【生きていくことの意味】について考えてみる | アート荘DayDream事務所

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好きなものや、レビュー、エッセイ的なものなんかを
書いていきたいなと思っています。

バンド・ミュージシャン紹介、団地・廃墟、旅、レトロなもの、
ショッピング、ゲーム、映画、LGBTQ関係などなど。

昨日、タバコを買いに行こうと思って、アパートの階段降りようとしたら、


濡れてたもんだから思いっきり足を滑らせて


下まで滑り落ちました。


どうも、いろんな所ぶつけて体が痛い痛い ゾウイこと敦獅ですw

 
 
痛いですよw

アザや擦り傷で済んだから良いですけどもw

両手塞がってたから全然止まらないんですもんw
 
骨折とかしてないみたいで良かったよ。

骨折らしい骨折とか人生で一度もしたことがないような骨太ですから。


まあ、それは良いとして、

今回は少しディープなことを書いていこうと思いますよ。
 
 
 
皆さんは【人生の意味】って考えたことがありますか?

恐らく一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
 
結論出ました?
 
出たなら良いんです。
 
こういうものに正確な答えなんかありませんので、
 
自分がそうだと思ったらそれで合ってるのだと思います。
 
 
答えは人それぞれ違うと思います。
 
こういうものは、そういうものなんだと思います。
 
 
まだ全然わからない人、多分わからないのが普通なんだと思います。
 
でも、そういう人達も、いずれ悟ると思います。
 
 
若い内から結論出しちゃう人は、早くも人生悟っちゃってる人で、色々あった人なんだと思います。

そして、年を重ねていくうちにまた考え方が変わっていくでしょう。
 
 
老人になってから、人生を振り返り、そして死に近づいていく過程で、恐らく本当の結論が出るのだと思います。
 
もちろん最後まで考えずに幕を閉じる人も居ると思いますが。
 
 
或いは、死んだ後に答えが出るのかもしれません。
 
 
 
 
生きていくことの意味
 
 

通じることかもしれませんので、お時間があれば是非一緒に考えてみましょう^^




僕は【生きていくことの意味】について、それこそ学生の頃から考えてきました。

今でもフと考えることがありますが、やっぱり一番考え込んだのは学生の頃ですかね。

 
でも、当時、かなり精神的に不安定で、自殺することばかり考えていましたので、

答えは出ませんでした。
 
生きていくことの意味がわかりませんでした。

当たり前ですけどね。だって生きていくことに苦痛を感じてたんですから。

生まれてきたくなかったとすら思っていたので。


社会人になって、会社辞めてフリーターになった頃くらいにやっと見えてきたって感じです。

前向きになってから見えてくるものなんでしょうね。
 
 
で、今も変わらない考え方を持っていますので、ご参考程度に書こうと思います。



もう一度書きますが、人それぞれ違うはずなので、そこのところよろしくお願いします。

明確な答えなんてありませんし、考え方は年齢を重ねるごとに変わっていきますから。





僕は、【生きていくことの意味】は宇宙規模で考えたら、ちっぽけなことで、別に意味はないと思います。
 
地球内の生物規模で考えたら、それは、子孫を残すことでしょう。

なんで子孫を残していかなきゃいけないのか。

それは地球内の自然のサイクルですので。それ以外の理由はないかと思います。

生物がいなくても地球自体は存在するわけですから。

緑はなくなりますけど。


では、人間規模まで焦点を縮小しましょうか。

人間は【考える力】を持っていますので、生きていれば、【なぜ生きているのか、なぜ生きていかなくてはならないのか】を考え始めます。

そして【生きていく】ことに意味を持たせたくなります。

じゃないとただ辛いだけなので。人間社会は。


僕は宗教は全然わからないので、各宗教がどう教えているのかサッパリわかりません。

でもきっと何かしら教えてますよね?


なので、本当に超個人的な持論になってしまいます。

親から教わることもなかったので持論です。



僕は【生きていく】というのは、
自分以外の他の人間から

【影響を受けること】 と 【影響を与えること】
だと考えています。



生命が誕生してから命が尽きるまで、誰でも必ず経験することです。


例えそれが胎児で終わってしまったとしても、父親と母親の遺伝子を引き継いでる時点で影響を受けていますし、

妊娠していることに気づいた時点で親に何かしらの影響を与えています。


その【影響】は、その人の人生の中で何かしらを変えています。

他人の 人生という本 にも刻まれるんです。


人生は本だって、以前書きましたので、本で例えさせてもらいますけど。


例えばすれ違いざまでも良いんです。
 
「あ、あの人かわいいな(かっこいいな)」って一瞬思っただけでも、影響を受けたことになると思います。

その人のことを少し思っただけでも、例え1秒だけだったとしても自分の人生の中の1秒に刻まれてるわけですから、

なので、たまに思い出すこともあるでしょう。

僕はそれだけでも意味があることだと思います。



沢山の人に影響を与えれば与えるほど、
生きていくことの意味をより感じられると思います。


しかし、【影響】には2つの種類があります。

【良い影響】 と 【悪い影響】 です。



悪い影響を与えるというのは、例えば他人の人生を勝手に終わらせること。

とか、他人の人生を悪い方向に持っていくこと。

が挙げられると思います。

 
 
それは人間の世界では 【罪】 になります。

他人の人生に悪い影響を与えれば、それは罪です。

最悪な影響の与え方です。

そして罰が下されます。


もし、それが事故とかでたまたま起きてしまったとしても、

罪悪感という罰が下されて、自分自身に悪い影響が降り掛かってきます。

その降り掛かってきた悪い影響で自ら命を絶ってしまう人も沢山居ると思います。

そして、それを補う為に、それ以降多くの人に良い影響を与えようと人一倍努力する人も居るでしょう。


罪という傷は癒やすことはできませんが、良い影響を多くの人に与えた方が良いと思います。

その影響で救われる人も居るでしょうから。
 
 
ただ、なんの罪悪感も生まれなく、同じ過ちを繰り返すようでしたら、それは同等の罰を受けるべきだと思います。



という僕の考え方です。

とりあえず今はこれで落ち着いています。

 
 
ただ、悪い影響を与えるって、人と毎日会っていれば何かしら小さいことをやっちゃってるよね。

自分でそれに気がつけば、その都度反省しますけど、気づかないことだってあります。


考え方によっては、それが後に良い影響だったことになることもあるわけです。


例えば、最近僕がやっちゃったことで言うと、

会社の機材を、加える電圧間違えて壊してしまいました。

修理に出したのですが、新しいものを買ったほうが安いとのことで、余計な出費をさせてしまったんですね。


もうこれ、超罪悪感でさ、加える電圧間違えたこと言えずにいるんですよ💧

社長気づいてると思うのですが、特に言及はせず、まあオマケでもらえてたオマケ給料が出なくなっちゃってるですけど。
むしろそうして欲しいので。

言ったら社長許しちゃうと思うので。

半分自ら罰をかぶってる状態にしてます💧


これが後に良いことになるかはわからないのですが、

あの機材、そもそもあまり調子が良くなかったので、いずれにせよ買い替えする必要がありました。

そして、電圧が違うと壊れることを身を持って学んだので、今後はこういうミスはしないです。

機材が新しくなると大事に使おうって気分にもなりますしね(^_^;)


苦し紛れですが、むしろ自分が与えた悪い影響が、良い影響として自分に戻ってくるというパターンですね。

考えによってはっていうことです。

社長にとっては悪いことしか無いでしょうから、本当に本当にごめんなさい。


なんで、謝ることを直接伝えられないのかな自分は。

直接謝れない人は嫌われて当然ですよ・・・💦



というね、生きていれば、誰だってミスって他人に悪い影響を与えてしまうこともあります。

それも、自分の人生という本に刻まれることになりますから。


その本を読み返して見た時にさ、

【悪い影響】 よりも 【良い影響】 が多いほうが良いじゃないですか。自分のメンタル的にw

もちろん本の一部を他人が読むこともあるかもしれない。

その場合も 【悪い影響】 よりも 【良い影響】 が多いほうが良いじゃないですか。


生きていく意味って、他人に良い影響を与えることが関与してると、僕の中ではあると思ってます。

今思ったことじゃなくて、これ結構前から思ってて、一応大事なこととして肝に銘じています。


多くの人に良い影響を与えれば与えるほど、人生の価値は上がっていくのかなと。

【生きていくことの意味】 に繋がっていくのかなと思っています。




まあ、最大の謎は、僕は他人に少しでも良い影響を与えられてて、その人達の人生に貢献できてるのかですけど(^_^;)

悪い影響は本に刻まれるけど、良い影響を与えたことって、「助かりました!」とか 感謝 とか言われない限り、わからないから自分の本に刻められないよねw

ただ、他人の本には【良い影響を受けた】って刻まれます。

その人の人生の機転になってる場合も全然ありえます。てか全員1回はそういう影響を与えています。

それだけでも充分、生きてる意味があるよね。


なんかそう考えると、自分の人生が終わったあとも、本は残るのかもしれませんね。

 
死後に他人が書き加えてくれることもあるでしょうから。

本はお墓の前に置いとかれてさ、

手を合わせられる度に少し読まれて、少し書き加えられるのかもね。

うん、これは今書いてて思ったことです。


皆さんも恐れず沢山の人と交流しましょう。

交流する度に本に書き込まれますので。

分厚い本にしましょ。



大事な補足