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村住知也 インタビュー3

金沢アートグミで「さてと これから 村住知也展」を開催中の村住知也さんにインタビューしました。
4回に分けて掲載します。今日は3回目。
村住知也 インタビュー1
村住知也 インタビュー2

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ー「さてと これから 村住知也展」では村住さんの作品とアールブリュット作品、民藝品を混在させていますが、アーティストとアーティストでない人の違いとは?


難しいですね。自分でアーティストと名乗った人がアーティスト、と思っていた時期もあったけど、そうするとアールブリュットの作者はアーティストじゃないということになってしまう。彼らには「理解してもらいたい」という意識はあるが、アート業界はその対象に入っていません。アーティストになりたいとも思ってないかも知れない。

でも僕自身はアーティストでありたいです。「アート」という言葉を使うと、色んなものと繋がることが出来るのを実感しています。

僕は今まで「アートって何か」とずっと考え続けてきました。「アートはコミュニケーションツールだ」と言われたときにはそうかも、と思ったし、「表情のようなもの」と言われればそうだな、とも思う。でも、いつもそれだけでは言い尽くされていないと感じるんです。それは「僕とは何か」という事とも密接に結びついているように思います。

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だからといって、アートがないと生きていけないか、と聞かれたら、「そうでもないんじゃないかな」と答えるでしょうね。僕は作らなくても生きていける人間だと思う。僕は今35歳で、美大の同期は25人いるけど、今でも作り続けているのは2人だけです。

作るのをやめた人達は、別に作らなくても良くなったからやめた、訳ではないと僕は思います。結婚したり子供が出来たり、生きていく上で色んな転換点があってやめた人がほとんどだと思う。「それくらいのことでやめるのは、元々大した意思や、切実さが無いからだ」と言う人もいるだろうけど、きっとそういう問題じゃないんです。

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それは運のようなもので、今も制作を続けている2人にしても、もしかしたら今まで、たまたまやめるきっかけが無かっただけかも知れない。僕だって結婚や就職をしたら、案外作らなくても良くなるかも知れません。ポイントの切り替えは、案外日常的なレベルで起こるものだと思います。逆にそんな簡単なことなら、僕は別に就職も結婚もしなくてもいいなぁと思うんです。

そしてますます「アートっておもしろいな」と思う機会は増えています。今回も展覧会を通して色んな人と話したり、発見したりしていきたいです。


「村住知也 インタビュー4」
へ続く。次回最終回。


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「さてとこれから 村住知也展」
2011年1月22日(土)~2月27日(日) 金沢アートグミギャラリー
10 : 00 ~ 18 : 00 入場料無料 水曜日休廊

村住知也
1975年生まれ 北海道出身 現在金沢市在住。1998年金沢美術工芸大学(油画)を卒業。
2005年 油絵にシールを貼ったコラージュ作品のシリーズで注目を浴びる。
国内外での発表は多数。なかでも海外アートフェアでの評価は高い。
レジデンスプログラムに参加する2003年頃より活動を多方面に向け始め、
舞台美術やアートコーディネート、他に美術指導員として県内7カ所の福祉施設にも通う。

村住知也 インタビュー2

金沢アートグミで「さてと これから 村住知也展」を開催中の村住知也さんにインタビューしました。
4回に分けて掲載します。今日は2回目。
村住知也 インタビュー1

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ー実際、展覧会が始まってみていかがですか?

今回、あえてクオリティや見応えを意識していない展覧会なので、もっと「雑だ」とかって酷評されるかと思いましたが、意外と「いい」とか「おもしろい」と言われるんですね。不思議です。

やってみて、明らかに僕以外の作品と僕の作品との間に共通点がある、という事が、よりはっきりしました。正直、僕がこれらの作品を模倣しているんだな、と改めて気づきましたね。

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あと展示した民藝品の道具をじっくり見ていて、「これは本当に機能的な形なのか?」という疑問を持ちました。明らかに、合理的には必要ない部分があるように見えます。そこには修飾的な意図や、個性が表れているのかも知れません。

あるいは「こういう風につくろう」と思っても、その通りにならなかったのかも。技術が足りなかったとか、素材が扱いきれないとか。

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僕もよくそうなるんですけど、うまくいかなかった部分を代用し続け、足りないものを補い続けることで奇形化していくということがある。これが逆に、すごくわくわくします。

村住家のコロッケには、ちくわが入っているんです。多分ずっと以前に何かの代替品として入れて、それがたまたま美味しかったので定着したんだと思います。今ではコロッケにちくわが入ってないと家のコロッケ、という感じがしません。…そういうものがアートだったら良いなと思います。仮に完璧なアトリエや技法があったら、僕は作れないと思う。


「村住知也 インタビュー3」
へ続く。


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「さてとこれから 村住知也展」
2011年1月22日(土)~2月27日(日) 金沢アートグミギャラリー
10 : 00 ~ 18 : 00 入場料無料 水曜日休廊

村住知也
1975年生まれ 北海道出身 現在金沢市在住。1998年金沢美術工芸大学(油画)を卒業。
2005年 油絵にシールを貼ったコラージュ作品のシリーズで注目を浴びる。
国内外での発表は多数。なかでも海外アートフェアでの評価は高い。
レジデンスプログラムに参加する2003年頃より活動を多方面に向け始め、
舞台美術やアートコーディネート、他に美術指導員として県内7カ所の福祉施設にも通う。

村住知也 インタビュー1

金沢アートグミで「さてと これから 村住知也展」を開催中の村住知也さんにインタビューしました。
(長いので、今日から4日、4回に分けて掲載します。)

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ーまずはこの展覧会のコンセプトについて、お伺いします。今回、村住さんの作品だけでなく、民藝品やアールブリュット(1)作品を一緒に展示したのはなぜですか?

そうですね。僕、彼らから影響を受けて作ってるんですよね。

アールブリュット作品については、彼らの「人に見せなくても成立する創作活動」に憧れがあるのかも知れない、と感じています。

人に見てもらうことを前提に作ると、現在のアートシーンや美術史的文脈、どんな作品が受けるか、注目されるかをやはり気にしてしまいます。でも、僕が福祉施設で教えている障がい者の人たちは、誰かに認めてもらうことや、見てもらうことを前提としていません。コミュニケーションツールとして作るのでもなく、作りたいから作る。

彼らの作品は個人的には「怖い」と思うものが多いです。自分でも認めたくない、心の闇を突きつけられるような。そういう感覚を、自分の作品にも持たせたいと思うんです。だから不安定な要素を取り入れたり、絵具を垂らしたりするんですね。

$金沢アートグミ特集ページ-mu3

また民藝については、以前、柳宗悦が「優れた美は我を殺すことによって何らかの力を得て作られる」というようなことを書いていたのを読んで「おかしいな」と思って引っ掛かっていたんです。僕がそれまで学んできた西洋美術では、オリジナリティや個が大事だと言われ続けて来たのに、民藝は我を消し去ることが大事だという。我を消したら一体何が作品を作るのでしょう。

土地土地に土着の神様や風習があって、必要に応じて有名無名の作家が偶像や民藝品を作ります。それは他の土地の人から見ると、すごく奇妙で醜かったりします。

僕らが普段信じている(信仰している、と言ってもいいかも知れない)一般的な「大きな価値観」というのは実は幻想でしかなくて、実際は「小さな価値観」の寄せ集めでしかないんです。こんなことから、僕にとっての「美」についての観念が曖昧になってきました。

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今回、僕の作品とこういった作品を一緒に見てもらえば、僕がやってみたいことが表れるんじゃないかと思いました。それを僕自身も知りたいと思ったし、またこの展覧会が、常識とか一般的な価値観に私たちがが抱く安心感を、揺るがすものになればと思っています。



「村住知也 インタビュー2」
に続く。



(*1)画家のジャン・デュビュッフェが命名。直訳すると「生(き)の芸術」という意味のフランス語。芸術文化に影響を受けていない人々によって作り出された作品、または文化的な伝統や社会的規範などにとらわれずに作られた作品。

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「さてとこれから 村住知也展」
2011年1月22日(土)~2月27日(日) 金沢アートグミギャラリー
10 : 00 ~ 18 : 00 入場料無料 水曜日休廊


村住知也
1975年生まれ 北海道出身 現在金沢市在住。1998年金沢美術工芸大学(油画)を卒業。
2005年 油絵にシールを貼ったコラージュ作品のシリーズで注目を浴びる。
国内外での発表は多数。なかでも海外アートフェアでの評価は高い。
レジデンスプログラムに参加する2003年頃より活動を多方面に向け始め、
舞台美術やアートコーディネート、他に美術指導員として県内7カ所の福祉施設にも通う。