みなさんの家ではどうだろうか?
スパルタ派だろうか?
自主性を大事にする派だろうか?
なかなか自分から自主的にトレーニングする子供は少ない。
ましてや、公園はボール禁止だから友達が集まってサッカーするなんて随分昔のように感じる。
まあ随分昔なのだが。
スパルタな家庭はトッププレーヤーにもいる。
アンドレ・アガシ(テニス)
ソンフンミン(サッカー)
ウィリアムズ姉妹(テニス)
福原愛(卓球)
里谷多英(スキー)
織田信成(フィギュアスケート)
https://www.kendenblog.com/entry/sports-parenting#1-%E6%AD%A6%E5%8F%8C%E5%B1%B1%E7%9B%B8%E6%92%B2
この記事を参考にしたのだが、スパルタとサポートという言葉が出てきて、私にはその境界線は分からなかった。
イチローなんかはスパルタと思っていたが、この記事だとサポートになっている。
こう考えても人の捉え方は様々だなと感じさせる。
だとしたら私が知っているウィリアムズ姉妹はサポートなのかもしれないとも思う。
一応今回はこの記事のサポートもスパルタとして解釈して綴っていきたいと思う。
このようになった。
もちろん、程度差はあるだろう。
しかし見てほしいのが、意外とサッカー選手に少ないと感じないだろうか?
ソンフンミンはアジアでもトップクラスのサッカー選手で、その父親も有名だ。
しかし、少なくともこの記事内ではサッカーという項目は出てこないのだ。
ほとんどが個人競技である側面から、チームスポーツと個人スポーツにはなんらかの決定的な違いを孕んでいる可能性があるのだ。
スパルタでいうとやはり技術面の指導が多数だろう。
以前もブログで紹介したが、あのビエルサは反復トレーニングは暗記にあたるからやればやるほと創造性が無くなると言っていた。
この創造性がチームスポーツにはやはり重要になってくるのかもしれない。
なぜなら、決められた通りの事が現実では起こらないからだ。
例えば野球なんかだったら、いきなり消える魔球はこない。
フィギュアだったら、演目の直前に音楽が変わる事はない。
ゴルフのグリーンが全部コンクリートになる事も、相手が邪魔をしてくる事もない。
ある程度枠組みが絞られているのだ。
サッカーだけ、いろんな選手が入り乱れ、ポジショニングも自分で決めて行動する自由の幅があるのだ。
この自由の幅というのは、やはり自分で考えて意思決定をしなくてはいけないという事だと私は感じる。
つまり、親に強制的にトレーニングを決めてもらったり、親と一緒にトレーニングをする事で思考力が減っている可能性があるのだ。
人間の脳は意外と単純で、慣れる性質をもっている。
ブラック企業にずっといる社員もいるが、彼らは毎日の業務で疲弊し、思考力そのものが無くなるようにトレーニングされているのだ。
そして、その現実に慣れるという状態に陥る。
話を戻そう。
私は自主的にトレーニングする事でしか、トップクラスにはなれないと感じている。
多少の関与はあってしょうがない部分もあるだろうが、やはり脳みその活性度が違う。
長くなってしまったので、次回に続くが今度はこの件に引き寄せの法則という一見関係のない題材を絡めて考えていきたいと思う。