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『悲しみは慰めへの道しるべである。』


強がって突っ張ってみると疲れて終い、
背伸びして頑張ると燃え尽きて終う。
かっこつけて演技すると情けなくなり、
周りを気にし過ぎると自分が嫌になる・・・

「素直になれば楽になれる」と言われるが
なかなか素直になれないのが
これまた人間なのである。

世の中は「出来る人。出来無い人」と言うが
それは世間体の話である。
「人に迷惑をかけない様に・・・」と言うが
迷惑をかけない人より迷惑をかける人の方に
何故か人間味を感じてしまう・・・

「正しい事。間違った事」と決め事を
守っていれば其れでいいのかと言うと
それだけでは済まないのが人間でもある。
「生きる」ということは難儀なのである。

世界のベストセラー「THE BIBLE」の中に
こんな言葉がある。
「悲しむ者は幸いである。
 その人は慰められるから・・・」

これは魂のロッカーJESUSの
「山上の垂訓」
と言われる教えの一つである。
美しいガリラヤ湖を見放せる山の上から
群衆と弟子たちに語った言葉である。

あの平和主義者のガンディも、
公民権運動で戦った
マルティン・ルターキングJRも
この言葉に魅了されたと言われている。

世の中は平和や安全、
また安心を訴うわりには
悲しんでいる人が多くいる。

「悲しい」という字は「非の心」と書く。
「非」とは、道理に合わない。不正。
うまくいかないあやまり。そしられる。
と辞書に訳されている。

人は誰であれ、皆、非の心を持っている。
JESUSは「悲しむ者は幸いだ」
と述べている。

人の前でどんなにかっこを付けても
非の心があるならその人にとっては
悲しみなのである。

突っ張らなくてもいい。
気張らなくてもいい。
自分に対して素直になるといい・・・

人生には頭に来ることだってある。
嫌な奴たちもいる。
「如何してそんな事をするのか」と
信じられないことを遣る者もいる。

裏切り、裏切られ、
失敗し、挫折する事だってある。
悔やんでも悔やみ切れずに
失望して終うことだってある。
そんな気持を素直に受け止めることだ。

「非の心(気持)」と向き合う
悲しむ人は幸いなのである。
其の人は必ず「慰められる」と
バイブルは述べている。

今は「励まし」以上に「慰め」が
求められている時代である。
頑張れる人に
「頑張れ」と言っても通用するが、
頑張れない人に
「頑張れ」という言葉は
惨い言葉になって終う。

そんな人には慰めが必要なのである。
憂えている人の側で、只その空気を
一緒に呼吸して上げるだけでいい。

「分かるよ。
 何もしなくていいから・・・
 大丈夫だよ・・・」
とその様な思いを持って接するだけで
人は慰めを感じられる。

今日もしあなたに非の心があるならば、
それを無視するのではなく、
そんな自分と向き合って
受け止めてあげることだ。

「深く悲しんだ人ほど
 強く喜ぶ事ができる。
 また、沢山涙を流した人ほど
 多く笑う事ができる」
のである。

あなたを慰め抱き締めてくれる
大いなる存在は、
何時もあなたの傍にいてくれている。
悲しむ事が其の真実に
気付かせてくれるのである。

今日のあなたの一日が
そんな慰めを感じとれる
一日であります様に・・・


『苦しみや悲しみは
 決して無駄なことではない。
 あなたがより人間味を増すための
 隠し味となる。』

アーサー・ホーランド
2013.10.11