最近、事業形態を今のままで続けるのがしんどくなってきた。


個人事業主としてやっていくって本当に大変だ。


でも這いつくばっても個人事業主を継続したい。


辞めざるを得ない状況をつくらない。


なんとか手を打とう。



昨日から夏季休暇明けで仕事を再開しています。


去年から夏季休暇明けには実家の菓子折りを日頃仕事でお世話になっている方々へ配っています。


お客様先の訪問は相手にとって邪魔にならないか、嫌がられていないかなどと気を遣ってしまいます。


これは当然の気遣いなのか、気を遣いすぎているのか などと考えたりもします。


気を遣ってしまうときは、気を遣うのがいいのでしょう。


知らずのうちにあつかましい奴になってしまうのは仕方ないとして


なんとなく気づいているときは、相手に負担にならないように行動しよう。


8/8~8/14まで実家に帰ってました。

実家に帰るとじょじょに心がほぐれるのが実感できます。



それで実家に帰った機会に高校の友達の家を訪問してきました。

彼は今年の4月に結婚して、家を建てて住んでいます。

それで新築祝いに贈り物をもっていきました。



友人が一家の主って感じでしっくり収まっていたので、

なんか差を感じてしまったなぁ。



まぁ、俺は俺で卑下せずに一歩一歩歩んでいきます。

「世の中に 人の来るこそうれしけれ とはいうものの お前ではなし」


小説家 内田百閒の狂歌ですが、思い出すたびにドキッとさせられます。


これは蜀山人の狂歌


「世の中に 人の来るこそうるさけれ とはいうものの お前ではなし」


のパロディですが、私にとっては内田百閒の歌のほうがインパクトが強いです。




二つの句で上の句が全く異なりますが、世の中の通念としてはどちらが一般的なのでしょうか?


結婚後の友人宅を訪問する、仕事で知り合った人に手土産を届けに伺うといったことが最近


ちょくちょくあるのですが、いつも相手にどう思われているかが気になります。


そんな気遣い屋の私は「世の中に 人の来るこそうれしけれ」というものだと思って訪問しています。


「世の中に 人の来るこそうるさけれ」が一般的な通念だと思っていては、重い腰が上がらないからです。


あと「あなたのことを気にかけてあげてますよ」といった偽善というか若干上から目線の気持ちもあります。




そこで下の句です。「とはいうものの お前ではなし」。


いや、そうなんですよ。なんだかんだで来てもらってうれしい人って、その人にとってごく数人だと思うんで


すよ。やっぱ基本は「世の中に 人の来るこそうるさけれ」なんでしょうね。そのことをよく踏まえて上で


訪問したほうがいいですね。

apr(Apache Portable Runtime)をインストールしました。


1.yumからインストール

  yum install apr*


2.インストール結果

   apr.i386 0:1.2.7-11.el5_3.1

   apr-devel.i386 0:1.2.7-11.el5_3.1

   apr-docs.x86_64 0:1.2.7-11.el5_3.1

   apr-util.i386 0:1.2.7-11.el5

   apr-util-devel.i386 0:1.2.7-11.el5

   apr-util-docs.x86_64 0:1.2.7-11.el5

   apr-util-mysql.x86_64 0:1.2.7-11.el5