アルフレッド・アドラー先週は、あまりにバタバタして、ブログはお休みした。知人の女性ががんで亡くなったり、急ぎで本を書くことになったり・・・・・。
それでも土曜日には、慶応の三田校舎で仏文の先輩の名誉教授がやっている「ヨーロッパとは何か」という連続講座で3時間も歴史の話を聴いた。中世ヨーロッパの話は、知らないことも多く、いつ聴いても面白い。
最近、アドラー心理学の本がたくさん出版され、またよく売れる。ちょっとしたブームの様相。アドラーはフロイトやユングとほぼ同時代の心理学者だ。ユングへの関心も日本では根強いものがある。河合隼雄先生の「ユングの心理学」という連続講演を、わが社でCD集として何年か前に出したが、今でもよく売れる。ユング人気もさめているとは思えないのに、いまなぜまた、アドラー・ブームなのだろう。
気になっていたので、先日、岸見一郎氏の本を2冊読んでみた。ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」と「アドラー心理学入門」。膝をポンと打つように納得できることがいくつもあった。何よりアドラーが現代人に受け入れられるのは、「縦の人間関係」ではなく、「横の人間関係」を大切にしているところだろう。アドラーは教育を通じて社会改革をしようとした珍しい心理学者だが、子供をほめるのも叱るのも、結局、縦の関係であり、縦の人間関係は精神の健康を損なう大きな要因だといっている。なるほどそうかもしれない。
では、ほめることもなく、叱ることもなく、横の人間関係を作ってゆくにはどうすればいいのか? アドラーは、「喜びを共有すること」と「その気持ちを相手に伝えること」によって、相手を勇気づけることが大事なのだという。「うれしい」「ありがとう」「助かった」といった言葉が普通に出てくれば、人間関係はとても変わってくる、というわけだ。そういう言葉かけは、いま、カウンセリングの世界で、いい人間関係を作るために必要といわれる「肯定的ストローク」のことである。横の人間関係を作ることの妨げになるのは、人より優秀であろうとする「優越コンプレックス」や、その反対の「劣等コンプレックス」だったりするという。アドラーは「普通である勇気」を持てといっている。
また彼は、愛があるからいいコミュニケーションが成立するのではなく、いいコミュニケーションがあるところに愛が生まれるともいっている。つねづね、そう思っていたから、思わず「そのとおり!」とひとりごちた。
岸見氏によれば、アドラーは書斎派ではなく、いつもいつも町のカフェで人としゃべることが活動の基本だったそうだ。夜中の1時ごろまでカフェで人々と話していることもしばしばあったとか、アメリカ時代には、1日数回の講演もこなしたとかいわれている。行動的、精力的、前向き、上から目線がとにかく嫌いな学者だったという。
読みながら、誰かに似ている似ていると考えていたら、はたと思いあたった。吉田松陰によく似ている・・・・。松下村塾での松陰は、教え子たちと対座することなく、同じ方向を向いて、「ともに学ぼう」という姿勢だった。野山獄に投じられれていた時代、囚われていた同じ獄中の人々に声をかけて、獄中セミナーのようなことをやっていたのは有名な話だ。まだ幕藩時代だというのに、彼ほど全国を歩きまわり、さまざまな人々に会っている人間もいない。行動派、前向き、教師と教え子という縦の関係を嫌っていた教育者。どこか似ていないだろうか?
アドラーのブームは、また、何年か前のドラッカーブームを思い起こさせる。ドラッカーも経営学の神様のようにいわれるが、私は、彼は社会思想家だったと思っている。ドラッカーの第一人者、上田惇生さんに、「初めての人のドラッカー案内」という入門書を書いてもらったことがあるが、ドラッカーの考えで最も日本人に受けると思われたのは、「ともに働く」という思想だった。ドラッカーは終身雇用という日本的な雇用形態もよしとしていた。
アメリカ人たちより、どちらかといえば日本人受けのするドラッカーと、いまの日本人に受け入れられやすいアドラー。何かブームの共通点を感じるのだが・・・・・・。