2ヵ月ぶりの更新でございます。
実は「このまま自然消滅か!?」なんてことも、ぼんやり思っていました。
が、
また気持ちが盛り上がってきたので再開させていただきますよー。
さて今回は自分の心情というか信条というか、改めて基本的な部分を書いてみたいと思います。
反戦平和を望む僕ではありますが、
観念的というかイデオロギー的というか、
はたまた扇動的というか、あるいは脅迫的というか、
ひっくるめて独善的な護憲論というのが大嫌いです。
【改憲=タカ派=悪】vs.【護憲=ハト派=善】
これ、やめようよと。
憲法以外に限らず何か論じ合うときにですよ。
意見が違うからといって相手の人格まで否定するこたーないでしょう。
人を人と思わないところに戦争の種があるのだと、
僕はいま強く感じています。
それは憲法関連の取材・調査を通じて思ったこともあるし、
また拙著に寄せていただいた感想からも感じる部分がありました。
たとえば、これはある方からうかがった子供時代の体験談。
先の大戦中、高射砲にやられて降下した敵兵の亡骸を見たそうです。
ヘルメットの中に脳がそっくり流れ出ていた、と。
確実に忘れられない映像ですよね。
平和ないまでは毛虫一匹殺すこともできないという、その方が、
一体どんなリアクションを取ったと思います?
それを見て恐れるのではなく、悲しむのでもなく、歓喜したということです。
これが戦争なんですね。
これほどまでの憎悪を子供に植え付ける、狂った状況が。
相手も同じ人間なんですがね。
また十数年前に大学の卒論として『全共闘運動のパラドックス』というのを書いたんですが、
そのとき知った運動の停滞から「内ゲバ」「粛清」の激化という流れは嫌な気分にさせるものでしたね。
詳細はだいぶ忘れてしまいましたが、
同志呼ばわりしてた者同士でリンチとかしちゃうんですよ。死に至ったケースもあるとか。
相手も同じ日本の青年なんですがね。
・・・・・・・・・・・・・・。
当時をリアルに知らない自分としては、そこで思うワケです。
意見の対立や利害の衝突もあるけど、
人様を善とか悪とか簡単に決めつけないで、
根気よく一緒に考えていこうよと。
でないと政治的なパフォーマンスに乗せられるだけでしょう。
その成れの果てが戦争なんじゃねえのか?って。
「愛国」も然り、「○○闘争」もまた然り、
支持を得たいがためのパフォーマンスにオレら世代は乗らないぜ。
と言いたい(笑)
僕らがそんな意識を示していかないと(その方法は投票行動です)、
政治家さんもパフォーマンスでなく政策と行動で勝負してくれないと思うんですね。
「消費税は上げない」とか「憲法改●反対」というなら、
じゃあ自分なりの対案を、根拠をもって説明しなきゃ筋が通らない。
それをやらないでキーキー騒いでるから、僕ら引いちゃうワケですよ。
そんな意識でいるもんで、既成政党はどこも物足りなく思ってるんですけどね(笑)
選挙のときは消去法で民主党系の議員に一票投じることが多いです。
結局は政権選択ができる土壌が欲しい、ということで。
でも基本的には既成政党は全部ニガテ。
特に個人的に困っちゃうのが、、、、
関係者の皆さま、ごめんなさい!
社民党なんです。
6年前の参院選で大田昌秀さんが同党から出馬したときはホント困りましたね。
元沖縄県知事で、拙著でもインタビューさせていただいた方です。
なんだか「非拘束名簿式比例代表制」とかってやつのおかげで、
大田候補の名前を書いて投じても某T候補の票に化けちゃう危険性があったのですね。
僕が「大田昌秀」と書いて投じた票は社民党のものであって、
その社民党が獲得した議席数によっては、
当時テレビで有名なT候補の当選に貢献してオシマイって可能性もあったんです。
そのT候補が議員に資さない人物だってことは、
奇しくも議員になった後に露呈されるワケですが、
やっぱりその選挙では大田候補より目立ってたもんで得票数は多くてね。。。
結局は大田候補も当選したからよかったけど、
「T候補を立てる政党に投票したくない。でも大田昌秀さんには国会議員になって欲しい」
という板挟みで。
いやもう苦渋の決断でした。
で、今年の夏にまた参院選があるわけですが。
実は大田議員の後継者として山内トクシン氏を紹介していただきました。
かつて読谷村長を長く務めた方で、実際昨日お会いしたんですが、
この方がまた魅力的なもので困っちゃってます(笑)
どんな人物かというと、何というか、しなやかなんですよ。
「戦いは戦わずして勝つ」
「言葉しか僕らに武器はないんだよ」
「笑いもまた武器なり」
・・・・・・うん、知恵とユーモアを兼ね備えた方です。
僕自身もっとよく知りたいので、少々調べ物をしてからまた書きますね。
ではまた!