今年の多摩美大の連続講座テーマは、20世紀の芸術家列伝。

(毎年下線部の時代が変わる。去年は17世紀の芸術家列伝だった。)

20世紀かぁ、今年はパスかな、と思ったけど、写真家スティーグリッツの講義など

ちょっと聞いてみたい内容がちらほら混じっていたので申し込むことに。

 

よく考えてみると、絶対自分では進んで調べたり勉強したりしない、つまり興味のないテーマが含まれているという点が、こういう連続講座の利点なのかもしれない。

受動的にせよいざ聞いてみると、発見があったり点と点がつながったりして、スリリングな気持ちになる。

知らないことを知る喜びは、元来興味がないと思っていたテーマについても同様に湧き上がってくるものらしい。

 

先週末の講義2コマのうち1つは詩人リルケについて。

最後のスライドは、リルケと女性、青年のスリーショット写真だった。

女性はリルケの愛人バラディーヌ。

青年は、バラディーヌと夫クロソウスカの間にできた子供。

その名はバルタザール。のちの画家バルテュスだ。

 

写真を見た途端思い出した。

そうだった、晩年リルケはバルテュスの母と恋仲だった。

バルテュスが描いた絵をほめそやし、出版を勧めたのがリルケで、

2014年東京都美術館のバルテュス展には、バルテュスの処女画集「Mitsou」が展示されていた。

序文を書いたのがリルケだったので驚いた記憶がある。

 

写真はその2014年バルテュス展のオープニングにて。

バルテュスの奥様・節子さんがいらしていた。

上智大仏文科の学生だった節子さんをバルテュスが見初めて、やがてふたりは結婚。

彼にとってはまさにミューズとなった。

 

 

 

偶然ながら、バルテュス展を見た数カ月後、2014年秋、日経新聞「心の玉手箱」で、

バルテュスにまつわる興味深い記事を見つけた。

(当時旧ブログに備忘録を残していたのでアーカイブを以下掘り起こしてみる。)

 

 

その「心の玉手箱」の書き出しは、このようなものだった:

「パリ滞在時代、バルテュスという画家の絵と出合い、以来、「私」は彼の絵の虜になった。」


そう告白したのはある日本人画家だ。手短にその内容を記すとー

 

ある時パリから帰国して銀座のバーでシャンソンを歌っていた「私」に、

見覚えのある役者が声をかけてきて、マイクを受け取るや同じ歌を英語で歌い始めた。

むろん意気投合。
話し込むうちに、その役者がバルテュスの鉛筆画を持っていることがわかった。

芸のお礼に贈られたそうだ。
「私」が画家であることを知ると、役者がその絵をくれると言い出した。
かくして、憧れのバルテュスは「私」のものになる。

ある日、その鉛筆画が印刷物でないかどうか知りたくなった。
ちょっと出来心で添え書きを消しゴムでなぞったら・・・

線がうっすらと消えていった。
ああ、本物だ。

フランス語で書かれた「親愛なる市ちゃんへ」という添え書きはだから、
ちょっと今でも一部かすれている。。。



「私」は、画家の小杉小二郎氏。
役者は勝新太郎さん。

Wikiを見ると、確かに勝新太郎とバルテュスの交流が書かれている。

そういえば、14年の展覧会では、勝新太郎さんがバルテュスに贈った着物が展示されていた。

 

 

今回、多摩美の講座のリルケとバルテュスの写真から、

10年近く前に体験したバルテュス周辺のあれこれが一気に蘇った。

さらに、今になってひとつ新しい発見も。

 

ちなみに小杉小二郎は、工業デザイナー小杉二郎氏の息子で ---

小杉放庵の孫。

3代にわたり美術界で活躍するファミリー。

 

***

 

ということで、バルテュスが亡くなった地域、スイスのロマンディ地方の写真をいくつか。

 

ローザンヌといえばIOCがある場所なので、

オリンピックマークのついた建物がちらほら。

 

ホテルから

 

 

 

 

ロマンディ地方には3回計10日以上滞在しているのに、

自転車レースがメインの旅だったので、風景写真が極端に少ない!

しかも素っ気ない写真ばかり・・