他人と違うと気づいた私の愛情 31 | 心臓病児と家族のオフロードレース

心臓病児と家族のオフロードレース

お腹の赤ちゃんの心臓がおかしいと言われてから、ガタガタ道のオフロードレース。途中棄権できたらどんなにいいか…
しかし、棄権をすることは出来ない。命の灯火を消してはならない。ならば思い切り輝かせよう!!家族の想い。幸せと葛藤。そんな伝えるべき体験を!!

命名の時の話を。

実は妊婦中に、義父に勧められて、
某有名な神社の元神主さんの家に連れて行ってもらった。

高齢の女性。

少し話をしただけで、
人間力があり、真っ直ぐ正してくれる厳しさがある人だった。

そして霊感のせいか、心のうちを全て見透かされている、そんな気持ちになった。

産まれた時に、
名前はしっかり見てもらいたくて、
この神主さんに候補名を見てもらった。

私は、誰かに何かを決めてもらうは好きじゃない!

占いやスピリチュアルな話も、影響されたくないから、良いことだけみて悪い話は耳にいれないようにしている。

だけど、身体が弱い子だから、名前だけは見てもらおうと思った。

出産して、命名の時に、
この神主さんに聞かれた一言がある。

世間話の中で
「産んでみて、どんな気持ちですか?」
と言われた。

私は、え??どんな?って何?
と思い答えられなかった。

神主さんは、
「何とも言えないくらいすごく幸せよね。」と。

そうですね。と相槌を打ったけど、
私は自分の気持ちが少しズレていることに気付いた。

産んだのに、あまり抱っこしたこともなく、
今現在もオペで入院している。

直接母乳を吸われたこともない。

私の赤ちゃんであって、赤ちゃんでないような。

産んだ実感も、母になれた感覚もなくて、
あ、私、ちょっと違う。
って気づいた。

そんな、すごい幸せーーーーっていう
温かさを感じられてないんだな。って。

気づいちゃった。

勿論、嬉しいし可愛いんだけど、
どこか何か違う。

まだ愛してやまない自分の子というより、
ちょっと離れたところから見ていたのかもしれない。

預かってる命みたいな。

今よりもひいた爽やかな愛情だった。

毎日抱っこして、いつも側にいて、大変でも私が守らなきゃ!って
全責任を自分が背負ってみないと、
愛情って育たないのかな?って感じた。

重い障害の子が産まれて、長い入院生活でだんだん親がこなくなってしまう人もいる。
受け止められなくなり育児放棄になってしまった人もいる。

それって、やっぱり、
産まれてから、ずーっと病院に預ける時間が出来ちゃうと、愛情の種類がまた違うのかも。

勿論、どの親にとっても、
その時のそれがMAX愛情なんだけど、
愛情にはいろんな種類があるのかもしれない。

これは、個人的見解だから、
世の中的には、そんなことはないかもしれないけど。

ただ私は、
娘が退院して、
初めて連れて帰り、家で育ててみてからは、
愛情の深さが確実に成長した。


もう離れたくない!と感じた。