・外国を識る(大陸編)・・・(61) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 酒に滅法弱い婿殿としては、アルコール度数・50度を超える『白酒』のお陰だったか、ぐっすり眠って目覚めた、北京観光最後の日となる、『6日目の朝・・・』も、外は、きれいな蒼空だったのを、妙にくっきり憶えて居るのが不思議だが、そそくさと、身形を調えた御義父上様とぶりっ子婿殿は、早々、

『北京飯店のレストラン・・・』

で、毎朝恒例のなった

『中華のバイキング・・・』

を認めたのだが、殊の他、

『お粥メインの朝食・・・』

を好まれる御義父上様に、昨日の朝から、密かに、薩摩の大先輩から教えて貰っていた、

『梅干し・・・』

などを、お勧めして、殊の他喜ばれて居た・・・(笑)

 

 これは、ジジイの大先輩(=建設会社の社長殿・・・)が、仕事の間を空ける挨拶に伺った時、

『中国に渡って来る・・・!』

と語ったると、如何にも経験者の口調で、

『オウ、哭檄・・・、中国に往くなら、梅干しを持って行け・・・!』

と自慢気に仰ったのだ・・・。

 

 その然も自信有り気な云い方では、

『毎日、あの脂っこい料理ばかり食べて居ると・・・、梅干しが食べたくなって仕方が無くなるぞ・・・!』

と云われ、

『中国の朝食は、お粥が主食だから・・・、梅干しで食べれば、美味しいから、役に立つぞー・・・!』

と教えられたジジイは、

『然も有りなん・・・!』

と考え、前夜、女房殿に云って、御義母上様手漬けの一袋を、そっと忍ばせて携えて来て居たのだが、それを、4日目の西安の朝、

『些か、胃がお疲れ気味か・・・?』

と想ったジジイが、

『こんなのを持って来てますが・・・⁈』

と云って差し出すと、眼を輝かせて喜ばれた・・・(笑)

 

 この想わぬ添え物で、お粥を2杯もお代わりして食べられた御義父上様は、元気を取り戻し、到って機嫌快く旅を続けて来られたのだが、今朝も、この方法でお粥をしっかり食べ、待ち受けて居たバスに、元気快く乗り込まれてのだったが、その朝、ジジイ等ご一行様が、一番に連れて行かれたのは、北京飯店からも然程離れて居ない、

『北京動物園・・・』

と云う、幼稚園か小学校に遠足で行くような処・・・(笑)

 

『何だよ・・・、北京まで来て、いきなり動物園かよ・・・!』

と云いたくなるシチュエーションだが、此処で、ジジイ等は、全員、眼を丸くして、まだ、Nippon でも限られた人しか見たことの無いだろう、

『無い珍獣・・・』

に会わせて貰うことになる・・・!

 

 それは、一時、Nippon 中を熱狂させた、斯様な

『世界の人気者・・・』

だった・・・。

 

(画像は、torippo.net より拝借)

 

 何も、1972[昭和57]年に、

『日中国交回復の使節・・・』

と云う大役を仰せつかって遣って来た、東京・上野動物園の、

『カンカン・ランラン・・・!』

の画像では無い・・・(笑)

 

 尤も、その頃は、既に、初代のパンダは、相次いで死亡して、上野のパンダ舎では、夫婦姿は視れない頃だったかも識れないが、此処では、当に、

『数え切れないほど(=20頭ほど)の熊猫(ションマオ=ジャイアントパンダ)・・・』

が、まるで、其処らの猿山で遊んで居るようにうろついて居たのには、唖然とすると云うか、度肝を抜かれると云うか・・・(笑)

 

 何せ、上野の、あの

『パンダ騒ぎ・・・』

でしかイメージを養って居ないから、

『パンダは、ガラス張りのパンダ舎の中に居るモノ・・・』

と想って居たし、希少動物の最たるモノだから、そんなにたくさん居るとも想って居なかったし・・・(笑)

 

 然(しか)も、我々が識るパンダは、あの不思議な黒白の身体が、きれいに手入れされて視えるモノだと想い込んで居たが、此処のパンダは、土の小山を転げ回って遊んで居るから、黒色は兎も角として、白毛の部分は、

『薄茶色に汚れて居る・・・』

のだから、そのイメージギャップは、かなり大きい・・・(笑)

 

(画像は、AFPBB.News より拝借)

 

 それでも、薩摩のオバサマたちは、大はしゃぎで、

『ワアァ・・・・パンダだあ・・・!』

と大声で燥がれ、早速、外柵ギリギリまで近寄って、写真に収めたり、そんな当方の事情など一向構わず、素知らぬ素振りの熊猫くんをバックに、写真に納まったり・・・(笑)

 

 まあ、確かに愛嬌の有る表情の珍獣では有られるが、これだけ何頭も一緒に眺めると、あのNippon でのバカ騒ぎが、

『何だったのだろう・・・⁈』

と毒吐きたくなるほどだが、これが、後に云われるようになる、この国の

『パンダ外交・・・』

の片棒を担ぐ、重要な

『外貨獲得の資源・・・』

だとは、あの頃のジジイの頭には、まだ浮かんでは居なかった・・・(汗)

 

 そして、此処での

『一燥ぎ・・・』

を終えたご一行様は、そこから、北京の街を、どの方向かは判らないが、郊外へ離れる方向へと進路を採り、段々、周囲が低い丘のような山のような光景の処へと連れて行かれたが、向かうバスの中で、袁さんが、

『これから向かう処は・・・、明代から清朝までの皇帝たちが祀られた陵墓群でーす・・・!』

と云われたが、根が不徳なジジイは、

『エエ‥・、また墓かよー・・・⁈』

などと想ってしまい、

『中国人って・・・、本当に墓好きだなあ・・・!』

と、胸の内で、毒吐いて居た・・・(汗)

 

(つづく・・・)