昨日取り上げた登録有形文化財「九段ハウス」は、

内藤多仲氏が耐震設計を行ったことでも知られます。

 

「耐震構造の父」とたびたび称される内藤氏。

明治生まれなので、やはり気になるのは関東大震災前後の氏の活躍ぶり。

調べてみると、震災後の方が活動が活発ですが、震災前にもいくらか建造物の

耐震設計を担っています。

 

日本興業銀行本店は関東大震災前に竣工し、崩れ落ちた他のビルをしり目に

無事だったとのこと。

歌舞伎座の方はまだ工事終了前だったもののやはり、大きな被害はなかった模様。

 

その後東京タワーをはじめ様々な建造物の耐震設計に取り組んでいます。

関東大震災後、耐震性が大きくクローズアップされ、活躍の場もますます増えたのでは

ないでしょうか。

 

そんな内藤氏の自邸は、大正15年築。

今も新宿の地に建っています。

築100年弱ですが、311でも被害はなかったのでしょうかね。

場所は、先日書いた国立国際医療研究センター病院のそばです。

↓このときの散歩で、ついでに見てきました。

 

 

 

今は一般非公開の記念館になっており、ちょっと外から様子を覗いてみました。

 

 

内藤氏自身は東京帝大出身ながら、早稲田大学で教鞭を取っていました。

ゆえのこれでしょうか。旧自邸の管轄は早大です。

 

 

 

 

構造学の系図を見ると、内藤とほぼ同じ年代生まれの内田祥三も含まれています。

が、内田氏の場合は、デザインとの両輪で活躍した印象。

旧公衆衛生院しかり↓(何かの付録でもらった”スマホにつけるなんちゃって魚眼レンズ”を着装して撮影。)

 

 

安田講堂しかり。

 

 

 

内藤多仲氏の邸宅のほうは、1F部分のガラス窓が意外に大きくとられています。

耐震構造を念頭にしていても、地震被害を最小限にすべくガラスを最小限にする

といった意図はない模様。

九段ハウスでもガラスは結構使われていたっけ。

 

大正15年の家屋でコンクリートというのはレアだったのだろうな。

設計の方は木子七郎ということで、九段ハウスと同じ組み合わせです。