出国手続きを終えて、搭乗ロビーへと踏み込んだジジイの眼に飛び込んで来たのは、エプロンに駐機して居る
『T字尾翼の727型機・・・』
だった・・・!
(画像は、Fly Team より拝借)
所謂、
『セブン・ツー・セブン・・・』
と呼ばれる名機だが、当時は、既に、ANA の主力旅客機は、あの田中角栄氏への
『Peanuts(ピーナッツ)5個・賄賂疑惑(=外為法違反容疑)・・・』
で有名になった、ロッキード社製の
『トライスター・・・』
になって居た時代で、国内線でも『727型機』は、どんどん影が薄くなりつつ有る時代でも有ったから、
『オウ・・・、珍しい飛行機に乗れるなあ・・・!』
と嬉しくなったりして・・・(汗)
ジジイの記憶では、あの『T字尾翼の727』は、確か、
『客席数、200人弱・・・』
だったと想う(=調べたら『169~178席』となって居た・・・)から、つまりは、
『ド田舎発着・チャーター便・・・』
として飛ばすには、丁度善いキャパシティー(=規模)だったと云うことだろう・・・?
しかも、
『飛行時間、3、4時間・・・』 (=北京・鹿児島間でも・・・)
で足りるのだから、些か客席が窮屈に感じようが、ド田舎オジサン&オバサンさんたちは、そんなことに頓着したり、文句を唱えたりはしない訳で・・・(笑)
その頃、
『エコノミー症候群・・・』
なんて言葉が有ったかどうかも記憶に無いが、若し有ったとしても、そんなのが気になる距離でも無ければ、そんな繊細なメンタリティーなど宿そうにも無い
『心ウキウキ、オジサン&オバサンご一行様・・・』
だった・・・(笑)
一階ロビーで渡された座席チケットは、云うまでも無く、
『御義父上様との連番・・・』
な訳で、幾分、後方の座席だったと憶えるが、
『MBC開発・ご一行様・・・』
として纏まって、一オクターブ音調を上げたオバサマ方が、
『アッ・・・、此処だ・・・!』
とか
『アア・・・、窓際じゃ無かったー・・・!』
とか勝手を宣いながら、それでも、お顔は、誰の眼にも弾んで視えるのは、疑い様も無い御様子で・・・(笑)
727型機は、
『3&3・・・』
の6列シートだったかなあ・・・?
折快く、窓際からの2席を貰えて居たジジイは、自分の席が窮屈になることは覚悟の上で、当然、窓際の席を、御義父上様にお譲りする訳で・・・(汗)
御義父上様も、さすがに
『飛行機に乗るのが、初めて・・・!』
と云うお立場では無かったはずだが、やはり、夢にまで見た
『中国大陸への旅・・・』
なのだから、その旅を、窓の外を眺めながら運べば、自ずと、旅情も、否応無く増すというものだ・・・(笑)
ソツの無い婿殿は、そんなところの気配りは、おさおさ怠りは無い・・・(汗)
更には、御義父上様の旅情を掻き立てるために、最初の目的地である
『上海空港・・・』
までの二時間ほどを、御義父上様の、若かりし頃の中国大陸での想い出を蘇らせるために、色々、細かい質問も投げ掛けたりして・・・(笑)
我が女房殿の御義父上様が、
『赤紙(=召集令状)一枚・・・』
をPASSPORTにして、最初に渡った大陸は、中国でも東北部に当たる
『大連・・・』
だったのだとは、これまでにも幾度も聴かされて居たが、そこから、戦況厳しくなって行く中国南部方面へ、
『転戦に次ぐ転戦の連続・・・』
だったそうで、最終的に終戦を迎えたのは、上海から南京を過ぎて、揚子江沿いを更に西に上った
『漢口(=現・武漢市)・・・』
だったそうだが、そこでの、約一年近い
『捕虜生活・・・』
を体験して、再び、上海に連れて行かれて、そこから船で、鹿児島港へと引き上げて来られたのだそうで・・・。
ジジイが女房殿を娶った頃は、盛んに、TVや新聞などが
『南京大虐殺・・・』
などと云う悲惨な戦争犯罪が、
『有ったの・・・、無かったの・・・?!』
と論う時代だったが、御義父上様は、そんな報道を耳にする度に、
『儂らが(南京を)通った時には、そんなことは、最早昔の話になって居たから、南京で何が有ったかは、識らん・・・!』
と、憮然とした顔で仰るのだった・・・。
ただ、体験した戦争と云うモノへの想いは複雑で、
『戦争は、人を狂わせるから、何が有ってもおかしくは無い・・・!』
とも仰り、然も怪訝さを宿した顔と口調で、
『あんなバカでかい国を相手に喧嘩をして・・・、本当に勝てると想って居たのか・・・?』
と云われるのも、常だった・・・。
御義父上様の言葉を借りると、
『往っても往っても、風景が変わらい国・・・!』
だったそうで、
『まるで、真っ昼間に、キツネに化かされて居るような気分だった・・・!』
と云うことでも有ったようだった・・・。
そんな苦い経験が宿るのに、何で、
『もう一度、往ってみたい国なのだろう・・・?』
と不思議に想うジジイだったが、
『そこが、あの国の不思議さだよ・・・!』
と嬉しそうに笑われ、
『あのバカっ拡い大陸の空気は、この国(=Nippon )では吸えないからなあ・・・!』
と仰り、
『あの大陸に立てば、モノを視る物差しが違って来る・・・!』
のだそうで、
『揚子江なんかを傍で眺めると、日本の川なんて、全部が、小川にしか視えない・・・!』
と苦笑いされ、
『儂は、引揚げて鹿児島の港に着いた時、錦江湾を眺めて、これは川だと想った・・・!』
と、然もおかしそうな顔で仰るのだった。
鹿児島のシンボルである桜島を対岸に視る『錦江湾』は、一番狭い処でも『幅4km』を有するのだが、その湾が、川に視えるほどの
『揚子江と云う大河・・・』
とは、果たしてどれほどの広さが有るのかを想像するだけでも、確かに、物差しが違って来るような気はしたが・・・(汗)
(正面が、薩摩のシンボル桜島だが、この間に横たわる錦江湾が、『川に視えた・・・』と云うのだから、ジジイも、否応、そそられる訳で・・・汗)
そんな御義父上様の、
『懐かしい感懐・・・』
を呼び起こしながら、やがて、Boeing 727型機の窓外の眼下に、
『広大な緑の沃野・・・』
の姿が現れ、ジジイたちの乗った全日空機は、次第に高度を下げて、いよいよ、上海の街の中心地に近い処に開かれた
『上海・虹橋(ホンチャオ)国際空港・・・』
へと着陸したのだが、Nippon と中国の時差は2時間だから、到着したのは、
『鹿児島空港を出発した時間と一緒・・・!』
と云う、何とも妙な気分の中で、ジジイの
『うっかり一言・・・』
からの弾みで絡まされた、
『舅殿&婿の中国・6泊7日の珍道中・・・』
が始まったのだった・・・(笑)
(つづく・・・)