NHK「新プロジェクトX〜挑戦者たち」東京スカイツリー建設工事編を

さきほど視聴。

やはり構造計算の話が難問・難関の一つだったと見え、

担当者の方が随分クローズアップされていました。

 

タワーの構造計算の話は偶然、今年3月のブログに記しました。

登録有形文化財「九段ハウス」の耐震設計を担当した内藤多仲氏に触れ、

彼が東京タワーをはじめ様々な塔を手掛け、耐震構造の父と呼ばれていたことを簡単に紹介。

実際、名古屋テレビ塔や二代目通天閣を担当したのも内藤氏です。

 

ブログ:「登録有形文化財「九段ハウス」はスパニッシュスタイル」3/6

    「東京タワーの耐震設計者の自邸」3/7

 

内藤多仲氏のご子息である多四郎氏が記した

東京タワーはかくて完成した──建築家・内藤多仲の生き方」というHPには、

当時の苦労談も出ています。

 

東京タワーはパリのエッフェル塔よりも鉄の量を半分にしつつ強度を担保。

そのために膨大な計算を行ったとのこと。

内藤氏、御年70歳。

それを電卓やコンピュータではなく、・・小さな計算尺を使ってすべて自分の手で行っていた・・

という点にも驚かされます。

 

 

下の写真は2010年6月13日撮影。

建設中のスカイツリーです。このとき高さはまだ398m。

 

 

東京タワーは1957年6月着工、1958年12月竣工。

とてつもない底力。

 

対して東京スカイツリーは2008年7月着工、2012年2月竣工。

つまりこの写真を撮影してから2年弱で完成か。

 

 

最終的に634mだから、このあとさらに200m以上が積み上がったわけです。

 

 

 

今回構造設計者として大々的にフィーチャーされていたのは日建設計の小西厚夫氏。

前代未聞の高さの塔に、五重塔の心柱に通じる仕組みを持ち込んだ、という秘話も明かされました。

 

一方で、意匠設計者として簡単に紹介されていたのが、吉野繁氏。

吉野氏も内藤多仲氏同様、早稲田の理工科出身のようで、早大の以下のサイトで

紹介されています。

 

歴史を刻む「早稲田建築」東京タワーからスカイツリーへ

 

ではその意匠、どうやって選ばれたのでしょう?

「新プロジェクトX」では触れていなかったので調べたところ、

スカイツリーの計画概要策定を一任された日建設計が社内で設計の前段階でコンペを開催。

80点以上が集まり、そのうち74点の幻の設計案の展示会が、

2年前に東京スカイツリーで行われたと知りました。

一部は小さい画像ながら以下のサイトで見ることができます。

いやぁ、この展示、見に行きたかった。

 

 

 

あくまで前段階のコンペなので、意匠設計担当に選ばれた吉野さんが

それらを加味して意匠を考え、監修者でもある彫刻家の澄川喜一さんの意見も聞きつつ

意匠を完成させたようです。

 

 

 

 

「新プロジェクトX」を見ていて気付きました。

311が起きたときにはまだ建設途中だったんですね。

ぞくっとしました。

命の危険を承知で、はずれていたボルトを締めるために再度上に上った

プロフェッショナルたちの勇気には頭が下がります。

 

むろんこの一大プロジェクトを支えた人たちは膨大な数にのぼるわけで、

本日取り上げられた数名のみにスポットライトをあてていいものか、

と少々戸惑いもあります。

 

というのも、前回「プロジェクトX」が打ち切りになった背景には

やらせ、大幅なデフォルメがあったから。

そのうちまた、大きな歪曲をしてまで成功話を盛り立てようとする動きが出ないか

気になるところ。

 

実際、ごく身近なところで、以前の「プロジェクトX」に対し憤慨の声を聞いたことがあります。

番組では、あるプロジェクトを成功させた人がヒーローとして大々的に賛辞を浴びていました。

でも現実は、そんなサクセスストーリーなどではなかった。

それどころか、その人物は職場で大顰蹙を買っていました。

プロジェクトを一時的に成立させた後、オオゴケして赤字垂れ流し。

周囲がしりぬぐいに追われていたさなかだったのです。

ちょっとした瞬間的・表面的成功話を大きく盛って、

真の陰の部分を完全に覆いつくすやり方に、被害を被っていた社員たちは大反発たと聞きます。

 

世の中美談尽くしのわけはない。

でも、ストーリー性を追求しなければ番組は成り立たない。

危うさをうっすら感じつつ視聴しています。