本日受けた講義2本のうち1本は、主に明治期に海外の新聞が伝えた
日本のイメージについて。
特に紙面上にイラスト入りの写真が登場して以来、日本文化がビジュアルで紹介されるようになります。
写真であれば実像がそのまま反映されるけれど、イラストは、個人の主観に左右される点が特色。
例えば、ウィーン万博の際、描き手が日本のパビリオンで初めて見たであろう
こいのぼり、しゃちほこ、狛犬などは、結構グロテスクに描かれていました。
こいのぼりを例にとると、可愛げがない深海魚のような描きっぷりです。
つまり、それほどインパクトがあり、筆にも誇張が入ったということ。
絵のデフォルメ加減を見るだけでも、イラストレーターにとって
それがいかに未知なものであったかがしのばれます。
こうした万博がらみの報道が多い中、日本において正式な国際結婚第一号といわれるクーデンホーフ光子さんのことを伝える新聞記事の紹介もありました。
(新宿区に光子さんの実家跡の看板があり、それについて以前ブログに記しました
==> 「数奇な運命 クーデンホーフ光子」)
光子さん関係の記事は初期の栄光の日々を伝えるものでしたが、講師の先生いわく、
渡欧してから幾多の不幸が襲いかかり、帰国もかなわず寂しい最期だったと。
家柄や学歴の隔たり、人種差別(戦況、つまり日本が滞在国の敵国となった事由も含めた差別)
など、時代的に普通に考えても苦労は並大抵ではなかったでしょう。
WIKIを改めて最後の方まで読んでみて、なるほど子供たちとも敵対してしまったようで、
特に夫の急死後は、孤独感が募ったようです。
もう少し時代が下れば、おととい触れた、バルテュスの妻・節子さんのように
幸せな国際結婚になったのかもしれないけれど。
海外の新聞を概観して感じたこと。
ジャポニスムにロマンを感じていたのかいたって好意的な書き方です。
ただ日本の国力が増すにつれ、それは脅威へと変わっていきます。
つまり好意的に書かれている間は、日本というものを文化を軸にとらえ、
国力としては格下に見られていたということでしょう。
2週間前の清泉女子大の講義の際は雨模様だったので、改めて晴天の旧島津邸の写真を。
ジョサイア・コンドル作の大学自慢の建物です。
あじさいが咲いていました。
今日の講義は夫も参加。
(以前は建築ツアーのときのみ校内・庭公開をしていたけど、少なくとも今月の土曜日は一般の見学を受け入れていました。ただ、入口で講座の受講者である証明を見せたうえで入館証をもらって入いるので見学だけで訪れることが可能かどうかは不明ですが。)
やはり2人で写真を撮ると、視点が異なり、写真の構図も違うことを実感。
私は手短に済ませることばかり考えて、平凡な構図が多し。
私が左、夫が右。
左が私、夫が右。
さらに、遠慮して私は敷地の奥には入りこまず。
夫はずんずん先に行き、こんなものを見つけていました。
こちらの場所、島津家が明治時代に邸宅を建てる前は、陸奥仙台藩主伊達家の下屋敷でした。
前回も思いましたが、このあたりは風向き次第で飛行機が頭上を飛ぶエリア。
結構音がするものです。