これもいわゆるブログ・マジックとでもいうべきなのかな。

普段全然縁がなく、頭にめったに浮かばないような単語/ネタをブログに記すと、

直後にその単語が思いがけないコンテクストで再び目の前に現れる・・・

結構頻繁におこるこの現象。

再び起きました。

 

 

先日ブログで白鷹について書いた1週間後、日経新聞の美術紙面「美の粋」冒頭部分が

まさに白鷹をフィーチャーした内容だったのです。

 

ブログでは、筑土八幡神社境内に置かれた酒樽について触れ、

初期のころの白鷹と神楽坂の因縁説明とともにこの写真を貼りました。

 

 

 

写真拡大:「白鷹」は初代辰馬悦蔵によって興されたことがわかります。

 

 

 

 

そしてこのたびの日経新聞の「美の粋」冒頭はというと(一部省略して):

 

灘五郷の西宮郷エリアに白鷹の本社ビルがある。1914年、富岡鉄斎が屏風絵の大作「安倍仲麻呂明州望月 円通大師呉門隠棲図」を制作したのはこの周辺だという。親交を深めていた友人である白鷹の創業者、辰馬悦蔵(初代悦蔵)からの制作依頼によるものだ・・・

 

辰馬悦蔵の名前を筑土八幡神社の境内で初めて聞いてから、矢継ぎ早に

日経新聞でも目にして、ちょっとびっくりしたわけです。

 

 

さて、辰馬悦蔵と親交があったという富岡鉄斎。

以前この人のことをブログに記したのは「とらや」関連記事においてでした。

とらやの羊羹の掛紙の絵が鉄斎作なのです。

 

 

掛紙を手掛けることになった経緯はというと、

とらやの創業者と懇意にしていたからとのこと。

鉄斎って、白鷹の創業者だけでなく、多くの商人たちとお友達だったのでしょうかね。

この図柄以外にも何パターンか描いているそうです。

 

 

 

 

 

鉄斎作であるという証拠はこちら。

黒字で「鉄道人寫」の文字が見えます。

鉄斎は鉄道人とも名乗っているので=鉄道人寫。

落款には、古い書体で「鉄斎」と入っています。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても、今回の富岡鉄斎の日経記事には感心させられました。

なにしろ絶筆が「栄啓期図」、というのも示唆に富んでいます。
 

これは、89歳の鉄斎が、正月になれば自身が数え90歳になることを念頭に準備した作品。
画賛にはこんな言葉:「私は栄啓期(注:人物名)と同じ90歳まで長生きし、太平の世に楽しみの多い幸福な男子」。
そして大晦日、鉄斎はうどんを食して眠り、そのまま帰らぬ人となります。


「栄啓期図」の落款の一つには「老而益学」=「老いてますます学ぶ」の文字。

本当に死ぬ間際まで向上心を持って学んでいた鉄斎。

理想的最期の迎え方です。

 

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これまでのアメブロの奇跡例:

 

●マルカントニオの顔がヴァチカン美術館のラファエロの間の壁画に描かれている話をブログに書いた翌日、フロベールの小説にマルカントワヌ=Marc-Antoine(マルカントニオのフランス語)のことが出てきた。

 

 

●建築家ムンタネーのことをブログに書いた翌日、出席した講演会のテーマがムンタネーだった(美術連続講座なのでテーマを知らずに出席)。

 

 

●ポンピドゥーセンターの設計者がピアノとロジャースのコンビだったことを書いた翌日、辻邦生さんの「二都物語」を読んでいたら「新名所ポンピドゥーがピアノとロジャースによって建てられ、パリの空気を一変させた」というくだりが出てきた。

 

 

 

●漂流したヤン・ヨーステンが「八重洲」の言葉の発端となったことをブログにしたためた直後、原進一さんの小説を読んでいたら、こんなくだりに出くわした。

日本人にとってオランダという国は馴染みが深い。。。リーフデ号は浦賀に廻航され。。。江戸に連行されたヤン・ヨーステンやウイリアム・アダムスを取り調べる過程で、家康は欧州情勢の実情に触れる機会を得た。

 

 

いずれのケースも、ブログに書いたネタが唐突に思いがけない場面で登場。

こんなことってあるのねぇ、と驚愕しきりです。