半藤一利さんと「日本のいちばん長い日」 | 編集長ブログ

編集長ブログ

ブログの説明を入力します。

 半藤一利さん

 
 先日、「日本のいちばん長い日」を観た。阿南惟幾をやった役所広司がいい。役所広司は何年か前に山本五十六も演じた。開戦反対派の海軍大将山本と最後まで戦争継続を主張した陸軍大将阿南を同じ役者が時期も経ずに演じるか・・・・、と多少違和感があった。それでも、観ているうちに、その違和感がすかっり消えてしまうほど、役所の存在感は強烈だった。
 二つの映画はともに半藤一利さんの原作だ。半藤さんは文藝春秋の編集者時代にお付き合いはなかったが、辞められてから何度か、仕事をお願いした。飾らない江戸っ子気質の方で、事実、東京の下町生まれだが、父方は長岡藩士の家系だそうだ。半藤さん自身も父親の生家
の長岡に疎開していた。同じ、長岡藩士の家に生まれた山本五十六への思い入れが強いのもうなづける。半藤さんの書いた『山本五十六』は、長岡藩士の家に生まれ、因縁の深い幕末の長岡藩士河井継之助に私淑したり、万葉集を愛読してよく和歌を読んだ軍人らしからぬ一面にも触れていて、得るところが多かった。阿川弘之さんの『山本五十六』とは違った面白さがあった。だから、映画になるとすぐ観に行った。最後のブーゲンビル島上空での戦死のシーンでは、思わず目頭が熱くなった。
 「五十六びいき」の半藤さんが、『山本五十六』で言いたかったことはよく分かる。「百年兵を養う」とつねづね語り、海軍中枢にあっても開戦反対を主張し続けた山本である。育ててきた部下たちがつぎつぎに戦死してゆくことに、耐えられぬ思いがあったことは察するに余りある。周囲の反対を押し切って、前線基地視察を強行した真意はなにか? 長官視察の情報がアメリカ軍側に知られ、暗殺の可能性があることも承知していたのではないか? 死に場所を求めての前線視察だったのではないか? 山本の死を巡る半藤さんの解釈はそこにある。
 一方、最後まで戦争継続を主張した陸軍大臣阿南惟幾は、後世の解釈が分かれる人物だ。半藤さんの解釈は、阿南は戦争終結を目指した鈴木貫太郎首相の真意を初めから理解し、クーデターの動きも見せる陸軍内部の強硬派を抑えるために陸軍大臣としてあえて戦争継続を主張して見せたもので、阿南の真意は、国体護持、天皇を守りたいとの一念であったと見る。阿南は昭和4年から4年間も侍従武官を務めており、その時代に昭和天皇の人柄に触れ、忠君の信念をいっそう強くしたと見る。
 山本もブレがなく、最後は自ら死を選んだといえる。阿南にもブレるところがなく、「一死大罪ヲ謝シ奉ル」と書き遺し、古武士のように介錯も断って自決している。二つの作品、二人の人物を通して、半藤さんは、「武士的な生き方」を書きたかったのではないか、といまは思っている。かつて、亀井勝一郎が、武士道の精神は戦前までは残っていたが、戦後は無くなってしまった、といっていた。C・Wにコルは、初めて日本にやってきたころ、海軍の生き残りの将校たちに会って、武士道的精神を感じたといっていた。
 映画『日本のいちばん長い日』を若い人たちに見てもらいたい。それと、役所広司は当代随一の映画俳優といえるんじゃないか・・・・・。