・Boliviaでの彷徨い・・・(帰国後編-12) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 と云う訳で・・・って、ジジイの勝手な云い種だが、2月25日(日)の朝8時前に、二晩お世話になった船橋の、遥か昔の若かった頃の懐かしさを漂わせる『カプセルホテル』を発って、総武線経由で上野駅まで出て、そこから京急線で羽田空港の第1ターミナルへ・・・!

 

 遥か昔のように浜松町からモノレールで往復した頃に比べれば、乗り換え無しで空港直下の地下ホームに行けるのは、何とも有難いわなあ・・・!

 

 あの、必ず『東京モノレール』を遣わなきゃ都心に出られなかったことに比べれば、絶対30分以上はは稼げるわな・・・?!

 

 前回(=一昨年)は、北の大地を結ぶLCCの『Air Do』だったから、『ソラシドエア』と同じ第2ターミナルだったのだが、今回は、何も考えず日航グループが使う第1ターミナルを発着する『SKY MARK Airlines』を遣ったのが、帰りに仇になったのは既に綴ったが、この段階では、単に

『発着時間が、都合が善い・・・!』

と想っただけの安易な考え・・・(汗)

 

 まさか、あんなヤキモキが待って居ようとは・・・(笑)

 

 午前11時丁度に、『新千歳空港』に向かって離陸したSKY MARK機が、北の大地に着陸した時、ジジイは、空港の先に拡がる白一色の大地を眼にして、

『当に、別世界に来た・・・!』

としか想えない風景に驚いた・・・(汗)

 

 つまり、北の大地は、一面真っ白い雪に覆われた『異次元の世界』としか想えなかったのだ・・・!

 

 

(新札幌駅に向かう電車の中から・・・)

 

 後から聴いたのだが、ジジイが訪れる二日ほど前から、北海道は急に大雪に見舞われて居たのだそうで、その日お会いする予定だった『fadoおじさん(=旧・Topzemiさん)』は、日曜日の朝から、雪掻きに追われて居られたそうで・・・!

 

 ジジイが一昨年の夏に

札幌ホテル・三日間枕の折檻・・・!』

に明け暮れた『札幌エミシアHOTEL』の直ぐ近くの『新札幌駅』に着いたのは、午後1時過ぎだったろうか・・・?

 

 

 駅ビルから続くAION モールへのコンコースを歩き抜けて、一階へ降りると、いきなり

『ウッヒョー・・・、こりゃあ何だー・・・!』

と云いたくなる別世界・・・(笑)

 

 若い頃、スキーで雪の中を歩いたことが無いジジイでは無いが、平地に積もったこの雪の深さは経験が無い・・・(笑)

 

 然(しか)も、昨今便利になった『キャスター付きトランク』は、雪の中では、まったく云うことを利いてくれないから、把手を持って提げて歩くしか無いから、たった7、80m先に視えて居るホテルのエントランスが遠いこと・・・(笑)

 

 

 

 ただ・・・、不思議に想ったのは、駐車場の中に作られた人の靴跡の路が、何故か滑らないこと・・・?!

 

 ジジイたちの南国でも雪は降るが、少し積もると、直ぐに脚を取られるほど滑るし、

『雪は滑るモノ・・・!』

と想い込んで居る南の人間には、何とも不思議なのだがな・・・?!

 

 だから・・・、片手に重いトランクを片手に提げたジジイは、一度も転ばずホテルのフロント迄辿り着き、12階の西側(=札幌市方面)を臨める眺めの佳い部屋へ・・・!

 

(ホテルの窓からの札幌市方面・・・)

 

(山頂に白く流れ降って居るのは、あの『大倉山シャンツェ』ですぞ・・・!)

 

 部屋が西側に拡がる眺望を臨めるので、夜は、斯様な美しい夜景も楽しめるとは、何たる至福・・・!

 

 

 あの白く輝く辺りは、彼の有名な

『男の天国・すすきの・・・!』

の辺りか・・・(笑)

 

 オッと、いけない・・・!

 

 今宵は、もう5年ほども前の、ジジイが、このアメブロに駄文を綴り始めた頃からのフォロアー友達『Topzemi(現・fadaおじさん)』さんと、旧交を温めさせて貰う段取りになって居て、このエミシアHOTELの地下が、拡い浴場になって居るので、先ずは、此処で、

『裸談義・・・』

から始めることになって居たので、約束の2時が少し前に、Fadoさんは、既にロビーにお着きになって下さって居て・・・(汗)

 

 で・・・、首都圏の匂いを消すべく着替えを急ぎ、慌ててロビーへ・・・(汗)

 

 今、旧・Topzemi さんとのBlog 厚誼(=お互い読謝)が始まったのは、今、過去記事を繰ってみると、

『2019年6月3日・・・』

には、もう『いいね!』を着けて貰って居るから、彼是5年近い厚誼を頂き、深い知性を宿した的を射たコメントに、大いに啓発され勉強させて貰って来たのだから、

『人生の師・・・!』

とも想えるお方で、

『随分長いお付き合いを頂いて居るなあ・・・!』

と想えるお方で、その知性の深さと、教育に注がれる情熱に直接触れたくて、

『是非、一度お逢いしたいものだ・・・!』

と想い、一昨年の夏の無謀な『Nippon 列島BIKE一周旅』の際にお訪ねする計画を立てながら、出発二日目の四国・松山で敢え無く断念し、

『意地でも・・・!』

と挑んだ富士山頂登頂の後、再度、訪札させて貰ったは善かったが、富士山登頂後のバス冷房の寒さに風邪を曳き、折角の機会を、僅か30分の面談で終わらせてしまった失礼を詫びる為に、今回は、しっかり健全な体調を維持して再ご訪問させて貰った次第で・・・(汗)

 

 先ずは、Fadoさんお勧めの、このHOTELの地下1階に在る大型温泉ラウンジで、2時間近くも

『裸の付き合い・・・』

に勤しみ、その後、近くの駅ビルの中に在る居酒屋に場を移して、お互いの昔を語り、今の政治の体たらくを嘆き、Fadoさんの専門の教育の荒廃に憤り、お互いに苦しんだ

『負債(=借金)時代の苦労を語り合ったりした・・・!』

と云えば聴こえは善いが、中身を白状すれば、語ったのは専らこの田舎ジジイの方で、超紳士でもの静かなFadoさんは、ずっと聴き役に廻されられただけだったと、ほろ酔い気分で別れてから反省するジジイで・・・(汗)

 

 おまけに、お酒にも深い造詣をお宿しのFadoさんの裏を掻いて、羽田で仕入れた

『電気ブラン・・・』

などと云う安酒を手土産に渡したら、

『これは・・・、何ですか・・・?!』

とは、これまた赤っ恥・・・(汗)

 

(画像は、Amazon.jpより拝借)

 

 この酒は、明治後期から大正ロマンの頃、西洋カブレしたハイカラ紳士たちが愛飲した合同清酒で、浅田次郎氏の著書『天切り松闇語り』では、小僧の松蔵を可愛がるスリの名手『おこん姐さん』や、作家(=当時は東大教授時代)の『永井荷風先生』が、銀座の『神谷バー』で、これを愛飲する場面で描かれる酒だが、流石の愛読家Fado先生も、この安酒はご存知無かったようで・・・?!

 

 当時は、舶来の珍しいモノに『電気』と云う言葉を付して云い表す風習が流行ったようで、渡来した『ブランデー(=リキュール)』を、神谷バーの主が、この流行りで名付けたことに由来するらしい・・・?!

 

 かなり強い(≒40度)酒らしく、当時は、

『早く酔いたければ、電気ブランに限る・・・!』

との風評が有ったようだが、ジジイは、自分でも呑んだことの無い不可解な名前の強度の酒を手土産に差し上げたとは、何たる不届きな・・・(汗)

 

 美味しい料理に、善い聴き役を得たジジイの舌は、美味い北海道の日本酒で増々気焔を上げて、Fadoさんを困らせたと後から反省するのは毎度のことだが、誠、心地快い一夜を過ごさせて頂いたが、Fadoさんには、甚だご迷惑だっただろうなあ・・・(汗)

 

 おまけに、ご馳走にまで為るとは、何たる厚かましさ・・・(汗)

 

 Fadoさん・・・、本当にご迷惑をお掛けしました・・・(謝)

 

 でも、本当に楽しい夜でした・・・!

 

 しかし、Blog(=SNS)と云うツールは、遣い方さえ謝らなければ、

『奇跡のような佳い奇縁・・・』

を結んでくれるから有難いわなあ・・・!

 

 お陰で、雪の北海道まで往かせて貰えたし・・・(汗)

 

 と云ったところで・・・、午後2時前から7時間ほどもお付き合い頂きお別れしたが、北の大地札幌の夜は、ジジイには、誠、心地快く更けて行きましたとさ・・・(謝&拝)