シャンソンは滅びゆくのか? (その1) | 編集長ブログ

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若きイヴェット・ジロー


 先週の5日、新橋の「罠」というジビエ料理の店に出かけた。フランスに長くいた友人の門林一夫と仲間たち。9月にパリ大学に留学する若く美しいAYAちゃん、サントリーの子会社の社長Sさん、初めてお会いしたMさんという美女・・・・・。
 ジビエ料理といってもフランス風のシチュウなんかは出てこない。焼き鳥屋の雰囲気で、串焼きが中心。いのしし、鹿、キジの肉を堪能し、ワインの後にどぶろくも飲んでしまった。
 やはり先週、新聞に、イヴェット・ジローの訃報が載っていた。97歳だった。懐かしい。会ったのはもう25年ほど前だろうか。ある日、李香蘭こと山口淑子さんから電話がかかってきた。シャンソンを聴きにいかないか、というお誘いだった。山口さんがまだ参議院議員をしておられたころだ。イヴェット・ジローが来日中で、戸山昌子さんがやっていた渋谷の「青い部屋」で歌うという。
 その日、山口さんと「青い部屋」へ行くと、いつもは20人くらいでいっぱいになるバーに30人くらいの客が詰めかけていた。大歌手の歌をそんな間近で聴くのは初めてだった。ポピュラーな曲を5、6曲披露してくれた。
 歌い終わると山口さんが一番先に「アンコール!」と声をかけた。その時の曲を思い出せないが、ジローさんが日本語で歌うかフランス語で歌うかときいた。となりにいた山口さんがフランス語で「半分半分がいいいわ」と答えた。とても綺麗なフランス語だった。ジローさんとは旧知の仲らしかった。ステージを終えると、ジローさんが挨拶に来た。私も紹介され、簡単な挨拶をした。大スターは厚化粧でもうおばあさんだった。歌手なのだからそんなことをいったらいけないか。
 山口さんがジローさんと話しているのを聞いていると、フランス人のようだった。彼女は、奉天ですごした少女時代から、中国語はもちろん、ロシア語、フランス語も外国人から習っていた。新潮社の先輩編集者が苦労の末に出した「李香蘭 私の半生」にその頃のことが書いてある。戦前の奉天はいまわれわれが想像できないくらいの国際都市だったらしい。
 イヴェット・ジローは、その時にも感じたが、フランスのシャンソン歌手のなかでもほんとに歌がうまい。「パリの空の下」も実によかった。彼女が歌う多くの曲の中で、しかし、どの曲より好きなのは「ポルトガルの4月」という曲だ。恋人たちの熱気でむせ返るようなポルトガルのある港町の4月の情景を、すこし気だるい感じで歌う。彼女の低音がさえる。うまいなあ・・・・彼女がこの曲を歌って世界的なヒットになった。後にサッチモも歌っている。
 独断のそしりを恐れずに言うのだが、フランスの女性シャンソン歌手の大御所といったら、歌のうまさからいって、コラ・ヴォケール、イヴェット・ジロー、ジュリエット・グレコの3人ではないか。その3人の大御所に、縁あって、いずれもお会いできた。幸運なことに・・・・・。(つづく)