先日訪れた筑土八幡神社(2/21付 マニアック的なツボ・筑土八幡神社)の鳥居付近には

ある人物の顕彰碑があります。それはー

 

 

 

田村虎蔵。作曲家で、特に「金太郎」や文部省唱歌などで知られた方でした。

 

 

 

境内奥には歌碑も。

まさかりかついで きんたろう・・・」の部分です。

「まさかりかつい・・・」ではなく、「かつい」なんですね。

どっちだったかよく覚えておらず。

 

 

 

 

田村氏の碑がある、、、ということは、故郷がこの周辺、あるいは旧宅がこのあたりにあった

に違いない、、HPに当たってみました。

例によって新宿歴博は歴史的有名人の住所一覧を掲載しています。

ありました、ありました。田村虎蔵。

  • 公開状況
    跡地(現地には説明板が建っている)

 

地番もしっかり出ていて、神社の裏手です。

 

 

 

正確にはこちら。↓

説明版が建っている、との情報だけど、ない?

サイトの写真を見ると、このマンションの右手に高さ1m程度の説明版が見えます。

でも、このマンション、写真と若干異なり、どうやらリノベをした模様。

その際に説明版は撤去したのかなぁ。

それでも未練がましくじろじろ見ていたら・・・あった・・

 

 

 

下の赤枠のところです。写真に出ていた1mの説明版は撤去され

足元の草葉の陰(?)にそーっと置かれています。

 

 

 

これは上から目線ではなかなか見つけられません。

居住地の雰囲気を壊さないよう、おおっぴらに出さないことにしたのでしょうね。

 

 

 

「一寸法師」も作曲、、とあるけど、歌が浮かばない・・・

いずれにせよ、ここが終焉の地のようです。

 

 

 

この説明版がある前の道は御殿坂と呼ばれています。

江戸時代、筑土八幡神社の西側は御殿山と呼ばれ、寛永のころ、三代将軍家光が鷹狩の際に仮御殿を設けたという。

 

 

この坂を下っていて、ふと目に留まったこれ!!!

升本総本店という会社のビル。

そう、筑土八幡神社内あちこちで目にした社名・人名です。

熊谷組とともに寄進者筆頭といった感じで。

 

 

 

たとえば神社の石柱の謹書は「升本喜八郎」。

幟にも、石柵にも升本・・

 

 

家業は酒類問屋と知り、「なるほど」、と納得しました。

だって境内で、やたら「白鷹」がアピールされていたので。

 

 

 

単にこのように奉納されているだけではなくー

 

 

 

この場所にある、「白鷹」の説明文が、もう白鷹賞賛オンパレードなんです。

べた褒め部分を適当に抜いて、かいつまんで書くと:

 

清酒「白鷹」は全国の蔵元から唯一、伊勢神宮の御料酒として選定され、現在に至るまで日々神前に供えられている灘の名酒であるが、当地牛込・神楽坂とも縁がある。
白鷹蔵は江戸末期に興されたが、超一流主義の造りは市場になかなか受け入れられず。江戸・明治とこの白鷹を盛り立てたのが、神楽坂の料亭街と牛込揚場・神楽河岸に蔵を構えた酒問屋であった。おかげで大正13年には伊勢神宮の御料酒として選定されるにいたる。
現在でも神楽坂では白鷹が愛され、路地裏には白鷹の看板も散見される。東京大神宮でも年間数万本の白鷹が参拝客にお領けされている。
 

 

 

いろいろと小さな要素がつながって、疑問氷解、満足なり。

 

 

境内に梅の木があるせいか、メジロを見かけました。

でも佇んでいたのは梅の木ではなく地面!

なんとめずらしい、地面にメジロ!と慌ててカメラを向けたら、ちょっとした物音にも敏感で

あたふたと飛んでいってしまいました。

 

 

あたふた、あたふた・・・

もう少し待ってくれたらましな写真が撮れたのになぁ。

 

 

 

そんなに派手な神社ではありません。

だけど、それなりに突っ込みどころや発見がいくつか。

ささやかな疑問や違和感を解消する情報が出てきて悦に入る、、

こんなちっちゃなことで楽しめる私はエコノミカルな人間だなぁ、と実感する今日この頃。