ぶれる人とぶれない人の違い | asobeの音

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書きたくなったら書く。気が付いたことを、徒然と書いていきます。

まあ、人間、ぶれたりずれたり、あっちいったりこっちいったりは、していいと思うんだけど、どのラインでも、どの世界でも思うのが

「ちゃんとした方向性のある責任感」ということ。

 

何に対しての自信もそうだし、そういうのが、しっかりしてる人と、自信いっぱいにみえるんだけど、自信の方向性画違うって場合もあったりねー。

 

例えばで、ちょっとぐるぐるしてて、うんって思ってたので、「本来、商品に対する責任だけでいいのに、ほかの人が一般就労でやっていけるように考えて動いてた」というので、そこまでの責任はいるかーでいうと、商品に対する責任だけで十分だったりはするんだよなあっと。逆に、取仕切ったりしてる人だと、そこにいる人たちが、いい方向に行く責任みたいなのはあると思うけど。

 

逆にまあ、商品責任でも「こんなもんでよろし」てわけにいかないから、厳しくなることもないわけじゃないけれど。

 

人に対する責任に対しては、まあ「それぞれが自分自身でとっていく」でいいと思うのよね。ただ、関わる言葉に関しては、多少考えないといけないことはあったとしても。

 

いい企業やいい働き場ってのも、「ちゃんとそれに対しての責任感」みたいなのは、それぞれもってる。たまに、ない人も混ざることもあるけれど。集団としてぶれることがあるとしたら「責任感がない人が中心に力を持った時」で、3代目あたりで会社がつぶれやすいというのも、責任感ない人が上になったってケースが多いせいだったりするんよね。

 

その人ひとりの芸ではなく、だれでもできるようにする。ってのも大事だったりはするけれど。