■ はじめに

上記の本の感想だが、勝手にいろいろなところで脱線する。

著者はアミール・D・アクゼル。数学の専門教育を受けた人である。

本書はピタゴラスからゲーデルまで多くの数学者を扱っているが主人公はゲオルク・カントール。

しかし主題とは関係ないのにカバラについて長々と記述があるのは疑問。自分がよく知っていることを詰め込みたかったのか、あるいはページ数が足りなくて追加したのか?

カントールは、無限にもいろいろなレベルの無限があり、そのレベルが無限にあるということを示した。カントールは精神病院で死亡した。

本書にも出てくるクルト・ゲーデルは「毒殺される」という妄想で餓死した。

数学者で類似例を挙げるならばアラン・テューリングは青酸カリで自殺。「テューリングは間違って青酸カリを飲んだ」という説もあるが、これは彼の母親が強硬に主張したため。

「デカルトは毒殺された」という説もあるが、これは嘘っぽい。「デカルト暗殺」。
 


■ カントール以前

ピタゴラスは数に哲学的・宗教的な意味を付与し宗派を作った。一派は無理数の存在を発見し、それが宗教的信条と矛盾するため秘密にした。「無理数の存在を外部にばらした仲間を殺害したかも?」という説は面白い。

ガリレオ・ガリレイは数学とはあまり関係がないようだが、自然数と自然数の二乗がどこまでも対応していることで「無限集合とその部分集合は同じ要素数を持っている」ことを示した。

本書はガリレイが振り子の等時性を発見したときに、脈拍でもって振り子の周期を測定したとの逸話をそのまま紹介している。子供向けの伝記には同様の話が記述されているが、本書のような本ではこのような話は不適切。事実はタンクの下方に開けた穴から出てくる水の量を測定して時間を測った。

この話は「ニュートンはリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した」というのと同じレヴェル。このリンゴ説を作った犯人はフランス人のヴォルテール。そのレヴェルの話で万有引力が発見できるならば、ニュートンという天才は必要ではない。実際はケプラーの惑星の三法則とニュートンの力学の法則から導き出した。

無駄話が続いてしまうが。ガリレイは地動説で裁判を受けた。この話は「真実を追求する真摯な学者が弾圧を受けた」という印象を与えるが、ガリレイはローマ教会に非常に近い立場にいた人物である。

ガリレイは裁判の後「それでも地球は回る」と呟いたそうである。叫んだのではなく呟いたものを誰が聞き取って後世に伝えたのか知りたい。

ちなみにガリレイは当時の科学者としては珍しく結婚していた。だが正式な結婚はしてはおらず内縁関係。そして奇妙なことに自分の妻の結婚相手を探して奔走した。

ガリレイと同じく宗教的圧迫を受けたカトリックの司祭、ベルナルト・ポルツァーノは、ガリレイの発見が非可付番の無限集合についても成立することを示した。
 


■ カントールと関係した数学者

カントールに関係する人物を悪人と善人に分けるならば、悪人はカントールの師にあたるレオポルト・クロネッカー、デルタ関数で有名。最初は数学の考え方の相違が原因で対立が始まった。

学術上の論争にとどまっていれば若干度が過ぎようとも許されるかもしれない。だがしかしクロネッカーはカントールの就職や論文の掲載を妨害した。カントールは怒りっぽくまた行動が不安定ではあるが、自らの配下の学者まで動員しての妨害工作は異常だと言うことができる。

一方善人はカール・ワイエルシュトラス、リヒャルト・デデキント、イエスタ・ミタークレフラー。カントールは不幸ではあったが、少なくともこのような理解者がいたことだけは幸運だったと言える。

ワイエルシュトラスはギムナジウムを卒業後、しばらく働いた後、教員養成学校に入学し、中等学校の教師となった。その仕事の傍ら最先端の研究を行った。1854年ワイエルシュトラスの論文が数学専門誌クレレに掲載されると、たちまち話題を呼びベルリン大学の教授に招聘された。

カントールはベルリン大学でクロネッカーやワイエルシュトラスの講義を受けた。数学の中心地であったベルリン大学ではなくハレ大学に職を得た。

ワイエルシュトラスの学生だったミタークレフラーは、クロネッカーの妨害で論文を発表する場がなかったカントールに、自らが刊行するアクア・マテマティカで発表の場を提供した。ワイエルシュトラスは、(物理学のキャヴェンディッシュのように)自分の研究を発表する意欲がなかった人だが、ミタークレフラーは師の講義を纏め広めた。ついでながらノーベル数学賞がないのはノーベルとミタークレフラーの仲が悪かったためとも言われている。

ついでにキャヴェンディッシュ。彼が発表した論文は30編に満たないが、それでも偉大な物理学者。彼は研究結果を発表する意欲を持たなかった。

彼のほぼ百年後、これまた偉大な物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェル(→電磁気学の基本式、電磁方程式)はキャヴェンディッシュの遺産(←これの出所が不明)で設立されたキャヴェンディッシュ研究所の所長となって、キャヴェンディッシュのメモを研究した。胃癌に罹りながらも五年間。

結果、オームの法則、クーロンの法則もキャヴェンディッシュが発見していたことが判明。キャヴェンディッシュは地球の質量を測定したことても知られている。

また「水が化合物であることを発見したのは、キャヴェンディッシュかアントワーヌ・ラヴォアジエか?」という論争が発生した時にもキャヴェンディッシュ自身は無関心であった。ラヴォアジエはフランス政府の徴税人でもあったため、フランス革命でギロチンで首を切られた。

カール・フリードリヒ・ガウスの学生だったリヒャルト・デデキントも出世意欲がなかった人で一生高等工業学校の講師であった。しかし「デデキントの切断」にみられるように数学史に残る業績を残した。

カントールとデデキントは研究分野が似通っていたこともあり意気投合した。しかしハレ大学の教授枠に空きができてカントールがデデキントを推薦したがデデキントは怒って断ってしまった。
 


■ カントール

カントールは「無限にもいろいろなレヴェルがある」ことを発見した。代数方程式の解となる数(整数、有理数、無理数の一部例えば√2など)は無限である。これは最初のレヴェルの無限だが数えることができる(→可付番)。これをアレフゼロと呼んだ。アレフは某宗教団体の名称となっているがヘブライ文字の最初の文字。

自然数は1から始まって無限に続く。二つの任意の有理数の間の(1~(n-1))/nも有理数なので、任意の二つの有理数の間には無限の有理数がある。

これ以外の無理数(例えば円周率や自然対数の底)は、最初の無限とはレベルが異なる。もっとすごい無限であって数えることができない(非可付番)。さらにいろいろな無限がありうることを示し、無限の階層も無限に存在すると考えた。連続体仮説。

「自分がこんなことを考えていたら頭がおかしくなる」と思われるかもしれない。しかし安心してよい(笑)。カントールのような天才も精神を病んだ。何度も精神病院に入退院を繰り返し、それはだんだん頻繁になっていった。本書では「連続体仮説」に取り組むと入院することになったと指摘している。

苦しいことがあると何かに逃避したくなるのが人間である。カントールの場合はシェイクスピアに逃避した。「シェイクスピアは別人のなりすまし」という説があり、これを研究した。

シェイクスピアは、あれだけの有名人にも拘わらず、手紙類が一切残されていない。よって「シェイクスピアは誰かのなりすましではないのか?」という説がある。

有力な容疑者はフランシス・ベーコン。この説はストラッドフォード(→シェイクスピアの故郷)派という。だがシェイクスピアの墓にはちゃんと誕生日と死亡日が記されている。また当局に提出された遺言書があるという。私的にはシェイクスピアは単にそのような人ではなかったのかと思う。
 


■ バートランド・ラッセル

ラッセルは多岐にわたる学問研究と社会活動そして四度の結婚、二度の懲役刑と随分と忙しい人生を送った。ノーベル文学賞も受賞した。

しかし彼は何といっても数学者である。彼は「ラッセルのパラドックス」を提起した。パラドックスとは「私は必ず嘘をつく」といったたぐいのことである。数学ではパラドックスを契機にして大いに研究が進むこともありうる。

ラッセルのパラドックスにはいくつかのバージョンがあるらしいが、次のようなものである。「自分自身を含まない集合の集合(=R)を定義し、RはR自身の要素か否か?」。

禅の公案の様相を呈している。パラドックス自体を解決するのが目的ではなく、それを契機にいろいろ考えることが重要。その意味でも公案のようである。

ラッセルは前のカントールや後のゲーデルと違って精神的には正気を保った。
 


■ クルト・ゲーデル

ゲーデルもカントールやラッセルと同じような分野に取り組み功績をあげた。

ゲーデルが証明した「不完全性定理」は私ごときが説明できるものではないが、簡単に言えばつぎのようなものである。「公理体系は、自身が無矛盾であることを自身では証明できない」。

これは「容疑者自身の証言はあてにならない」ようなものと考えれば常識的には納得できるが、これを論理的に証明するなどということがどうしてできるのだろうかと途方にくれる。

著者はストーリーを作りたかったのかもしれないが、カントールと同じようにゲーデルも連続体仮説を追究して精神に異常をきたしたとしている。

そしてゲーデルが逃避した先はライプニッツ研究。多量の書籍を購入し精力的に研究した。ある書籍(書名は失念)ではゲーデルに対して「あなたが誰かを研究するのではなく、研究対象になるのはあなた自身です」と忠告したと記述している。

ライプニッツはアリストテレスと共に「万学の祖」と言われるほど多くの業績がある。ニュートンと微積分の先取論争をした。この論争でニュートンが嘘をついたことが判明している。我々が今日使用している微積分の記号はライプニッツが考案したものである。

ゲーデルはアメリカ市民権を取得するときの裁判でとつぜん「アメリカの憲法には矛盾がある」と演説し始め、付き添いで一緒にいたアルバート・アインシュタインが慌てて制止したという有名な逸話がある。

カントールは怒りっぽかったが前述のように理解者がいた。ゲーデルはトンチンカンだが妻や母ともうまくいっていたようである。アインシュタインとは年が離れていたが仲が良かった。
 


■ 数学的概念は実在するのか?

「数学は科学なのか」は意見が分かれるところだが、数学の成果が現代社会に大きく貢献していることは確かである。

「数学的概念は実在するのか、それとも実在しないのか?」と疑問を持たれる方がいらっしゃると思う。数学のある部分、かなりの部分が現実の世界に相応することは事実ではあるが、実は数学の体系は物理的実在とは関係はなく、抽象世界のものである。



今回の画像はマーガレット・ロックウッドの「(1945)欲望の女/The Wicked Lady」。