建築家フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルの建設のため来日した際、助手として来日を果たしたアントニン・レーモンド。
以前写真を掲載したとおり軽井沢聖パウロカトリック教会を手掛けたほか、国内に数々の建築物を残し、日本ではむろんよく知られた存在だけど、本国チェコでは彼に関する資料もなく、忘れられた存在だったそう。
背景には以下のような理由があります:
●チェコ工科大学卒業の翌年に米国移住を果たしたこと
●本国には彼の建築物が一切ないこと
●両親は第二次世界大戦前に亡くなり、兄弟はユダヤ系だったため全員ホロコーストで命を落としたこと、など。
日本の大学で教鞭をとるチェコ人のヘレナさんもレーモンドの名前を知ったのは来日後のこと。
同国人の知られざる日本での活躍に興味をもち調べたところ、レーモンドの日本への愛情や母国への思慕などを徐々に知るようになります。
こうして調査した結果を、1冊の本にまとめます。
「日本におけるアントニン・レーモンド1948-1976 知人たちの回想」と題された本は、初めてチェコ語によるレーモンドの本でした。
・・・とまあそんな興味深い話を見つけたのは去年のこと。
2020年4月の日経新聞文化欄に出ていました。
記事のタイトルは、「日本を愛したチェコ建築家」。
この記事、及び去年1月ー3月まで開催されていた汐留ミュージアムの「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢展」のレーモンド関連展示に興味をそそられて、去年の10月にレーモンドゆかりの軽井沢とレーモンドが設計した群馬音楽センターなどがある高岡市へ日帰りで行ってきたわけです。
群馬音楽センターについてはすでにブログで触れましたが、実はまだ書いていないことがあります。
それはこのセンターの1Fにアントニン・レーモンドの部屋があったこと。
そんなものがあるとは知らず、ただ斬新な建物が見たくて行ったので、これは嬉しいサプライズ。
センターの受付で写真撮影許可証を頂いた際、受付脇にあるレーモンドの部屋にもぜひどうぞ、と言われて気づきました。
部屋には模型やノート、絵画作品、写真などが並びます。
下のサインはチェコ大使館の方と市長さんのものでした。ここを訪れたのですね。
模型は第一案や第二案などもあり。これが決定作。
群馬音楽センター建設中の記録写真がいくつもありました。
この建築現場と、完成した近代建築がなんとなく結びつかない気がしますが。
汐留にもレーモンドの絵画作品が出ていました。
もともと画家を目指したそう。
こんなキュビズム風画風で、キリコとフェルナン・レジェを融合したような感じかな。
調べたら偶然キリコとは生まれた年が同じ。没年もわずか2年違いでした。
デザイナーの妻・ノエミさんの作品展示も。
右は傘立てだと思うけど、これほしい!
今の傘立てがごつくて、軽快なものを探しているところなんです。
奥様の写真も。
信頼できる最高の仕事仲間でもあったようですね。
奥様が手掛けた家具も建築の一部的存在で、夫婦共作といった感じがします。
集合写真のなかでご夫婦の隣に座すのは前川國男氏。
以前も前川氏の写真を見たことがありますが、外見から受ける印象は、おおらかな感じ。
前列で腕組みするのがレーモンドに師事した吉村順三。
吉村順三氏はといえば、知名度は高いものの、実際彼の建築物ってあまり知らないかも。
箱根の小涌園がそうですね。
下の写真は2013年10月のもの。
すぐそばにある岡田美術館が開館した1週間後にさっそく訪れたときのもの。
岡田に行くなら小涌園が断然便利でした。
ちなみに岡田美術館は行ってびっくり、我々以外来館者がほとんどおらず。
スタッフの方に東京から来たというとびっくりされて、「岡田美術館をどうやって知りましたか?」と聞かれたほど。
(小涌園・2013年)
最後に群馬音楽センターの内部の写真を少しだけ。
汐留の展覧会を見るまではレーモンド作品である群馬音楽センターの弧とは知りませんでした。
でも展示されていた映像・写真を見て一気にとりこになり、コロナが落ち着ついていた半年後の10月、念願をかなえました。nn
折り重なるような、層状ともいえるような構造が、壁画とも呼応して、フォルムの多様さに反して統一感を感じる不思議な建物でした。
高岡’20/秋① 音楽溢れる城址公園 木立に佇むコントラバス
高岡’20/秋② 建築家A・レーモンドが手掛けた群馬音楽センター
高岡’20/秋③ 井上房一郎邸見学とTV番組「ノースライト」の椅子
高岡’20/秋④ 日本を愛したチェコ人建築家
高岡’20/秋⑤ アントニン・レーモンドの自邸のコピーが見られる場所