・Boliviaでの彷徨い・・・(帰国後編-9) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 先ず、、けふ(今日)が、あの大震災と原発災害から、

『丁度13年目の3.11の日・・・』

と重なって居ることに際し、犠牲と為られた2万人を越える犠牲者や行方不明者の方々のご冥福を、心よりお祈りさせて頂いて措く・・・(合掌)

 

 で、だ・・・!

 

 ジジイの大アクシデント、福島留め置き四日目(=2月23日)の朝は、少々早目の8時に宿を出発・・・!

 

 一番の目的地で有る『原発災害伝承館』は、宿から歩いても5分しか掛らない道路の真向かいに在るのだが、ジジイは、丁度正午にレンタカーを返却すべく延長して貰って居たので、午前中を有効に駆け廻らなければならない・・・!

 

 で・・・、先ず目指したのは、双葉町の隣の浪江町が『震災遺構』として残すことを決めて、今は一般公開されて居る、三陸海岸から2、300mしか離れて居ない沿岸沿いに在った

『旧・浪江町立請人(うけと)小学校跡・・・』

で有る・・・!

 

 

 

 

 

 残念ながら、公開時間は午前9時からと云うことで、駐車場のフェンス越しにしか中は覗えなかったが、2階建ての長さ100mは有りそうなモダンな建物の1階部分は、コンクリートの壁や柱を残して、モノの見事に津波に飲まれ荒らされたことが、容易に想像出来る残骸と化して居る・・・!

 

 この小学校で学んで居た小学生は、

『津波による死者が127名、行方不明者27人・・・』(=遺構公式HPより引用)

と云う犠牲者を出したと云うが、その子どもたちも、元気で居れば、上級生は、今はしっかりした社会人の年齢に成って居るし、低学年生だって、夢ある高校生や大学を目指す年齢に成って居るほどの時間が経過して居ることの理不尽を、想わない訳には行かなかった・・・!

 

 天(=大自然)とは、時に、我々に飛んでも無い無謀を強いるし、苦難を強いるのは、何かを意図して居ると考えなければ、この災害大国では暮らしては行けないってことだろうな・・・?!

 

 ただ・・・、ジジイが、外からだけだが、この『震災遺構』と名付けられた惨めな建物を観ながら想ったのは、且つての大二次世界大戦の敗戦遺構として、今も多くの見学客を集めて居る広島の『原爆ドーム』のように、後々も、此処が、他人の眼を引き続けて行ける施設で有り続けられるとは、どうしても想えないような気がして、この施設の行く末に一抹の懸念を覚えたのも事実で有る・・・!

 

 あと10年経った時、この施設が地元のお荷物に為らなければ善いがな・・・?!

 

 さあ、此処の見学を終えれば、後は、最終目的地を目指せばよいだけだが、そこへ向かう、今整備真っ最中の道路の左側に、延々と続く防潮堤が、ほんの指呼の間に視えたので、モノ好きジジイは、車を空き地に停めて、歩いて、その防潮堤まで行って、階段を登って堰堤に立ってみた・・・!

 

 その堰堤に立って振り返った後方に、今見て来たばかりの『請人小学校』の校舎が臨めたのだから、やはり、距離は200mかそこらしか無いだろう・・・?!

 

 

 一方の東側には、けふは幾分波穏やかな太平洋・・・!

 

 

 この海が、突然10m以上も膨れ上がって襲って来たと想うと、

『これじゃあ、あの請人の生徒たちは、逃げ場が無くて当たり前だわな・・・!』

と想わずには居られなかった・・・!

 

 周りは、全部が平坦な田畑に囲まれて居るのだから・・・!

 

 そんな切なさと云うか感傷に浸りながら目的地への拡い復興道路を走って居ると、斯様な健気さを感じさせる光景に・・・!

 

 

 

 これまた寝姿で申し訳無いが、周りには太い樹木や高い樹木も無い中で、この2本の松の樹が、幅20mほどを隔てて立って居るのは、何とも奇怪な風景の様にも視えたが、此処は、海岸からも1km以上は内陸に入って居る場所だから、潮の害っも薄くて生き残ったってことだろうか・・・?!

 

 その立ち姿に、何だか勇気を貰えたような気がしながら、双葉町方面へ少し走った小高い処から左の畑地を脇を視ると、今度は、このような光景が・・・!

 

 

≪ 津波跡 枯れの野にまばら 墓標あり・・・≫

 

 視れば直ぐ判るが、墓地と各家々が建立したと想える墓碑が、真新しい御影石で建てられて居るのだ・・・!

 

 昔は、もっと犇めき合って居たのだろうが、今は、空き地が半分くらいか・・・?

 

 墓地が此処に在るってことは、周囲には人の営み(=集落)が在ったってことでも有るのだろう・・・?!

 

 東北の人たちは、特に仁義に篤い方々が多いと聴くから、一旦、大津波に呑まれた我が家の墓碑を、Nippon の農耕定住民族の習慣としての

『ご先祖の墓を大切にする・・・!』

と云う慣習が、真っ先にこれを営ませたってことだろうな・・・?!

 

 と・・・、Nippon 人の人徳の篤さに感銘を受けたところで、さあ、いよいよ、此処に到着・・・!

 

 

 

 何ともご立派な建物だわなあ・・・!

 

 お上(=政府)が造ると、こんなモダンで立派な建物に為るのだろうが、会館時間の午前9時を15分ほど過ぎて居たが、『天皇誕生日』と云う旗日(=祝日)にしては、来館者はまばら・・・!

 

 ジジイの目的は、午前10時から始まる

『語り部さんの講話・・・』

を聴くことが第一の目的だから、それまでにはまだ間が有るので、それまで中を散策させて頂こうと想ったが、入った途端に、

『入館料・600円也・・・』

の券売機の前に立たされるとは・・・(笑)

 

 仕方が無いから、一応硬貨を投げ込んで入館券は買ったが、お上と東京電力が、自分等のミス(=人災的)を云い訳する為に建てたのなら、国民に、

『復興支援協力金・・・』

と云う、然も尤もらしい名目の電力量負担を強いて居るのだから、

『入館料など取るとは、けしからん・・・!』

と想うのは、この捻くれジジイだけか・・・(汗)

 

 

 入ったホールは、東向きの陽当りの快い上部ガラス貼りのモダンな造りだが、ジジイに云わせれば、

『キャッチボールでもするのかい・・・?!』

と毒吐きたくなるような・・・(笑)

 

 3階部までの順路には、このような写真パネルや原発災害発生時の作業員の防災服などが展示されて居たが、こんなのは視なくても、これまでのメディア報道で、何度も観て居る・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 原発伝承館に、ガードレールの曲がったヤツを展示して、何になる・・・!

 

 こんなのは、もっと惨いのが、他の施設にも幾つも在ったわい・・・!

 

 

 

 つまり・・・、この『原発災害伝承館』なる施設は、単に、『東日本大震災』の酷さを伝えて居るだけで、

『原発災害の今後の指針(=ビジョン)・・・』

など、一言も伝えては居ない

『空っぽの施設・・・!』

と云うしか無いと感じた次第・・・(汗)

 

 此処は、一体何を伝えたいのか、さっぱり判らない・・・!

 

 この程度の陳列物は、周辺自治体が各自で造った記念館に、幾らでも陳列されて居るではないか・・・!

 

 更には、ジジイが命題にして来た『語り部講話』の講師の方も、語られるのは、

『急に逃げろと云われて、先ずは埼玉県に避難して、今は、数年前前から宮城県仙台市に居を構え、そこから双葉町の田畑作りに通って居る・・・!』

と云う理不尽さは語られたが、ただそれだけのことで、自分たちの日常生活が、謂れも無く蹂躙されたことから感じた、

『原発の是非や危険性・・・』

になど踏み込んでは語られなかったのは、どうしたことか・・・?!

 

 この世界最大の原子力災害の

『殊の本質・・・』

を語らずして、何が伝承館なのか・・・?!

 

 その方(=薩摩の種子島出身の方)が、前から二列目に座って居たジジイに、真っ先に

『何をお感じに為りましたか・・・?!』

と訊いて来られたので、ジジイは、正直に、

『此処は、お上と東電が、国民への云い訳の為に造った施設とか想えませんね・・・!』

と云って返したら、困惑のお顔を為さったが、ジジイは、こう云う場では、お愛想が云えない質で・・・(汗)

 

 

 

 何が、

『原子力 明るい未来の エネルギー・・・』

だ・・・(笑)

 

 この先、まだ数十年を要すると云われる廃炉作業の間のビジョンと、今後のNippon の原子力政策の方向を示してこそ、

『明るい未来の相馬地方・・・!』

を想像させてくれるのでは無いのか・・・?!

 

『仏造って、魂入れず・・・!』

とは、当にこのことで、語り部口座で毒吐き、アンケートにも、ビッシリ悪口を書き殴って外に出ようとする前に、一応、証拠写真を一枚お願いし・・・(汗)

 

 

 

 しかし・・・、あの語り部さんには、同郷の誼で、少し悪いことを云い過ぎたかな・・・(汗)

 

 お上の遣ることと云うのは、大方この手の誤魔化し方法だが、それにしても、余りにもお粗末と云うしか無いような・・・?!

 

 ガッカリして外に出たら、拡い芝生の前庭の端っこに、何やら気に為る看板が立て掛けられて居たので、近付いて視たら、読めば、

『原子力 郷土の発展 豊かな未来・・・』

と読めたが、未だ、このような看板を、後生大事に宿して居られるとは、何をか況やだわな・・・(笑)

 

 

 この時点で、時計は、もう午前11時・・・!

 

 此処から相馬の『原ノ町駅』までは、凡そ45分ほどだから、12時のレンタカー返却時間にはギリギリセーフと云う処か・・・?!

 

 最後は、首都圏へ向かう『特急・ひたち』を待つ原ノ町駅の待合室に飾って在った地元PRの画などで、気分を変えて下さいませ・・・(汗)

 

 

 

 
 

 車を返したトヨタレンタカーの、笑顔が素敵な相馬美人さんに、

『次は、野馬追を観に来ます・・・!』

などと愛想を飛ばしたが、果たして適うモノやら・・・(汗)

 

 てな訳で・・・、丁度『3.11の日』に、斯様な毒吐き駄文を綴ってしまって、誠お恥ずかしい限りですが、読んで頂いて居りましたら、御礼を申し上げます・・・(謝&拝)

 

【追伸・・・!】

 

 自宅に帰り着いて数日後(3月2日)の『NHK・ETV特集(教育)』で、

NHK・ETV特集/膨張と忘却

を観たら、我が国のこれまでの原子力政策が、どうやって決められて来たかが、実に良く判った・・・!

 

 結局、この国の政策と云うのは、常に、

『利益優先政治の産物・・・』

でしか無いと云うことをよく表して居るから、再放送が有ったら、是非ご覧に為ると宜しいかと想う・・・!

 

『良心』は、葬り去られて行くシステムが横行して居ることを、国民はもっと識らなければいけない気がするがなあ・・・!

 

 最後まで、余談を長々失礼しました・・・(謝)