・外国を識る(大陸編)・・・(12) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 Boeing 727の機体が、どんどん高度を下げ、コースを調えるように、胴体を若干斜めに傾けた時に、御義父上様の横顔越しに、楕円形の小窓から視える

『上海の街・・・』

は、謂わば、

『緑の大海に浮かぶ白い島・・・』

と云うほどにしか視えない気がしたが、その緑の眺めの中央に、陽光を照り返して、白く輝(ひ)かる河筋が、蛇行を重ねながら陸地の奥へと昇って行って居るように視えた・・・。

 

(画像は、goo news  より拝借)

 

 それが、彼の有名な

『揚子江だろう・・・?!』

と云う察しは直ぐに着いたが、確かに、上空から眺める川幅の広さは、Nippon の狭隘な川筋しか視たことの無いジジイには、桁違いに広く視え、御義父上様が、我が故郷、薩摩の錦江湾を、

『川に視えた・・・!』

と喩えられた意味が、歴然と掴めた気がした・・・。

 

 その揚子江を、若干遠目に視降ろすようにしながら、727は、この緑野の中に浮かぶ白い島のような上海の街の上空を掠めるように高度を下げて、

『上海虹橋国際空港・・・』

に、実にスムーズにランディング(=着陸)した・・・。

 

『市街地近くに在る空港・・・』

と云っても、何せ、国土は、

『掃いて捨てるほどにお拡いお国・・・』

だから、空港の広さでも、Nippon の羽田や伊丹などの都市近郊空港の広さなどの比では無い

『ダダッ拡さ・・・!』

を感じる・・・。

 

(画像は、FlyTeam より拝借)

 

 兎に角、滑走路から視えるターミナルビルまでの距離が、相当遠く視えるし、そんなターミナルビルの前に駐機して居る飛行機同士の距離も、Nippon の飛行場の3倍くらいは有りそうに視えた・・・(笑)

 

 そんなダダッ拡い空港に着陸して、滑走路からエプロンへと向かう景色を、窓から、得も云われぬ満足気な顔で覗き視て居られる御義父上様に、幾分、気安気に、

『着きましたねー・・・!』

と小声で声を掛けると、御義父上様が、その満足気なお顔のままで、

『ウン・・・!』

と云うように頷かれ、

『フー・・・』

と、一息深いため息を吐かれたような気がしたが、その一息には、永年、温め続けて来た

『積年の想い・・・!』

が込められて居るような気がして、今朝までもが、些か気を重くしながら出掛けて来た『ぶりっ子婿殿』だったが、

『こりゃあ、佳い旅にして上げなきゃいけないな・・・!』

などと、殊勝な気持ちになったりして・・・(汗)

 

 この御方と御縁を得て、もう彼是四年にもなろうと云う時期だったが、普段が、実の息子たちも、

『用が無ければ、寄り着かない・・・!』

と云うほどに頑固で厳ついだけにしか視えないお顔が、この日ばかりは、この

『ぶりっ子婿殿・・・』

にもはっきり判るほどに崩れて視えたのだが、その崩れたお顔を視ながら、想わず、

『独り娘(=我が女房殿)が、初産をした時でも、此処まで崩れて居なかったぞ・・・!』

と想うと、おかしさを禁じ得ず、想わず、

『難儀な人生を、歩いて来られたのだよなあ・・・?!』

と想えたりして・・・(笑)

 

 余談になるが、何せ、この御仁・・・。

 こう視えて(=と云っても視えないが・・・汗)も、その宿された素養は相当なモノで、中国文学は嗜まれるは、日本史にはお詳しいは、万葉集は好まれるは、おまけに俳句まで詠まれるのだから、なかなかに侮れないお方で、さすがに、

『出来れば、中学の先生になりたかった・・・!』

と仰るだけのことは、十分に窺える御方だったのだ・・・(笑)

 

 ただ、その厳ついお顔と頑固さ故か、授かった三人の子供たちは、それを

『反面教師・・・』

として育ったようで、誰も、同じ趣味を嗜む者が居らず、辛うじて、我が女房殿が、些かの読書を嗜み、児育て家事の合間に、当時、若い女性たちに流行って居た

『シドニー・シェルダン・・・』

なんぞを、好んで読んだりはして居たが・・・(笑)

 

 尤も、その素養に些かでも近付いて、

『快い婿ぶりっ子・・・』

に勤しませて貰おうと気負ったお陰で、ジジイも、遅ればせながらも、若干は、その素養を積ませて貰えの今日が有るのだから、この御仁には、心から感謝しなければいけないのだが・・・(汗)

 

 そんな余談は兎も角として、スチュワーデスさんの、些か鼻に掛ったような上品な口ぶりの、

『皆様・・・、当機は、只今、上海国際空港に到着致しました・・・!』

と云うアナウンスが流れると同時に、機内は、一気に、ざわついた空気が漂い始めた。

 

 乗って居る乗客全員に、

『海を渡った識らない国に来た・・・!』

と云う興奮が漲って居るようで、機体が、所定の駐機場に停止すると同時に、薩摩のオジサン&オバサンたちが一斉に席を立ち、否応無く騒然とした雰囲気に包まれる・・・。

 

 そんなオジサン&オバサンたちを、如何にも添乗員然とした

『紺色スーツ・・・』

の何人か諫めたり促したりしながら、自分のグループ(=旅行社)毎に纏めて、機体の前に座った組から次第に降りて行き、最後から二番目くらいが、我が

『MBC開発組・・・』

だったような・・・?

 

 前方が、すっかり空いた機内を、先頭に立って、右手に

『MBC・・・』

と白抜きで記された紺色の小旗を掲げたH田さんの後に続いて、727の狭い通路を前方へ歩き、一番前の出入口手前で、『JAL』じゃ無い

『ANAの制服のスチュワーデスさん・・・』

たちの、如何にも愛想を振り撒く、零れるような笑顔のお見送りを受けて、さあ、いよいよ、

『憧れの中国大陸への第一歩(=と云っても、まだ中空だが・・・汗)

を印した訳だ・・・(笑)

 

(つづく・・・)