◆夫の親族が起こした相続訴訟を乗り越えたオーストリアの光子さん、ヴェネツィアの洋子さん
今月の日本経済新聞「私の履歴書」は女優・吉行和子さんが主人公。
父で作家のエイスケ氏、NHK朝ドラのモデルになった母で美容師のあぐりさん、兄で作家の淳之介氏、妹で詩人の理恵さんのことなどがちりばめられています。
そんななかひときわ個人的に目を引いたのが昨日の記事:
大間知さんが「クーデンホーフ光子伝」という分厚い本を見つけてきた。明治の日本でオーストリア=ハンガリー帝国(当時)の伯爵に見初められ、この国に渡った女性の伝記である。必死の努力で言葉など身に付けたのに、32歳になるころ夫が急死、差別や孤独にも負けず7人の子を育てた。後年、次男のリヒャルトは汎ヨーロッパ主義を提唱し、欧州連合(EU)の父の一人と呼ばれるようになった。
そしてこれをもとに書かれた台本「MITSUKO―ミツコ 世紀末の伯爵夫人―」を吉行和子さんは独り芝居で演じ切ります。
この日の「私の履歴書」を読んで、夫と私は思わず顔を見合わせました。
というのも丁度1カ月前に、散歩の途中、このクーデンホーフ光子(1874-1941)という名前が突如我々の頭の中に飛び込んできたばかりだったので。
あれは所用で飯田橋に行ったときの事。
用事を済ませ、大久保通り経由市ヶ谷に抜けようとしてふと見つけたのがこれでした。↓
我々が通過した地点が丁度クーデンホーフ光子さんの元居住地だったそう。
実家は油商と骨董屋さんを営んでいた、と書かれています。
場所は市ヶ谷箪笥町の箪笥町公園。
夫の存命中も、偏見などにさらされて苦労したそうです。また、小学校を出ただけだったので、博識の夫に少しでも近づくため猛勉強をされたのだとか。
むろん語学の特訓は言わずもがな。
(ちなみにゲランの香水ミツコのモデルはこの方ではないようです。)
しかし更なる試練は夫の急死後。
財産相続の額が半端ないものだったこともあり、周囲から法的訴訟を起こされます。
法律を猛勉強して乗り切りました。
子供たちを立派に育て、次男の活躍は上述のとおり。
伯爵に見初められた光子さん。チャーミングな女性です。
小間使いから妻の座に。
この↓本は、「MITSUKO―ミツコ 世紀末の伯爵夫人―」の元になった本。
莫大な相続を受けることになり言葉の違う外国で夫の親族に訴えられ、法廷闘争にひとりでまきこまれた日本人女性、、、、というともうひとり思い出すのがチェスキーナ・永江洋子さん(1932年4月5日 - 2015年1月10日)。
かなり年上のイタリア人の富豪に見初められ、壮麗なパラッツォでの暮らしが始まったものの、夫が亡くなり、全財産が洋子さんのもとにいく遺言内容だったため係争に発展。
勝訴したものの、当然ながらものすごい労力だったと聞きます。
洋子さんは「ヴェネツィア私のシンデレラ物語」という書でなり初めを含めそうした法廷闘争のことなどを語っています。
この本自体は児童の作文的な文章でしたが、法廷闘争をクリアした精神力は半端ないと舌を巻きました。その後篤志家として活躍されたことは周知のとおり。
洋子さんがかつて住んでいたのはヴェネツィアのパラッツィ・バルバリーゴ。
グランカナルのなかでもひときわ目立つ壮麗なパラッツォです。