内田樹氏 この一ヶ月は、本作りに追われた。まもなく我が社から出る「水素」の本は、将来のわれわれの社会や生活が、水素と水素エネルギーによってどのように変わるかというテーマの本で、、私自身とても興味をそそられた。メタンハイドレードの話が出たときも興奮したが、新しいエネルギーとか資源の話にはなぜかこころ惹かれるのだ。
「安保法制」の強行採決で、このところ久々に日本人の眼が政治に向いている。最近の若い人たちの政治音痴や政治に対する無知・無関心には絶望していたけれど、「安保法制」の議論の高まりが、ほんの一部であるにせよ、若者たちを政治に向かわせている。
そんな動きの一つ、学生たちが立ち上げた「SEALDs」の活動に、武藤貴也という若い自民党の議員が難癖をつけた。批判などというレベルのものではなく、イチャモンをつけたという類の発言をツイッターに書き込んだ。発言は撤回しない、とこの議員は強気である。
この議員の過去の発言にもとんでもないものがあって、それも問題になっている。憲法の3大原則である「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」について「大きな問題を孕んだ思想だ」とブログに書いていたというのだ。思わず笑ってしまった。おいおい、やめてくれよ・・・・。
首相を支える若手議員の中から「マスコミを懲らしめないといけない」という発言が飛び出したのは、6月下旬だった。安倍首相は、「表現の自由は民主主義の根幹をなすものだ」と彼らをかばった。そんな発言をした彼らにも表現の自由がある、というのだ。
ちょっと待ってほしい。表現の自由は誰にも保障された権利ではあるが、それは、国家権力の支配を受ける大衆の権利として生まれたものだ。政治的権力を持つ与党の政治家には自ずから発言に制約があるのだ。首相も若手政治家も、表現の自由について根本がわかっていない。
礒崎という首相の補佐官が安保法案について「法的安定性は関係ない」と発言してマスコミと世論の反発を受けると、すぐに陳謝して発言を撤回した。はっきりいえば、法的安定性をもっとも大事にしなければいけない立場の政府高官である。信じがたい発言だ。この人はたびたび問題発言を繰り返しているから、こういう大ポカをやりそうな要注意人物ではあった。東京大学法学部を出た官僚出身の政治家である。大学でのお勉強はできたのかもしれないが、この人には知性というものがまったく感じられない。
そもそも、想像力が正しく働かないということが、知性の欠如を物語っているのだ。問題発言を繰り返す若手の政治家たちを見ていると、政治家の劣化を感じないわけにはいかないが、なによりも、その想像力の欠如、知性の欠如というものに驚かされる。
若手政治家だけではない。マスコミと世論の批判を受けて、しばしば発言を翻す安倍首相にも知性の欠如を感じる。自分の発言がどういう事態を起こすかという想像力が欠けているのだ。安保法制をめぐる国会での首相の答弁を聞いていると、この人には論理的思考力が欠けていると思うことがよくある。
それでも、政権はつい最近まで国民の高い支持率を保っていたし、ベテランの政治記者から、「まれに見る長期政権になるかもしれない」という話しもきかされていた。だから、この国はいったいどうなっているのだろうかと、ずっと腑に落ちない気持ちだった。
そんな思いでいたとき、 内田樹の「日本の反知性主義」を読んで、すとんと腑に落ちる感じがしたのだ。内田はいう。政治家、メディア、ビジネス、大学まで、いま、日本という社会の根幹部分に反知性主義が蔓延していると。そうなんだ、そうなんだよ・・・・・。この国は変だ! と思いながら、賛同者があまりいないことに悩んでいたけれど、内田の呼びかけに応じ、白井聡、高橋源一郎、鷲田清一といった優れた書き手もこの本に一文を寄せていたの見て、救われる思いがした。そういえば、精神医学の気鋭、斎藤環も現政権の「反知性主義」を指摘していたっけ。
内田樹は先年、「日本辺境論」という優れた日本人論もものしている。当代随一の論客といえるだろう。この人は、単なるインテリではなく、武闘派のイメージがつきまとう。日本には珍しい行動するインテリだと思っていたが、やはり行動していた。安保法案に反対する「学者の会」の中心メンバーとして、官邸に抗議に出かけたりしている。
彼が声を大にして言い出した「日本の反知性主義」というフレーズが、最近になって定着しはじめている。今週の「週刊朝日」も【安倍首相の反知性主義】という特集を組んだ。内田は暴走する政権へのノロシをあげた、と思っている。