けふ(今日)には、何とか『道の駅廻り編』を終わらせねば、明日は、あの大震災から
『13年目の日・・・!』
を迎えると為っては、遊んで居る訳には行かないわな・・・(汗)
だが・・・、その前にチョイとご紹介して措けば、ジジイがお世話になった
『ビジネスホテル・ARM FUTABA・・・』
さんとは、実に有難いホテルで、ジジイが、二晩駆け込んだ『居酒屋さん』の1階には、何と、
『宿泊者無料のサウナ付き大浴場・・・』
が設けられて居て、サウナ好きのジジイには、天国のような処・・・!
如何ですかな・・・?!
これだけの施設が備えて在るのに、こうして盗人撮影が出来るほど入る方は少なくて、貸し切り状態だったし、この下駄箱の木札錠など、懐かしいと云うか粋と云うか・・・(笑)
それもだが、サウナに入って14、5分粘った後浸かる冷水風呂の冷たさには、ジジイも我慢が利かないほど冷たくて、
『さすがは、阿武隈山系の地下水は、気合いが違うなあ・・・!』
と想わざるを得なかったが、お客さんが少ない中で、サウナに同室した方に、
『どちらからですか・・・?!』
と尋ねるのは、ジジイの悪い癖で・・・(汗)
二日目に入った時には、新潟からお越しになって居る先輩(=7歳)で、越後のご出身となれば、ジジイのネタは、彼の昔、『コンピューター付ブルドーザー』と呼ばれ、『今太閤』とも持て囃された、
『田中角栄・元総理大臣・・・』
を語れば、越後の方で怒る人は先ず居ないし、ジジイには、この人を語らせれば、地元の人が識らない引出しもたくさんあるから、この先輩が、驚いて居たりして・・・(笑)
更に、もう一人は、少し南の『いわき市』からお越しになって居るお方だったが、この方からは、いわき市に近い穴場スポットを教えて頂き、早速、翌日訪ねてみるモノ好きジジイだが、その穴場とは、此処・・・!
古い方々なら、先ず耳にしなかった人は居ないで有ろう、昭和の歌姫『美空ひばりさん』が歌って大ヒットした、
『みだれ髪・・・』
のモチーフとなった
『塩屋の岬・・・』
である・・・!
≪ ♬ 髪のみだれに 手をやれば 紅い蹴出しが 風に舞う・・・≫
と聴けば、
『アア・・・、あの曲か・・・!』
と頷かれるだろうが、サウナで同室した方から、
『その麓に、美味しい海鮮料理を安くで食べさせるお店が在るんですよ・・・!』
と聴けば、胃は無いくせに、食い意地だけは張って居るジジイとしては、最早、外せない・・・(汗)
中列の右側のひばりさんの画像が彫られた石碑は、前に立つとセンサーが反応して、下のスピーカーからこの曲が流れる仕掛けだったが、寒さと強風に小雨まで横に飛ぶ悪天候では、最後まで聴ける状態では無かったので、この石碑の反対側に立つ海鮮料理屋さんへと駆け込み、海鮮丼定食で腹を満たさせて貰ったが、店には、10人乗りタクシーをチャーターしておいでになったらしいご婦人集団が、賑やかにお食事中・・・(笑)
右下の男性は、タクシーの運転手さん・・・!
で・・・、ジジイが食べた海鮮丼定食は、これだが、これで1,000円しないのだから、聴いて居た通り、
『安くて美味しいんですよ・・・!』
は、嘘では無かった・・・(汗)
然(し)かも、他にはお店も土産店も無い一軒家とは、何とした穴場か・・・?!
天気が快ければ、モノ好きジジイとしては、歩いて20分ほどで登れると云う『塩屋岬灯台』にまで登って、そこから太平洋を睥睨してみたかったが、この悪天候と寒さでは、さすがに脚が進まなかった・・・(汗)
小さな塩屋岬の半島の下に在る漁港も、本当に小じんまりした情緒の有る風情で、灯台まで登れなかったのは、誠、残念・・・!
序でに識った被りをすれば、ジジイが幼かった頃大好評だったTVドラマの
『喜びも悲しみも幾歳月・・・』(=ドラマ名は、忘れて居る・・・汗)
も、此処も描かれて居たのだそうで・・・?!
この三日目も、一応、道の駅も廻ったが、ジジイは、けふは、どうしても往ってみたい場所がもう一カ所在ったので、此処から、南相馬市へ・・・!
お上(=政府)が、震災復興の為に、突貫で突っ走らせた彼の『常磐道』を走って、斯様な処へと向かったのだが、この突貫道路は、兎に角急拵えで造らねば為らなかったから、山裾を縫って走り抜けるが、このNippon 国と云う山岳にしては、
『トンネルが無い・・・!』
と云う、珍しい(=有難い)道路だ・・・(汗)
だから、ハンドル片手に、CANONの安物一眼レフをAUTOモードにして措けば、こんな遊びも出来る訳で・・・(汗)
この常磐道を、『浪江IC』まで走って、此処から阿武隈山系の裾野を北上して、斯様な処へ・・・(汗)
南相馬市が運営する
『南相馬市馬事公苑・・・』
なる場所だが、『馬事公苑』と云えば、東京は世田谷区に在る、彼のJRA(=中央競馬会)のモノを連想されると想うが、此処相馬は、全国的に有名な、
『相馬野馬追・・・』
の御本家だから、馬には特別な想い入れをお持ちのお土地柄・・・!
ジジイも、大の馬好き故に、この一大イベントを一度は拝見したいと想って居るのだが、未だ適わずだが、これまでは夏に催されて居たのだが、このところの『猛暑の夏続き』に、馬も乗り手も身が持たないと云うことで、今年からは、初夏の5月に催されることになったとは、善いことを教えて貰った・・・!
さすがに、拡い土地を必要とする施設だから、些か山手に在るのだが、その途中は、けのふ(昨日)からの雪がまだ残って居て、こんな状態・・・!
逆光で、お見苦しい顔が写って居ないのが幸いか・・・(汗)
そして、辿り着いた『南相馬市・馬事公苑』では、夕刻間近の中を、厩舎まで見せて貰って、7頭の乗馬用に調教されたサラブレッドやポニーと戯れ・・・(汗)
一番下の左側は、2頭居たポニーの一頭で、右側は、屋内馬術競技場だそうで、全国各地の大学の馬術部が合宿に遣ったりすると、厩舎の責任者の方が、飼い葉を与えながら教えてくださったが、さすが、馬術用に調教された馬は、ジジイを警戒することも無く顔を寄せて来てくれて、久しぶりに、馬と戯れさせて貰え、来て佳かったー・・・!
因みに、これらの馬たちの所有者は、斯様な団体が飼って居られるのだそうで・・・!
『相馬教援隊・・・』
と云う地元の団体さんとは、さすがは『野馬追の郷』だわな・・・!
実は、ジジイの産まれ在所の薩摩は霧島にも、ジジイがド田舎役所時代から政治屋時代には、町営牧場が在って、一周800mの馬場が在って、JRAの休息馬を預かって居たり、春には、草競馬が催されたりして居たが、今は、もうオートキャンプ場にされてしまって、馬の姿も匂いも嗅げなくなって居るので、こう云う馬場風景は、何とも嬉しいと云うか懐かしいと云うかか・・・(汗)
此処で、早薄暗く為りかける5時前だったので、もうこれ以上の長居も出来ないので、後は、調教馬場を眺めさせて頂きお暇を請うたが、何とか目的を達成したジジイは、大いに満足して、また、サウナが待って居る宿へ・・・!
さあ・・・、二日を相馬に遊んだジジイの明日は、朝から、一番の目的地だった
『東日本大震災・原視力災害伝承館・・・』
を訪れれば、大番狂わせの福島の旅も終わりだ・・・!
けふも、つまらぬ回顧文にお付き合い頂いて居りましたら、御礼を申し上げます・・・(謝&拝)