小澤征爾氏を悼む | 湯浅玲子 An die Musik~音楽に寄せて

湯浅玲子 An die Musik~音楽に寄せて

音楽学・音楽評論に関する執筆活動と、
杉並区阿佐ヶ谷の楽典とソルフェージュ、楽曲分析のための音楽教室「アルス・ノーヴァ」をご紹介しています。

とうとうこの日が来てしまった、という感じでした。

昨日の夕方、小澤征爾氏の訃報に接しました。

 

少しは覚悟していたつもりでしたが、

ニュースを見た時、想像できなかったような喪失感に襲われました。

その存在がどれほど大きいものであったか、身に沁みました。

 

実演に接したこともありましたが、やはり私にとっての思い出は学生時代にレッスンを聴講したことです。

学生オーケストラを真剣に指導される姿からは、音楽に真摯に向き合うことを学んだ気がしました。

 

そして、一番の思い出は指揮のレッスンを間近に聴講したことです。

 

その日、数人しか入れない狭いレッスン室に、指揮専攻生でもないのに、ずうずうしくも早くから入室して待っていました。当時、指揮伴(指揮者の練習台としてピアノを弾く人)をやっていたこともあり、指揮のレッスンがどんなものかは知っていたつもりでしたが、レッスン時間のすべてを音楽と生徒の教育に捧げた密度の濃い、気迫あふれる内容で、圧倒されました。先生の要求には、その場ですぐ反応できないのではないか、という難しいものもあり、「指揮者はこんな難しいことをしないといけないのか」と驚きました。

 

それから数十年後、娘が児童合唱で三善晃《響紋》に参加した際、突然練習にいらして「ちょっと振らせて」と、指揮をされたそうなのですが、娘曰く「とても歌いやすかった」とのこと。あの難しい指揮を、初対面の小学生にもわかるように、そして演奏しやすいように振るとは、どういうことだろうと思ったものです。

 

 ちょうど10日ほど前、レッスンでマーラー《交響曲第9番》の分析を終えました。この日は、第4楽章に使われている《亡き子をしのぶ歌》が、どのような形で用いられているかをレッスンしました。オーケストレーションや構成を生徒さんと一緒に分析し、作品の魅力に迫りました。

 

レッスン中、「小澤征爾が、ボストン交響楽団との最後の演奏会で演奏したYoutubeはいいですね」という話もしました。研ぎ澄まされた集中から生まれる音楽は、Youtubeであっても思わず引き込まれます。

第4楽章は59分32秒からです。

ここで使われている《亡き子をしのぶ歌》の旋律は、歌曲では「(亡くなった子は)ただ散歩に行っているだけ」という歌詞がついている部分です。小澤征爾氏も、天国に散歩に行っているだけと思いたいです。

 

ご冥福をお祈りします。