転がすと、路脇には、既にすっかり花を咲かせた
『ヤマザクラ・・・』
が視降ろしているし、山間の緑の中にも、ぼんやりと白い塊が視え、ジジイの気分も開花状態で・・・(汗)
つい・・・、ここ数日のTVメディアの
『開花予想が、何時だの、早いの遅いの・・・?!』
と云う能天気なTopic に、
『平和やなあ・・・!』
と呆れて居るジジイは、つい、
≪ ヨシノなど 何するものぞ ヤマザクラ・・・≫
などと、下手な発句など愉しみながら・・・(笑)
『何も、ソメイヨシノだけが、Nipponのサクラでも有るまいに・・・!』
と、毎年、この時期になると、バカの一つ覚えのように『開花宣言』をネタに燥ぐTVメディアに、
『平和じゃなあ・・・!』
と毒吐きながら呆れるジジイだが、けふ、ジジイが想い立って霧島の実家(=旧)を、『お彼岸』を理由に、殊勝な墓参がてらに訪なったのは、実は、一つ、もう永く心に兆す想いが有ったからだ・・・。
と云うのは、我が旧・実家(=火災消失)の庭に、もう40年以上前に亡くなったオヤジが、元気な頃から、殊の外愛でて居た一本の樹の花を視てみたいと想って居たからだ・・・(汗)
その花と云うのが、この花で・・・!
(これは、昨年の鹿屋バラ園での画です・・・)
地方に依っては『深山(ミヤマ)ツツジ』とも呼ばれたり、葉っぱの形状から『ミツバツツジ』とよばれたりするらしいが、ジジイの在所では
『岩ツツジ・・・』
と呼ばれ、霧島山麓の山間を縫う川の狭隘な岩崖の隙間に根を張って、丁度、3月の半ば頃に、梅の花の後を追ってこの独特で鮮やかな紫色の花を着け、ジジイ一家に、
『春が来たぞ・・・!』
と教えてくれるし、頑固一徹なオヤジが、この花を愛で、手入れをする時だけは満足気な顔をする『春告げ花』の代表格で、当時は、その希少価値から何処の家庭にも在る樹じゃ無かったから、見栄っ張りなら超一流の我がオヤジの、
『自慢の一本・・・』
だったのだ・・・(笑)
何せ、向こう見ずなオヤジは、若い頃、この樹が欲しくて、土の危険な岩崖に、腰にロープを括って降りて行って、幹が大き過ぎたので、鉈で途中から伐り落して、根っこを切り抜いて来たと云う戦果が、バカオヤジの自慢だったから、あの愛で方の特別は、理解出来ないでも無かったが、あれからでも50年近く育った幹は、相当太くなって居るはずで、眼利きの植木屋さんに持ち込めば、易く見積もっても2、30万円は下らなかったと想ったのだがなあ・・・(汗)
って・・・、そっちかよ・・・(汗)
この樹の花は、ジジイが18歳で高校を卒業して東京へ上った昭和51[1976]年も、3月末(=確か26日だった)に、まるでジジイの出立を祝ってくれるように、丁度満開で、当時、田舎青年たちには人気だった
『D’URBANの三つ揃いスーツ・・・』(=アラン・ドロンのCMだった・・・笑)
を、ぎこち無く着込んだジジイを見送ってくれた印象は、今も、ジジイの脳裏に色濃く残って去らない愛樹だったが、ジジイが、丁度30歳を過ぎ、所帯を持った年の秋の夜、古灯油ボイラーを出火元とする火災で、オヤジが借金して建てた家が全焼した時も、この花樹は奇跡的に生き残り、その後も毎年、健気に花を咲かせてくれて居たのに、ジジイは、我が家を建てた時も、母用に、場所を変えて現実家を建て直した時も、この樹を移さず、そのままにして居たのを、ある種、オヤジへの背信のように想って来たので、この際、元気だったら、折りをみて、今の実家の庭に移植して措こうと想った次第で・・・(汗)
ところが、だ・・・!
今は、その旧実家後は、ジジイとは二従姉弟に当たる大工職を営む親類が、資材置き場に遣って貰って居るので荒れては居ないのだが、けふ、訪ねてみたら、その記念の樹が、跡形も無く失くなって居た・・・?!
楽しみにして庭に立ったジジイは、その在った場所を見詰めながら、
『ウーム・・・、残念・・・!』
の一言と同時に、
『誰が、持って行った・・・?!』
の疑念が一緒に過るしか無かったが、出来の佳い長姉が、自宅に移植したと云う話も聴かないし、管理してくれて居るその親戚の大工が、若し何処かに移すとすれば、事前に長姉かジジイに一言断りを入れないような横着な男でも無いことは、ジジイも良く判って居るから、糺し咎めるようなことなどしたく無いし・・・!
久しぶり産まれ在所を訪なった序でに、無沙汰を詫びがてら、近所の90歳になったと云う親父の従弟の家の土間に踏み込み、『斯く斯く然々』と訊ねたら、そのオジも、
『何ち(て)・・・、無かちや(無いって)・・・?!』
と驚き、
『4、5年前までは・・・、オイ(俺)も花が咲くのを視て居ったが・・・、今は、足も弱って外出をしないからなあ・・・!』
と頭を捻った後、
『誰(だい)が持って行ったどかい(かなあ)・・・?!』
と怪訝顔・・・!
まあ、今更、花樹盗人を探し出すのも、これまで放って措いた此方の落ち度を考えれば大人気無いが、あの樹の枝ぶりは、オヤジが自慢にするのも頷けるほど見事だったと想うと、
『惜しいことをしたなあ・・・!』
と云う気がしないでも無かったが、暫し、かなり耳の遠く為った90歳のオジと、大きな声でお互いの近況や、ジジイと同世代の息子二人の様子を訊ねたりして、
『また来っで・・・、オジはん(さん)も、元気でなあ・・・!』
と怒鳴るような声で暇(いとま)を請うて帰るしか無かったが、最早、
『限界集落以上の限界集落・・・』
と化し、人影一つも眼にしない、我が生れ在所の午時の穏やかな春の陽光が、その侘しさを一際浮き上がらせて視えて、
『早、此処を捨ててから35年かあ・・・!』
と想うと、その侘しさが、何と無く
『自分を責める罪深さ・・・』
に感じられて、あまり後味の佳く無い故郷訪問になったような・・・(汗)
遥か昔から、一時御縁の有った姉さん女性が、道路脇の秋桜の花を手折りながら、
『花泥棒は、泥棒じゃ無いのよ・・・!』
と茶目っ気を漂わせて笑ったことが有ったが、『花樹盗人』は、どうなのだろうか・・・(笑)
(モクレンの花が、満開に咲いて居た・・・)
一つ想うのは、誰が掘り盗ってくれたのかは識らないが、あの親父の自慢だった『岩ツツジの樹』が、今頃、鮮やかな花を誇らしげに咲かせてくれて居れば佳いが・・・!
他にも、ジジイの旧実家の庭には、祖父が仕入れて来た『甌穴自然石』の趣きの有る庭石も在ったのだが、これは、オヤジの妹(=叔母)が、自分の息子が家を新築した時に、同級生だった母に、
『形見に頂戴・・・?!』
と頼まれたのを断れ無くて、もう30年前に持ち去られて居るが、あれも、観る人が視れば、百万円の値を着けてもおかしくないほどの格好の佳い岩組だったが、あれは、ジジイが最初に家を建てた時に、庭の隅に移すと云ったら、女房殿一族に、
『子供が怪我をするから、危ない・・・!』
との大反発で諦めた代物だったがなあ・・・(汗)
ウーン・・・、荒れも、惜しいことをしたわい・・・!
てな訳で・・・、ジジイの久しぶりの本実家探訪は、見事な空振りに終わった・・・(笑)
要らぬ感傷だけの駄文に、お付き合い頂いて居りましたら、ありがとうございます・・・(謝&拝)