2月23日金曜日の祝日朝、NHKをつけっぱなしにしていたところ

始まったのがサンドウィッチマンの「病院ラジオ」。

 

この番組を初めて見たのは比較的最近。

サンドウィッチマンが病院のなかで患者さんなどを迎えて繰り広げる

一種のDJ番組だ。

初めて見たときは、新宿区の国立国際医療研究センター病院を2人が訪れていた。

 

その光景に驚いた。

まだコロナ終焉というわけでなく、親族のお見舞いさえままならぬなか

伊達みきおさんと富澤たけしさんは入館を許されていたからだ。

しかもノーマスクでマイクに向かってしゃべり続けている。

そのころ父がひざを骨折して入院。手術前後からリハビリまでお見舞いは一切禁止。

家族はやきもきした。

それだけに、おふたりが病院立ち入りを許可されるなんて不公平、、ちょっぴりそんな

思いがあったのは事実。

でも、それ以上にふたりと患者さんたちのやりとりに胸を打たれた。

 

2月23日の放送は広島赤十字・原爆病院が舞台。

リモートで病室から授業に参加する白血病の少女や

結婚間もない病気と闘う男性の話など、見ていて涙がポロポロ。

これはなんの涙?

応援とか頑張りへの敬意とかもろもろの感情?

息子さんを亡くしたお母さんがスタッフに感謝の言葉を伝えるシーンもあった。

 

どうしてこんな番組が可能なのだろう。

業務に忙殺される病院でテレビクルーを迎えるなんて煩わしいはず。

普通に考えると招かざる客では?

でも患者さんが、この番組に力をもらっていることは間違いない。

ある種の治療・癒し効果といったメリットを院側が感じているからなのかな?

そうも思える。

視聴者側にも、頑張らなくては、、という思いを抱かせたりする。

 

NHKのサイトで、この番組誕生の流れを読んで、なるほど、と思ったことがひとつ。

この番組には見本があり、ベルギーで放映された番組の日本版なのだという。

オリジナルを見た社員の人が感動し、局に提案して結実した。

番組の輸入でなく、いわゆるフォーマットの輸入というのが可能だそうで、

ベルギーサイドと契約して、ノーハウを伝授してもらったものだった。

日本側からは、NHKの「ドキュメント72時間」などがフォーマット輸出を

行っているという。

 

 

 

国立国際医療研究センター病院はこれ。

特定機能病院ということで、ちょっと別格の雰囲気がある。

 

 

 

国立国際医療研究センター病院から曙橋方面に10分弱歩くと東京女子医科大学がある。

 

 


敷地の一角には五重塔のミニチュアがあり、梅がほころびかけている。

 

 

 

その並びにはスーパーマーケットがあり、奥にはタワーマンション。

なんとなく広々とした一角こそ、フジテレビがあった場所。

1997年、お台場に移ってからのイメージが強いけれど、そういえば

曙橋というとフジテレビというイメージがかすかにある。

 

 

 

ちよだ寿司店のかどにはこの標識。

遺構のように残っている。

 

 

 

左 フジテレビと書かれた案内に従って角を曲がると階段が続き、その上に

テレビ局があった。

 

 

 

さて、フジテレビ跡地はそこそこ広い土地だけど、

大名屋敷の跡地を利用したのだろうか?と思い先日買った江戸切絵図を紐解いてみる。

見てみると予想はハズれ、江戸時代にはこまごまと家々が建っていた一角だった。

 

ただし、すぐそばの東京女子医大の敷地のほうは、小笠原氏の敷地の一部と

松平家の敷地、および道を挟んだ向かい側の敷地を占拠しているようだ。

 

名家・小笠原氏のかつての広大な敷地は劇的に縮小。

現在わずかに残る小笠原伯爵邸で名残を偲ぶことができる。

安土桃山時代以降の小笠原の血筋をWIKIで追ってみた。

名将を輩出し、脈々と続いた華麗な一族だ。

 

 

上の地図のオレンジ部分のほんのちっちゃな一部がいまは残るのみ。(小笠原伯爵邸)