・Boliviaでの彷徨い・・・(帰国後編-8) | 日本哭檄節

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還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 けふ(今日)には、何とか『道の駅廻り編』を終わらせねば、明日は、あの大震災から

『13年目の日・・・!』

を迎えると為っては、遊んで居る訳には行かないわな・・・(汗)

 

 だが・・・、その前にチョイとご紹介して措けば、ジジイがお世話になった

『ビジネスホテル・ARM FUTABA・・・

さんとは、実に有難いホテルで、ジジイが、二晩駆け込んだ『居酒屋さん』の1階には、何と、

『宿泊者無料のサウナ付き大浴場・・・』

が設けられて居て、サウナ好きのジジイには、天国のような処・・・!

 

 

 

 

 

 如何ですかな・・・?!

 

 これだけの施設が備えて在るのに、こうして盗人撮影が出来るほど入る方は少なくて、貸し切り状態だったし、この下駄箱の木札錠など、懐かしいと云うか粋と云うか・・・(笑)

 

 それもだが、サウナに入って14、5分粘った後浸かる冷水風呂の冷たさには、ジジイも我慢が利かないほど冷たくて、

『さすがは、阿武隈山系の地下水は、気合いが違うなあ・・・!』

と想わざるを得なかったが、お客さんが少ない中で、サウナに同室した方に、

『どちらからですか・・・?!』

と尋ねるのは、ジジイの悪い癖で・・・(汗)

 

 二日目に入った時には、新潟からお越しになって居る先輩(=7歳)で、越後のご出身となれば、ジジイのネタは、彼の昔、『コンピューター付ブルドーザー』と呼ばれ、『今太閤』とも持て囃された、

『田中角栄・元総理大臣・・・』

を語れば、越後の方で怒る人は先ず居ないし、ジジイには、この人を語らせれば、地元の人が識らない引出しもたくさんあるから、この先輩が、驚いて居たりして・・・(笑)

 

 更に、もう一人は、少し南の『いわき市』からお越しになって居るお方だったが、この方からは、いわき市に近い穴場スポットを教えて頂き、早速、翌日訪ねてみるモノ好きジジイだが、その穴場とは、此処・・・!

 

 

 古い方々なら、先ず耳にしなかった人は居ないで有ろう、昭和の歌姫『美空ひばりさん』が歌って大ヒットした、

『みだれ髪・・・』

のモチーフとなった

『塩屋の岬・・・』

である・・・!

 

 

≪ ♬ 髪のみだれに 手をやれば 紅い蹴出しが 風に舞う・・・≫

 

と聴けば、

『アア・・・、あの曲か・・・!』

と頷かれるだろうが、サウナで同室した方から、

『その麓に、美味しい海鮮料理を安くで食べさせるお店が在るんですよ・・・!』

と聴けば、胃は無いくせに、食い意地だけは張って居るジジイとしては、最早、外せない・・・(汗)

 

 

 

 

 

 

 中列の右側のひばりさんの画像が彫られた石碑は、前に立つとセンサーが反応して、下のスピーカーからこの曲が流れる仕掛けだったが、寒さと強風に小雨まで横に飛ぶ悪天候では、最後まで聴ける状態では無かったので、この石碑の反対側に立つ海鮮料理屋さんへと駆け込み、海鮮丼定食で腹を満たさせて貰ったが、店には、10人乗りタクシーをチャーターしておいでになったらしいご婦人集団が、賑やかにお食事中・・・(笑)

 

 

 右下の男性は、タクシーの運転手さん・・・!

 

 で・・・、ジジイが食べた海鮮丼定食は、これだが、これで1,000円しないのだから、聴いて居た通り、

『安くて美味しいんですよ・・・!』

は、嘘では無かった・・・(汗)

 

 

 然(し)かも、他にはお店も土産店も無い一軒家とは、何とした穴場か・・・?!

 

 天気が快ければ、モノ好きジジイとしては、歩いて20分ほどで登れると云う『塩屋岬灯台』にまで登って、そこから太平洋を睥睨してみたかったが、この悪天候と寒さでは、さすがに脚が進まなかった・・・(汗)

 

 

 小さな塩屋岬の半島の下に在る漁港も、本当に小じんまりした情緒の有る風情で、灯台まで登れなかったのは、誠、残念・・・!

 

 序でに識った被りをすれば、ジジイが幼かった頃大好評だったTVドラマの

『喜びも悲しみも幾歳月・・・』(=ドラマ名は、忘れて居る・・・汗)

も、此処も描かれて居たのだそうで・・・?!

 

 

 この三日目も、一応、道の駅も廻ったが、ジジイは、けふは、どうしても往ってみたい場所がもう一カ所在ったので、此処から、南相馬市へ・・・!

 

 お上(=政府)が、震災復興の為に、突貫で突っ走らせた彼の『常磐道』を走って、斯様な処へと向かったのだが、この突貫道路は、兎に角急拵えで造らねば為らなかったから、山裾を縫って走り抜けるが、このNippon 国と云う山岳にしては、

『トンネルが無い・・・!』

と云う、珍しい(=有難い)道路だ・・・(汗)

 

 

 

 だから、ハンドル片手に、CANONの安物一眼レフをAUTOモードにして措けば、こんな遊びも出来る訳で・・・(汗)

 

 この常磐道を、『浪江IC』まで走って、此処から阿武隈山系の裾野を北上して、斯様な処へ・・・(汗)

 

 

 

 南相馬市が運営する

『南相馬市馬事公苑・・・』

なる場所だが、『馬事公苑』と云えば、東京は世田谷区に在る、彼のJRA(=中央競馬会)のモノを連想されると想うが、此処相馬は、全国的に有名な、

『相馬野馬追・・・』

の御本家だから、馬には特別な想い入れをお持ちのお土地柄・・・!

 

 

 

 

 ジジイも、大の馬好き故に、この一大イベントを一度は拝見したいと想って居るのだが、未だ適わずだが、これまでは夏に催されて居たのだが、このところの『猛暑の夏続き』に、馬も乗り手も身が持たないと云うことで、今年からは、初夏の5月に催されることになったとは、善いことを教えて貰った・・・!

 

 さすがに、拡い土地を必要とする施設だから、些か山手に在るのだが、その途中は、けのふ(昨日)からの雪がまだ残って居て、こんな状態・・・!

 

 

 

 逆光で、お見苦しい顔が写って居ないのが幸いか・・・(汗)

 

 そして、辿り着いた『南相馬市・馬事公苑』では、夕刻間近の中を、厩舎まで見せて貰って、7頭の乗馬用に調教されたサラブレッドやポニーと戯れ・・・(汗)

 

 

 

 

 

 

 

 一番下の左側は、2頭居たポニーの一頭で、右側は、屋内馬術競技場だそうで、全国各地の大学の馬術部が合宿に遣ったりすると、厩舎の責任者の方が、飼い葉を与えながら教えてくださったが、さすが、馬術用に調教された馬は、ジジイを警戒することも無く顔を寄せて来てくれて、久しぶりに、馬と戯れさせて貰え、来て佳かったー・・・!

 

 因みに、これらの馬たちの所有者は、斯様な団体が飼って居られるのだそうで・・・!

 

 

 

『相馬教援隊・・・』

と云う地元の団体さんとは、さすがは『野馬追の郷』だわな・・・!

 

 

 

 実は、ジジイの産まれ在所の薩摩は霧島にも、ジジイがド田舎役所時代から政治屋時代には、町営牧場が在って、一周800mの馬場が在って、JRAの休息馬を預かって居たり、春には、草競馬が催されたりして居たが、今は、もうオートキャンプ場にされてしまって、馬の姿も匂いも嗅げなくなって居るので、こう云う馬場風景は、何とも嬉しいと云うか懐かしいと云うかか・・・(汗)

 

 此処で、早薄暗く為りかける5時前だったので、もうこれ以上の長居も出来ないので、後は、調教馬場を眺めさせて頂きお暇を請うたが、何とか目的を達成したジジイは、大いに満足して、また、サウナが待って居る宿へ・・・!

 

 さあ・・・、二日を相馬に遊んだジジイの明日は、朝から、一番の目的地だった

『東日本大震災・原視力災害伝承館・・・』

を訪れれば、大番狂わせの福島の旅も終わりだ・・・!

 

 けふも、つまらぬ回顧文にお付き合い頂いて居りましたら、御礼を申し上げます・・・(謝&拝)