自然体である事 | asobeの音

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書きたくなったら書く。気が付いたことを、徒然と書いていきます。

選ばれし中二病いう謎キーワードいただきつつ。うんたしかに、何か見える>特別ななんだかんだ。みたいな、もしくは、あの人たちは選ばれしなんだかんだと思いがちなんだけど。

 

どうしても、誰かに勝たなきゃとか、なにかと区別するために特別にならなきゃ。とか、選ばれた何かになろうとしてるときほど、本来の自分よりも、どこか盛ってるってことはある。

中二病も思春期にはありがちな、自分は本当はなんだった。みたいに妄想しちゃう。みたいなね。

 

実はどの段階、どのレベルにおいても、道は開かれてるし、自由に行ける。高難度の進学校に努力していったけれど、学力のレベルが追い付かない。という話はよくあるし、行ける学力があっても、様々な事情で行けないとかもある。

 

同じ難度で、どうして差が出るかっていうのは「その難度に到達したり、やってる時は自然体かどうか」なんだよね。ものすごい努力していても、それが無理してたら、それは自然体ではないってこと。

 

上手くいかないなあってときは、選ばれしなんだかみたいに、どこか無理やりやってたりするところはあるだろなあっと。

 

高いレベルを出そうとして無理してるもあったり、周りが低いから、自分を抑えようとしてることもあったり。本来の姿、本来の状態っていうので、引っ掛かりがある人多いのかなっと。

 

心屋さんの前者後者の話の時も、「本来の自分のベース」を無視して、色々とくっつけたり、我慢したり、何かのふりしてるからしんどくなるんだよ。という話だったりね。

 

私自身も、自分の体力無視して頑張ろうとして、ダウンして高熱みたいなのは、よくやらかすんだけど、それは本来の自分のベースではなく、周りに合わせすぎた結果だったりするなあっと。

 

見えるようになるが特別な能力だとしたら、周りがみんな見える人になったら何にも特別じゃない。しかも、視力と一緒でレベルはそれぞれ変わるわけだし。選ばれしが付くときも大概、過小評価か過大評価のどっちかがついっちゃったりして、難しいよなあっと。

 

自然体でいるかどうか、それが、続くポイントかもしれない。