霊能力あるとかないとか関係なく、その人、あの人、そして、自分のそれぞれ見えている世界って、実は違っていて、同じ事象をみていても、そこで、感じることも違いがあったりなあ。というのは、よくあるなあっと。

 

その中で、問題を起こす部分とか、それに通ずる考え方とか、ある場合、カウンセリングや投薬なんやらで、落ち着かせたりガス抜きしたり、っていうのが大事になるケースはあるし、いわゆる、チワワをゴジラと見間違えてるみたいなこともあったりで、霊能者とか、その辺のスピリチュアルカウンセリングで求められるのって、そういうのを一緒に整理するというのはあるかもしんない。

 

あなたがゴジラと思ってた犬は、実はチワワだったんだよー。という、現実のすりあわせみたいなね。

 

当方、ゴジラむしろ、亡き愛犬思い出してかわいいと思う派ではあるけれど、あくまで、怖いという記憶のすり替え例ね。ケルベロスでも、何でもいいんだけど。その人にとって、とっても怖い記憶が、とんでもなく怖い物になってるってことは、よくあるからねえ。

 

ま、とりあえず「相手が気持ちがいいこと言ってればオーケー」というスタンスの人はいるけれどね。

 

もちろん、「経験したからこその芯」というのもあるし、その人それぞれの芯があって、開示するときって、ろうそくに炎をともす感じにするんだけど、そのときに、どういう炎になるかーでも、違いってあるしなあ。

ガソリン充満してて大炎上しちゃう人もいれば、人を選ぶ感じの炎になる場合もあるし、暖炉の炎みたいに、必要なときに役に立ったり、ただ、そこにあるだけで、安心する何かになる人もいる。

 

たき火とか炎扱う人ならわかるかもだけど、ただ、燃やしても「温度が高い炎」を安全に燃やすのって、技術いるやん。

その技術がわかってる人と、危険物取り扱いを理解してる人、わかってない人、いろいろな人の目って、「同じ炎」を見てても、違う世界だったりするよね。

 

違いを許容できたりできなかったりもするしで、どういう風にすりあわせていくか、どういうアクションをしたら、ベストかとか、迷うこともあるだろうしで、まずは、自分がどういう世界を見ているか、っていうのを、確認、その上で、他者の世界をどう感じるかってのはあるとは思う。