・外国を識る(大陸編)・・・(11) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 出国手続きを終えて、搭乗ロビーへと踏み込んだジジイの眼に飛び込んで来たのは、エプロンに駐機して居る

『T字尾翼の727型機・・・』

だった・・・!

 

(画像は、Fly Team より拝借)

 

 所謂、

『セブン・ツー・セブン・・・』

と呼ばれる名機だが、当時は、既に、ANA の主力旅客機は、あの田中角栄氏への

『Peanuts(ピーナッツ)5個・賄賂疑惑(=外為法違反容疑)・・・』

で有名になった、ロッキード社製の

『トライスター・・・』

になって居た時代で、国内線でも『727型機』は、どんどん影が薄くなりつつ有る時代でも有ったから、

『オウ・・・、珍しい飛行機に乗れるなあ・・・!』

と嬉しくなったりして・・・(汗)

 

 ジジイの記憶では、あの『T字尾翼の727』は、確か、

『客席数、200人弱・・・』 

だったと想う(=調べたら『169~178席』となって居た・・・)から、つまりは、

『ド田舎発着・チャーター便・・・』

として飛ばすには、丁度善いキャパシティー(=規模)だったと云うことだろう・・・?

 

 しかも、

『飛行時間、3、4時間・・・』 (=北京・鹿児島間でも・・・)

で足りるのだから、些か客席が窮屈に感じようが、ド田舎オジサン&オバサンさんたちは、そんなことに頓着したり、文句を唱えたりはしない訳で・・・(笑)

 

 その頃、

『エコノミー症候群・・・』

なんて言葉が有ったかどうかも記憶に無いが、若し有ったとしても、そんなのが気になる距離でも無ければ、そんな繊細なメンタリティーなど宿そうにも無い

『心ウキウキ、オジサン&オバサンご一行様・・・』

だった・・・(笑)

 

 一階ロビーで渡された座席チケットは、云うまでも無く、

『御義父上様との連番・・・』

な訳で、幾分、後方の座席だったと憶えるが、

『MBC開発・ご一行様・・・』

として纏まって、一オクターブ音調を上げたオバサマ方が、

『アッ・・・、此処だ・・・!』

とか

『アア・・・、窓際じゃ無かったー・・・!』

とか勝手を宣いながら、それでも、お顔は、誰の眼にも弾んで視えるのは、疑い様も無い御様子で・・・(笑)

 

 727型機は、

『3&3・・・』

の6列シートだったかなあ・・・?

 

 折快く、窓際からの2席を貰えて居たジジイは、自分の席が窮屈になることは覚悟の上で、当然、窓際の席を、御義父上様にお譲りする訳で・・・(汗)

 

 御義父上様も、さすがに

『飛行機に乗るのが、初めて・・・!』

と云うお立場では無かったはずだが、やはり、夢にまで見た

『中国大陸への旅・・・』

なのだから、その旅を、窓の外を眺めながら運べば、自ずと、旅情も、否応無く増すというものだ・・・(笑)

 

 ソツの無い婿殿は、そんなところの気配りは、おさおさ怠りは無い・・・(汗)

 

 更には、御義父上様の旅情を掻き立てるために、最初の目的地である

『上海空港・・・』

までの二時間ほどを、御義父上様の、若かりし頃の中国大陸での想い出を蘇らせるために、色々、細かい質問も投げ掛けたりして・・・(笑)

 

 我が女房殿の御義父上様が、

『赤紙(=召集令状)一枚・・・』

をPASSPORTにして、最初に渡った大陸は、中国でも東北部に当たる

『大連・・・』

だったのだとは、これまでにも幾度も聴かされて居たが、そこから、戦況厳しくなって行く中国南部方面へ、

『転戦に次ぐ転戦の連続・・・』

だったそうで、最終的に終戦を迎えたのは、上海から南京を過ぎて、揚子江沿いを更に西に上った

『漢口(=現・武漢市)・・・』

だったそうだが、そこでの、約一年近い

『捕虜生活・・・』

を体験して、再び、上海に連れて行かれて、そこから船で、鹿児島港へと引き上げて来られたのだそうで・・・。

 

 ジジイが女房殿を娶った頃は、盛んに、TVや新聞などが

『南京大虐殺・・・』

などと云う悲惨な戦争犯罪が、

『有ったの・・・、無かったの・・・?!』

と論う時代だったが、御義父上様は、そんな報道を耳にする度に、

『儂らが(南京を)通った時には、そんなことは、最早昔の話になって居たから、南京で何が有ったかは、識らん・・・!』

と、憮然とした顔で仰るのだった・・・。

 

 ただ、体験した戦争と云うモノへの想いは複雑で、

『戦争は、人を狂わせるから、何が有ってもおかしくは無い・・・!』

とも仰り、然も怪訝さを宿した顔と口調で、

『あんなバカでかい国を相手に喧嘩をして・・・、本当に勝てると想って居たのか・・・?』

と云われるのも、常だった・・・。

 

 御義父上様の言葉を借りると、

『往っても往っても、風景が変わらい国・・・!』

だったそうで、

『まるで、真っ昼間に、キツネに化かされて居るような気分だった・・・!』

と云うことでも有ったようだった・・・。

 

 そんな苦い経験が宿るのに、何で、

『もう一度、往ってみたい国なのだろう・・・?』

と不思議に想うジジイだったが、

『そこが、あの国の不思議さだよ・・・!』

と嬉しそうに笑われ、

『あのバカっ拡い大陸の空気は、この国(=Nippon )では吸えないからなあ・・・!』

と仰り、

『あの大陸に立てば、モノを視る物差しが違って来る・・・!』

のだそうで、

『揚子江なんかを傍で眺めると、日本の川なんて、全部が、小川にしか視えない・・・!』

と苦笑いされ、

『儂は、引揚げて鹿児島の港に着いた時、錦江湾を眺めて、これは川だと想った・・・!』

と、然もおかしそうな顔で仰るのだった。

 

 鹿児島のシンボルである桜島を対岸に視る『錦江湾』は、一番狭い処でも『幅4km』を有するのだが、その湾が、川に視えるほどの

『揚子江と云う大河・・・』

とは、果たしてどれほどの広さが有るのかを想像するだけでも、確かに、物差しが違って来るような気はしたが・・・(汗)

 

(正面が、薩摩のシンボル桜島だが、この間に横たわる錦江湾が、『川に視えた・・・』と云うのだから、ジジイも、否応、そそられる訳で・・・汗)

 

 そんな御義父上様の、

『懐かしい感懐・・・』

を呼び起こしながら、やがて、Boeing 727型機の窓外の眼下に、

『広大な緑の沃野・・・』

の姿が現れ、ジジイたちの乗った全日空機は、次第に高度を下げて、いよいよ、上海の街の中心地に近い処に開かれた

『上海・虹橋(ホンチャオ)国際空港・・・』

へと着陸したのだが、Nippon と中国の時差は2時間だから、到着したのは、

『鹿児島空港を出発した時間と一緒・・・!』

と云う、何とも妙な気分の中で、ジジイの

『うっかり一言・・・』

からの弾みで絡まされた、

『舅殿&婿の中国・6泊7日の珍道中・・・』

が始まったのだった・・・(笑)

 

(つづく・・・)