北斎の花鳥画「いかる」何日かまえ、上野の森美術館に行った。この美術館にはめったに行かないが、ボストン美術館から北斎がくるというので、行きたくなった。ボストンの日本美術コレクションは確かに世界屈指のものだ。特にビゲローが寄贈したという浮世絵コレクションは、状態がいいことで知られている。
北斎は天才歌麿に匹敵する江戸絵画の巨人だけあって、浮世絵だけではないその多面性を追求した見応えのある展覧会である。「富嶽三十六景」の一連の版画は、いわれるだけのことはあり、いままで見た他のコレクションに比べてもっとも美しくて鮮やかなものだった。ボストンが保存と公開に神経を使ってきたことがよくわかる。
面白かったのは、「花鳥画」のシリーズである。花鳥画や博物画は、江戸の浮世絵師がよく挑戦したモチーフだけれど、歌麿の博物画のシリーズに勝るとも劣らない感じがした。昔、「浮世絵の楽しみ方」という映像を作ったときに、歌麿の「博物図譜」の本物を見て、その写実の見事さに驚嘆した覚えがあったが、北斎の花鳥画には、鳥の表情一つとっても、写実を越えた独特の表現があって、とても楽しい。軽妙な味わいがある。
来てよかったと思って楽しくみて回っていたら、思わぬ「伏兵」がいた。解説の中のある言葉を忘れないようにメモしていたら、館内スタッフがよってきて、「お客様、ボールペンのご使用はご遠慮ください」という。「はあ?」と思わずその女性の顔を覗き込んでしまった。驚いたのはそれだけではない。解説に分からない言葉があったので、iphonで調べていたら、また別のスタッフがつかつかと寄ってきて、「スマートフォンを開けることはおやめください」という。通話をしていたわけではない。「何か人の迷惑になりましたか?」と聞いたが、とにかくおやめくださいの一点張りである。
上野の森美術館に限らず、館内スタッフから不愉快な思いをさせられたことは、幾度もある。東京都美術館にも困ったものだ、と思ったことがある。展示室ごとにいる館内スタッフが、大きな無線機でしゃべりながら部屋を歩き回っている。客で混雑していて声が聞こえないにしても、ひどい。ズボンの後ろのポケットに大きな無線機を突っ込み、客たちの行動を監視しながら部屋の中を闊歩する姿は、とても美術館スタッフのとるべき態度ではない。その女性たちは、作品を鑑賞する客たちを監視するという態度を露にしている。館内スタッフの募集に当たって、「監視員募集」と自らいってはばからない美術館もある。
ヨーロッパの美術館めぐりを何度もしたが、不愉快な思いや不可解な言いがかりめいた注意をうけた経験は一度もない。パリのオランジュリー美術館にあるモネの「睡蓮の間」の真ん中のソファーに何時間座っていても、監視されていた記憶はまったくないし、室内に係員がいたとも思えない。
芸術作品を提供する美術館と鑑賞者との関係が、日本ではまだ成熟していないのだろう。美術館は、作品だけでなくその作品を鑑賞する環境も、あわせて提供しなければならない。外国からすごい芸術作品を持ってきたから、それを大衆に見させてやる、という態度は明治時代の帝室博物館の態度だが、そこからあまり変わっていないのかもしれない。もういい加減、その伝統は御免にして頂きたい。
それにしても、明治期に日本にやってきたアメリカ人である、モース、フェノロサ、ビゲローの3人が3人とも、その蒐集美術品をボストン美術館に寄贈したのはなぜなんだろう?と思ってしまう。フェノロサたちが国宝級の美術品をアメリカにもち帰ったことを、「美術品流出」の典型例として批判する向きもある。でも、彼が持ち帰ったのは、明治の日本人が自分たちの文化財を二束三文で売ったり、粗末な扱いをするのを見ていたからからではなかったか? フェノロサは帰国後、ボストン美術館の東洋部長もしたことがあったが、同美術館がしてきた日本の美術品に対する厳しい管理の仕方を見ると、かえって感謝の気持ちが湧いてくるというものだ。