真夜中のモーツアルト(その2) | 編集長ブログ

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 学生時代にモーツアルトをよく聴くようになったのは、小林秀雄の影響だろう。
編集者としての私の最初の仕事は、鎌倉の小林家に行って、雑誌の対談をお願いすることだった。当時私は学部の3年で、「三田文学」の大型企画の一番バッターとして小林秀雄をひっぱりだすことになった。大仕事だったが、叱られながら何とか先生に頼みを聞いてもらうことができた。先生の「モーツアルト」はもちろん何度も読んで行った。小林家の洋間で、五味康祐さんが仕込んだという伝説的なタンノイのスピーカーも実際見ることができた。
 そういうわけで、モーツアルトの交響曲40番やト短調のクインテットは、先生のまねをして、レコードがそれこそ擦り切れるくらい、ほんとに何十遍も聴いた。でも、若くて頭でっかちになっていたから、今のように、楽しみながら、しみじみ味わうことなどできるはずもない。
 その後、新潮社に入っても、新入社員のころは、まだのんびり仕事をしていたから、家に帰ってレコードをゆっくり聴くようなことができた。そのころ、五味康祐さんの『西方の音』を読んだことで、モーツアルトの弦楽四重奏曲の中の「ハイドンセット」というシリーズに出会った。特に、14番と15番は楽しんでよく聴いた。
 しかし、そんな楽しみも、その後の雑誌の忙しさや責任の重さにつぶされるように、次第に遠のいて行った。再び、クラシックを聴くようになったのは、独立後、自分の会社が軌道に乗り始めて少し余裕のできた50代のころだ。
 それでも、モーツアルトはしばらく聴けなかった。モーツアルトは聴き流すというわけにいかないからだ。弦楽曲をもう一度聞いてみようと思ったのは、岡崎ゆみさんのクラシックの本を会社で出したことがきっかけだった。クインテットは聴きやすかったから、またよく聴くようになった。
 先日、弦楽四重奏を何気なく車で聴き流して家に帰ったら、気分がなんだか明るく、浮き立つような感じだけが残っている。旋律は忘れているし、曲名もはっきり意識していなかった。この気分は何だろうと考えた。若い時は、だれでも軽い躁状態でいるものだけれど、そんな感じで、しかも、少し華やいだ気分なのだ。こんなことは近頃ついぞないなあ・・・・・・。
 変だなと思い、次の日、その曲名を見ていたら気がついた。これは若いころよく聴いたハイドンセットの最初の14番だ。しかしそれでも旋律ははっきり甦えらない。何度も聴いてみた。するとその旋律が記憶の底からやっと甦って来た、第1楽章のテーマの旋律を確かに昔きいた覚えがある。それも何度も。
 不思議だったのは、その曲をむかし聴いたころの自分の感情や気分がこの曲によって先に甦り、それだけが心に残っていたことだった。
 プルーストは「音楽は思い出だ」といった。昨年亡くなった吉田秀和さんが、好きでよくこの言葉を引いていた。この言葉が意味深いと実感させられることが人生でよくある。