Bienal de Arte de Expressão Figurativa de Alenquer

 

 ニース旅行をしている時と同時にアレンクエールでの「形象表現ビエンナーレ」が始まった。
 この展覧会には一昨年に続いて二度目の出品となる。

 ニース旅行に出かける直前のある日。露店市に行った帰りになんとなくペドロの画廊に寄ったら「今、15分前に君に電話をしたところだ!又、アレンクエールがあるよ!出品するのだろう?」と言う。
 ビエンナーレだから、二年にいっぺんしかないので、ペドロに言われるまですっかり忘れていた。
 「それで締め切りはいつ?」と聞くと「今日中!」と滅茶苦茶な話なのだ。
 ポルトガル人は「アシタ。マニャーナ」(ポルトガル語では「アマニャン。マニャ」)の民族なのに、他人にはいつもせっかちなのだ。
 まあずっと前から聞いてた話を僕に伝えるのを忘れていたのだろうけれど…。
 ペドロも最近リスボンにもう一軒画廊をオープンさせて忙しいのだ。
 「明日、アレンクエール市の車が作品を取りに来るから、今日中」というわけ。
 「一点はこの画廊にある30号を出すとして、もう一点.。何かある?同じくらいの大きさで」「今すぐに取りに帰って、持ってきてくれないかなあ?」と言う。
 でもありがたいものだ。勝手に出品をする手はずを整えてくれていたのだから。
 「カタログ用の写真ももう既に送ってある。」とのこと。
 もし僕に連絡がつかなくても一点だけで出品しておいてくれた。ということだ。
 まあ、僕としてみたら、いつでも出品できる作品の一点や二点はあるのだが…。それをペドロは知ってのことなのだ。

 その展覧会のオープニングは僕たちのニース旅行の最中に始まった。
 会期は一ヶ月程もあり、旅から帰ってからゆっくり観に行けばいいと思っていたのだが…。ニースから帰ってからも、結構天気の悪い日が続いて、なかなかアレンクエールには行けなくて、殆ど終る2~3日前にようやく行った次第。

 アレンクエールはリスボンの北約50キロのところにある小さな町。
 決して観光客など訪れる事のない、素通りしてしまう町である。
 元々は工場の町らしく、町の中心を流れる川のほとりに大きな工場跡がある。
 お城の跡もある古い町だが、お城よりも工場跡の方が目だっていて、それがこの町のシンボルになっている。
 町外れにも大きな紡績工場跡があって、これがビエンナーレの会場。
 工場跡を実にうまく展覧会場として利用して、なかなか文化に力を入れている町である。
 立派なカタログやポスターも市の予算で作っている。
 ポルトガルは抽象絵画が盛んなのだが、「形象」のみにこだわって全国の画廊と協賛してのビエンナーレである。

 ルーブル美術館は元は宮殿だが、オルセー美術館は鉄道駅の跡。
 ヨーロッパのお役所は古い建築物をリサイクルするのが巧い。
 セトゥーバルの美術館も工場跡だし、以前に展覧会をしたアヴェイロの文化会館も元は陶器工場とのこと。
 ポルトガルの工場跡は重厚な建物が多くて、ちょっと手を入れると立派な美術館に変身するようだ。

 二年前に出品した時にも「いい会場だなあ!」と思ったものだ。
 天井が高い三階建てで、玄関ホールや階段が広々としてレトロで素晴らしい。
 入口の前には堀がある。
 その堀からはアーチの造りで建物を支えているといったヴェニスにでもありそうな中世風の建築。
 建物全体はサーモンピンクに塗られ、石の建築物といった硬さはない。
 堀には何種類かの水鳥がいる。
 一階は事務所とイベントかパーティーでも出来る様に多目的にとってあるようで、展覧会場は二階と三階を使っている。

 アレンクエールの町自体も絵になるところが多くて、二年前のビエンナーレでもアレンクエールをモティーフにした作品もたくさん出品されていた。
 僕もその時何枚かのスケッチをして帰って作品にしようと試みたのだが、もうひとつ仕上がらなくてそのままになっている。
 今回出品したのは、ペドロの画廊に預けてあったセトゥーバルの絵とエストレモスの絵で、残念ながらアレンクエールの絵ではない。

 入口を入って趣のある階段を上がって、いざ展覧会場に入ろうとして「あっ」と驚いた。
 一番最初の一番目立つところに、なんと僕の二点の作品が並べて掛けてあったのだ。
 パリのル・サロンでも昨年は金メダルだったので、今回は入口に近い割といい場所に掛けてあったので、気を良くしていたところだが、アレンクエールでこれほどいい場所に飾られていたとは思っても見なかった。
 「こんなことなら次はもっといい作品を用意しておこう。」と張り切ってしまう。

 気を良くしてその日もアレンクエールをたくさんスケッチして帰った。
 一番高い所にある修道院のところまで登って、入口の古いアズレージョ(タイル絵)を見ていると、そこに通りかかった老人が「中にも入ってみなさい」と勧める。
 でも中にはいっぱい洗濯物が干してあるし、「人が住んでいるところにずかずかと入っていいのかなぁ」と躊躇しながらおそるおそる入ってみると、中にも古いいいアズレージョがたくさんあって、アズレージョ以外にも彫刻の施された柱廊や日時計のある壁とか、いつ頃の建物か解らないがかなり古いのは確かで、それだけで充分観光資源になるほどの建築物だと感じた。洗濯物さえなければだが…。
 でもそこは今は老人ホームとして使われている様子。

 その修道院から見ると、町の西側にもっと高い丘が見える。
 そこに新しい道と建物が出来ていて、そこからならもっと眺めが良さそうなので行ってみた。
 行ってみるとそこは消防署になっていた。なるほどここからなら町中が一望できる。
 その時のスケッチを今50号の絵にしている。
 また仕上がるかどうか解らないが、このアレンクエールの絵は次の二年後のビエンナーレ?ということになる。VIT

 

(この文は 2003 年 1 月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバス VITの独り言』に載せた文ですが 2019 年 3 月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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 パリのル・サロンに 100号の絵を搬入して、始まるまでの 10日間を今年はニース周辺の美術館等を見て回った。

 かつてそして今もこのニース周辺のコートダジュールには多くの画家がアトリエを構えている。
 パリとは比べ物にならない、輝く明るい太陽が降りそそぐコートダジュールは光線を描く印象派以降特にフォービズムやキュビズムの画家たちにとっては堪らない環境だったに違いない。
 多くの作品をこの地で描き、そしてこの地に残している。
 もちろんこの地で描かれた名作の多くは世界中の美術館に散らばってはいるが、動かす事の出来ない、この地でしか観ることの出来ない作品が実に多い。

 リューマチで苦しんでいた、77歳のマチスが恐らく最後の力をふりしぼって、建物のデザインからステンドグラス、タイル絵、ドア、僧衣のデザインに到るまで、その全精力を傾けたであろうと思われる「ロザリオ礼拝堂」
 ステンドグラスには明るい黄色とブルー、タイル絵には白地に黒の線描きのみ、透かし彫りの懺悔の扉も白く塗られステンドグラスの黄色とブルー以外は殆ど無彩色の世界。
 色彩画家マチス最晩年の極限の色だろうか?壮絶な仕事を垣間見た思いである。

 ヴァロリス城礼拝堂のピカソ「戦争と平和」も物凄い迫力で観る者を圧倒する。
 小さな古い礼拝堂であるが、そのアーチになった壁と天井いっぱいに貼ったコンパネをキャンバスにたれ落ちた絵の具も生々しく、上から上から塗り重ねた線、そして面。
 ピカソの戦争への憎しみと平和への喜びが、まさに叩き付けられていると言った迫力の超名作と言える。

 礼拝堂ではもう一つ、マントン市役所礼拝堂の「ジャン・コクトー」がある。
 普段ジャン・コクトーを観る機会はあまりないが、いつもの線にパステルカラーが心地よい。
 これは現在も礼拝堂として使われている様子。
 ジャン・コクトーの壁画に包まれて結婚式が出来るマントンの若者は幸せだ。
 おなじ町の玉砂利のビーチに張り出した要塞は今ではジャン・コクトー美術館になっている。
 その入口の壁をそのビーチの小さな玉砂利でモザイクした、ジャン・コクトーもいかにもコクトーらしい。
 ビーチの玉砂利を踏みしめながらあの映画の構想を創り出していったのであろうか?

 モザイクはシャガールもヴァンスの教会やサン・ポールとニースの美術館に残している。

 そして教会のために描いた大作のかずかずがニースのシャガール美術館にある。
 おおよそ 500号くらいの青を基調に描かれた絵が 10点ばかり、赤を基調に描かれた 150号くらいの絵が5~6点。
 それに彫刻とステンドグラスといずれも聖書からモティーフを執ったものには違いないけれどシャガールが生まれ育った町とその時住んでいたヴァンスの町なども取り入れられていてシャガール特有の画面構成が楽しい。
 その他に聖書のための24点の挿絵。

 サン・ポール鷹ノ巣村の村はずれにはマーグ財団美術館がある。
 ブラックがモザイクした池には水がたたえられてあり、水を透して見るブラックの作品などここ以外のどこで観ることが出来るだろうか?
 そしてやはりブラックのステンドグラス。ミロの沢山のオブジェの庭。
 と常設展示の他にここではちょうどムーアの企画展が催されていて、まとめて沢山の作品を見ることが出来た。
 大きな木の作品。大作のためのエスキース的な小品。デッサンや油彩。
 それに自分の娘のために作ったおもちゃがほほえましく全くムーア的でいままで見慣れたブロンズの大作ばかりとは、ちょっとひと味違った大変充実した贅沢な展覧会で、観ることが出来て運が良かった。

 アンティーブからビオット行きのバスに乗り、運転手に教えられるままにその途中で降りて人通りの全く無い住宅街の道を不安を感じながらとことこと歩いていくと突然巨大な壁画が目に飛び込んでくる。レジェ美術館である。
 レジェ美術館の建物の二面に何メートルあるだろうか?
 とにかくでかいレリーフの壁画が作られていて、その前に立っていると明るい陽の光に包まれたような、なんだか幸せな気分になる。
 壁画の前に立ってみるだけではるばるやって来た甲斐があると言うものである。

 三岸節子が晩年アトリエを構えていたカーニュにはルノアールのアトリエも残されている。

 そのカーニュには地中海美術館と言うのがある。
 現在の町の中心地から急な狭い坂道をずり下がりそうになりながらどんどんと登ったグリマルディ城の中にその美術館はあった。
 坂の途中小学生の団体に勢い良く追い越されてしまったが、皆が水道の蛇口にかじりつき口をつけて水を飲んでいるところで今度はこちらが追い越して城には結局我々が先に到着した。
 まるでうさぎとカメの話の様にだ。
 美術館にはその小学生も後から入ってきた。
 が観覧者はそれ以外には居ない。
 一階はオリーヴオイルを造る古い装置などが展示されていて、先生はその説明を生徒達にしていた様だ。
 二階は 20世紀の地元出身現代画家「ヴァレーリ」の年代別展示と、狭い一室に「スージー・ソリドール」と言うその当時パリのキャバレーのトップスターだった
 一人の女性を色んな画家が描いた肖像画の部屋。
 三段掛け、四段掛けにされていて、うっかりすると見逃してしまいそうだが、そこにはローランサン、キスリング、バン・ドンゲン、デュフィ、コクトー、レムピカ、ピカビアそれにフジタの作品があった。全部で 40点もあっただろうか?
 同じ人物を色んな画家の手によって個性豊かに表現されているのはとても興味深い展示であった。

 今回の旅で最も期待していたところにニースのマチス美術館がある。
 彫刻。墨絵のデッサンの部屋。極初期の油彩。
 そして最晩年の壁いっぱいの切り絵とロザリオ礼拝堂のための模型。
 その他、モティーフにもなったテーブルや椅子。
 ついたてと緞帳(厚手のカーテンの様なもの)も残されていた。
 それに版画のための大掛かりな印刷機などもあった。
 マチス晩年の切り絵や版画が現在のグラフィックデザインに大きく影響を与えたのもうなずける。

 ニースには「ジュール・シェレ」と言う美術館もある。ジュール・シェレは 19世紀の画家。
 やはりグラフィックデザインに影響を残したロートレックの先駆的役割を果たした画家である。
 一階は古い宗教画イコン等も展示されているが、二階にはジュール・シェレの他にマリー・バシキルセフと言う女流画家の肖像画と自画像、その深い眼差しが素晴らしかった。
 そしてデュフィとヴァン・ドンゲンのそれぞれの部屋があり、いい作品が揃っていた。

 この旅では 10日間で 14もの美術館等を訪れたことになる。
 一ヶ所にかたまっているということはなくそれぞれが不便なところに散らばっていて行き着くのに結構苦労もした。
 歩きながら又バスに揺られながら、今観てきたばかりの作品を反芻してみるのに丁度良い距離ともいえる。

 その他にマチス、デュフィ、シャガールのお墓にも御参りすることも出来た。

 マチス美術館を出て、マチスとデュフィのお墓のある墓地はどっちの方向か?と探していたら、ディジー・ガレスピー通りと書かれた標識を見つけた。
 他にマイルス・デイヴィス通りとデューク・エリントン通りもあった。
 そして公園の中にはルイ・アームストロングとライオネル・ハンプトンのブロンズ胸像が建てられていた。
 マチス晩年の作品に「ジャズ」と名付けられたものがある。
 デュフィも音楽には造詣が深い。
 きっと今ごろは賑やかにやっているに違いない。

 印象派の画家たちはバルビゾンの柔らかな光線に出会い、、後期印象派のゴッホ、ゴーガン、セザンヌたちはもっと強いプロヴァンスの光を求め、そしてフォービズムやキュビズムの画家はコートダジュールの焼け付く太陽によって、お互いが激しく影響しあい、強烈な個性を発揮することになったのだと感じた。

 ルノアール、マチス、ピカソ、ブラック、デュフィ、シャガール、レジェ、ムーア、ミロ、そして現代美術のニキ・ド・サンファールに到ってもこのコートダジュールの太陽と無関係だとは思えない。

 二度ほど傘を使ったとはいえ、まあまあ天気にも恵まれ感動の連続であった。
 ポルトガルよりは少し寒いだろうと厚着をしていったものだから、かえって汗をかいてしまった。
 一昨年とその前に訪れたアルルやマルセーユ周辺よりも一ヶ月遅い11月なのにかえって暖かく感じたほどだ。
 パリとはかなり気温も違いやはり世界のリゾート地だ。
 それでもポルトガルよりは少し気温は低い筈なのだがニースのビーチでは海水浴を楽しんでいる人が何人も居た。
 若者だけではなく、決して若くはない人までもがである。
 これが11月中旬とは思えない。
 地中海の水は大西洋の水よりも温かいのにちがいない。たぶん。VIT

 

以下は旅の事前に作成した旅程表です。これはあくまで計画段階のもので、
実際には一部変更し、モナコやマントンなども追加しました。宿泊したホテルも実際のものとは一部異なります。

 

ニース旅程表

11/02(土)

リスボン07:40発

(AF2125)

パリ11:15着

パリ15:45発

(AF7706)

ニース17:20着

 

ニース泊

Hotel    Massenet

11 Rue Massenet

tel .04 93 87 11 31

fax. 04 93 16 08 69

11/03(日)

ニース

ニース近代現代美術館(ニース)(11:00~18:00)火休

Musee d’Art Moderne et d’Art Contemporain (Nice)

ニース泊

11/04(月)

ニース

マティス美術館(ニース)(10:00~17:00)火休

Musee Matisse (nice)

シャガール美術館(ニース)(10:00~17:00)火休

Musee National Message Biblique Marc Chagall (nice)

ニース泊

Hotel Lepante         

6,rue de Lepante

tel. 04 93 62 20 55

fax. 04 93 92 37 69

11/05(火)

ニース

サンポール

ヴァンス

マーグ財団美術館(サンポール)(10:00~12:30/14:30~18:00)無休

La Fondation Maeght (St-Paul)

ロザリオ礼拝堂(ヴァンス)(14:00~17:30)日祝休

Chapelle du Rosaire (Vence)

ヴァンス泊

Auberge des Seigneurs

Pl.du Frene

Tel .0493 58 04 24

Fax.0493 24 08 01

11/06(水)

ヴァンス

カーニュ

アンティーブ

 

アンティーブ泊

Hotel de Etoile        

2,av Gambetta

tel .04 93 34 26 30

fax .04 93 34 41 48

11/07(木)

アンティーブ

ビオット

ヴァロリス

アンティーブ

レジェ美術館(ビオット)(10:00~12:00/14:00~18:00)火休

Musee National Fernand Leger (Biot)

ピカソ美術館(ヴァロリス)(10:00~12:00/14:00~18:00)火休

Musee National Picasso (Vallauris)

アンティーブ泊

Le Relais du Postillon

8,rue Championnet

tel .04 93 34 20 77

fax .04 93 34 61 24

11/08(金)

アンティーブ

ピカソ美術館(アンティーブ)(10:00~12:00/14:00~18:00)月祝休

Musee Picasso,Chateau Grimaldi (Antibes)

アンティーブ泊

L’Auberge Provencale

61,pl.Nationale

tel .04 93 34 13 24

fax .04 93 34 89 88

11/09(土)

アンティーブ

ニース

ニース(ジュール・シェレ)美術館(10:00~12:00/14:00~18:00)月休

Musee des Beaux-Arts(Jules Cheret) (Nice)

ニース泊

11/10(日)

ニース13:10発

(AF7703)

パリ14:45着

ル・サロン(L’espace Auteuil/Porte d’Auteuil)

パリ泊

Hotel Excelsior

20,rue Cujas

tel .463 479 50

fax .435 487 10

11/11(月)

パリ13:00発

(AF1624)

リスボン14:35着

 

帰宅

 

 

(この文は 2002年12月号のサイト『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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 ポルトガルの蜂蜜はいい。と言う話をどこかで聞いたことがある。
 ポルトガル国内ではアラビダ山の蜂蜜が最も上質とされている。

 アラビダ山はポルトガルで最初に指定された国立公園でセトゥーバルの西側にあり、我家からもその頂上を望むことができる。
 その中腹にはアラビダ修道院があり、かつてはそこでも蜂蜜を作っていたのだろう。

 家から広場に出てまっすぐ西へ延びている道は「ルア・ノッサ・セニョーラ・ダ・アラビダ」と言う。
 ノッサセニョーラとはノートルダム(我らが母)つまりマリアさまを指す。
 なんだかありがたいような、恐れ多いような道である。
 両側は庭付きの家が並んでいて、ホウセンカ、矢車草、薔薇、ブーゲンビリアと様々な花が咲きみだれる。
 レモンの大きな木も何本かあって、一年中実がついている。花の時期にはいい香りがする。
 その道の突き当たりにロータリーがあり、それに面した一軒の家に「自家製蜂蜜あります」という張り紙がしてある。が残念ながらそこで買ったことはない。わざわざノックしてまで買うほどは我家では使わない。
 メルカドで買う。メルカドで売っているのも同じくアラビダの蜂蜜である。

 いつも同じ場所で売台の上に 300 グラム入りの小さいビンからインスタントコーヒーの空きびんに詰め替えた1リッター入りの大きなビンまで、様々な形の違うビン 30 個程をならべて商売をしている。
 普通の蜂蜜以外にも蜂の巣をそのまま切ってビンに入れたものや、花粉をビンに詰めた物なども一緒に並べてある。
 蜂蜜のビンにはそれぞれ花や木の名前がそまつに印刷されていて「ローズマリーとその他の花」等と書かれてある。
 そのお花畑の中に巣箱を持って行くのであろうが、なるほど花によって蜂蜜の味が違って当然と言えば当然なのかも知れない。
 そう言えば色というか濃さも違う。
 その中に「ユーカリとその他の花」と言うのもある。
 ユーカリの大木の林を通り過ぎる時はいい香りがする。
 ドライブをしていても閉め切った車内までその香りは漂ってくる。
 花は見た事はないが、きっとその花もいい香りなのだろう。
 セニョーラはユーカリの蜂蜜を勧める。

 メルカドで店を出しても、野菜や魚の様に次から次に売れるものでもないらしく、そこのセニョーラはいつも暇そうに手持ち無沙汰で前を通り過ぎる人々をただ眺めている。
 毎週日曜日どこかここかで開かれる露店市でも店を出しているがやはり暇そうである。

 我家は2人家族でそれ程は使わないのだが、最近は毎朝のヨーグルトに少しだけ垂らす。
 ヨーグルトは自家製である。
 自家製と言ってもただ牛乳を暖めて 50 度に冷やした中に市販のプレーンヨーグルトを混ぜ合わせ、魔法瓶で24時間程寝かせる。と言うだけのもの。
 これが場合によってはかなり酸っぱく出来上がってしまう。
 酸っぱい物は好きな方だがそのままでは胃が飛び上がって縮こまってしまう程酸っぱい。
 それで蜂蜜をほんの茶さじ半分ばかり垂らす。その程度使うだけでめったには買わないのだが、その蜂蜜売りのセニョーラとは顔見知りになっていて、いつもあいさつを交わす。

 日本からニラの種を仕入れてきてプランタで作っている。
 毎日の味噌汁の具になったり、お好み焼きやかきあげに入れたり、春巻きや餃子を作ったりといろいろと使いみちも多くて便利である。
 結構使っているつもりでも、2人では使いきれない程よく繁る。
 そして毎年、たくさんの白い可憐な花をつける。
 その花も天ぷらにしたりもする。
 ニラの葉と同じ味だが香ばしくて食卓に彩りを添える逸品になる。

 そのプランタのニラの花にミツバチがやってくる。

 アラビダ山の方からやってくるのだろうか?マリアさまの道を通って。

 ニラの花の香りは何と言うか、食欲をそそる臭いではある。
 だが決してユーカリの様に蜂蜜に向く匂いとは思えない。
 蜂蜜のラベルで言えば、その他の花には違いないが…

 さてアラビダブランドの蜂蜜、
 最上質の味が変化してしまいませんように!VIT

 

(この文は 2002年11月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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 ポルトガルの夕焼けは美しい。

 四月頃から一滴の雨も降らなかったポルトガルも、九月の中旬あたりからそろそろ雨期に入り、雲がではじめる。

 雨期のはじまりには、急に風が吹きだしたかと思うと、どこからやってくるのか、真っ黒い雲が沸きたち、にわかにバチャバチャと音をたてて雨が降りはじめる。
 粘土質の地面はたちまちにぬかるんでしまう。

 雨期と云っても日本の梅雨の様な雨量はなく、一週間降ったり止んだりがあったかと思うと、次の一週間は全く降らないと言った具合。

 でも夏の晴れと違うのは雲があること。
 そしてその雲が美しい。
 とりわけ夕陽に映える雲は筆舌では尽くせない。

 様々な紫、様々なピンク、様々な赤、様々なオレンジが、様々なグレーと混ざり合って刻々と表情を変えていく。
 遠くには昼の名残のトルコブルー、そして輝くプラチナの白。

 夕陽自身もその色を変えつつ、また幾分かたちも変えつつ、惜しげもなく瞬く間に沈んで行く。
 ときたまカモメの黒い影がさえぎり「ハッ」と我にかえる。
 絵を描いていてもその筆を置き、呆然と見いってしまう。

 ワインを片手にしたいところだ。
 それもできたら熟成された年代物のポルトワイン。
 ポルトワインの深い赤とその夕焼け色はぴったりとコーディネイトする。

 残念ながらそんな時はほんの一刻でしかない。
 短すぎる。でも短すぎるから又いいのかも知れない。

 ユーラシア大陸の西の果て、ポルトガルほど夕焼けの似合う国はない。
 もうそこには海しかない。出て行かざるをえなかったのか、やがて大航海時代がはじまり、ポルトガルに巨万の富をもたらすことになる。
 そんな過去の栄光を投影しているかの様な夕焼けにも思える。
 ポルトガルに「サウーデ」。

 美しすぎて絵にならないと言う事があるが、まさにそんなオウトブロ(十月)の至福のひと時である。VIT

 

(この文は 2002年10月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

 

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 セトゥーバル漁港の西のはずれに一軒のカフェがある。
 地域郵便局がその近くにあるので、手紙を出しに行った帰りなどに時々は寄ってコーヒーを飲む。
 郵便局にはいつも客が多くてたいてい30分程も並んで待たされる。
 足の悪い老人などは気の毒だ。
 せめて番号札を導入するとか、もう少し住人の立場に立った、きめ細かいサービスを考えてもらいたいものだ。
 ついついサービスの行き届いた日本の郵便局と比較してしまう。
 今後、日本の郵便局は民営化して果たしてどう変わってゆくのだろうか。

 気晴らしに今日もそのカフェに立ち寄った。
 テラスがあってそのテラスから港を見ながらコーヒーを飲むのは気持ちがいい。
 がそのテラスで以前カモメから糞を引っかけられたことがある。
 今日はしっかりとパラソルで隠れるところに席を確保したから大丈夫だ。

 カフェの向かいには漁師が網などをなおしておく漁師小屋が立ち並んでいる。
 客の殆どは漁師である。
 狭いカウンターに寄りかかって2~3人の漁師がバガッソ(ワインの絞り粕で作った焼酎)などを飲んでいる。
 まだ午前中だと言うのに。
 カウンターの中では美人の女将さんが一人で忙しく働いている。
 コーヒーは当然ながらセルフサービスで自分でテラスまで運ぶ。

 見晴らしが良くて気持ちの良い筈のテラスが今日はやたらとうるさい。
 ふと見ると小さなスピーカーがテラスに向けて取り付けてあってラジオを流している。
 音が悪いので雑音以外のなにものでもない。
 サービスのつもりだろうが、これはよろしくない。即刻取り外してもらいたいくらいだ。
 以前の様にポンポン船の音、カモメの声、風の音。波の音。それだけのほうがよっぽどいい。

 その小さなスピーカーのすぐ隣に鳥かごがやはり壁に取り付けてある。
 中にはカナリアが一羽いる。
 このカナリア、これだけの騒音と隣りあわせでは、気が狂ってしまうのではないかと心配してしまう。
 やがてラジオはロックに変わった。ロッド・スチュアートに似ているが誰だろう?誰かの新曲だろうか?
 いや待てよ、ブライアン・アダムスか?ブライアン・アダムスの新曲か?

 耳を澄ましてよく聴いてみると、カナリアが一緒に歌っているではないか。
 しかもブライアン・アダムスらしいのとハモッテいる。
 息はぴったり。リズム感もバッチリ!
 「いやー。まいった!」

 こんなことなら、このカナリアの歌、時々は…いや毎日でも聴きに来たいものである。
 郵便局に行く楽しみが一つできた。

 鳥かごとスピーカーそのままに、そのままに! VIT

 

(この文は 2002年9月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

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 毎年日本から3~4ダースの鉛筆を仕入れてくる。

 ポルトガルにも専門店にでも行けばいい鉛筆をみつけることはできるのだろうが、別段そういうこともしない。

 ポルトガルのスーパーや露店市にも売ってはいるが、そういうところにはろくな鉛筆がない。

 日本から持ってくると言っても特別なものでもない。

 宮崎の量販店で売られている、あの昔から慣れ親しんだ、深緑色にくっきりと金色のマークと文字の入った「三菱鉛筆9800」というごく普通の鉛筆である。

 HBとBと2Bを1ダースづつ程度。それ程重くもならないし、かさばることもない。

 鉛筆で手紙を書くと失礼になる。と聞いたことがあるが、僕は鉛筆の方がいい。ボールペンはどうも苦手だ。

 鉛筆を毎年それだけ消費するのは、もちろんスケッチに使うからである。

 2Bより濃い4B,5B,6Bも少しは持ってくる。

 使い分けをしようといろんな濃さを持ってくるのだがいざ描きはじめると、BならB,2Bなら2Bで始めから終わりまでやってしまうことが多い。要するに何でもいいのだ。

 スケッチに出かける時は10本位のきれいに削った鉛筆を持って出る。

 鉛筆にはキャップを付けている。もちろんカッターナイフも小さいのを入れている。10本あれば途中で削ることはあまりない。宿であるいは帰宅してから削ればよい。

 最近の子供は鉛筆を削るのが下手だと聞いた。電動の鉛筆削り器を与えられているのだから、下手は当然と言えば当然の事かも知れない。

 僕は子供の頃から鉛筆削りだけは巧かった。また鉛筆を削るのが好きでもあった。それは今も続いている。絵を描くのに飽きたりするとアトリエの隅っこで鉛筆削りを始めたりする。必要な本数以上を削ったりしてしまう。趣味?とまでは言わないが変なところに好みがある。

 中学2年の時だった。僕の隣の席に知恵おくれの女生徒が座った。普通なら養護学級で勉強するところであるが、ご両親の希望で普通のクラスで学んでいた。授業の内容は全く理解できなくて、たまたま事情を知らない新任の教師などが来られて当てられたりすると、真っ赤な顔をして「わかりません」と大きな声で答える、元気で明るいそしてクラスメートからも人気のある女生徒でもあった。

 その彼女には特技があった。鉛筆削りである。僕はそれまで鉛筆削りは得意だと思っていたが、彼女の方が遥かに巧かった。そして休み時間には自分の鉛筆以外にも僕や周りのみんなの筆箱の中までもきれいにやっておいてくれるのである。もちろん頼んだわけではない。

 彼女とクラスが別れた後、僕は鉛筆削りがますます好きになっていた。

 そしてますます上手にもなっていた。彼女からそのコツをしらずしらず学んでいたのだと思う。

 鉛筆削りと簡単に言うが極めるには奥が深い。なにしろ天然木が相手である。一本一本微妙に違う。削り始めると面白い。だからなのか今、鉛筆を大量に消費できる喜びを感じている。

 筆箱の中が整頓されていつも鉛筆がきれいにそろえられているといっても残念ながら字がきれいになるとは限ったことではない。また、残念ながらスケッチが上手になるとも限らない。VIT

 

(この文は 2002年7月号の『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが 2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しづつ移して行こうと思っています。)

 

武本比登志 エッセイもくじ へ 

 9月下旬、セトゥーバルには39℃という、火災のリスク、黄色信号が出ていた。エアコンのない我が家を避けて、旅に出ることにした。クルマのエアコンはこの夏修理したばかりだし、ホテルはエアコンが効いている。

 2018年9月24日(月曜日)晴れ。猛暑日。

 7:00起床。朝食を済ませ、8:50出発。通勤ラッシュ。

 パルメラのジュンボGSで満タン。14,19Ltx1,549=21,98€。

 いつも通り一般道を走りピニャル・ノヴォ、モンティージョを通過してヴァスコ・ダ・ガマ橋の通行料金2,80€を支払い、サービスエリアで休憩。コーヒーx2=1,40€。「コンチネンテのカードをお持ちですか?」と聞くのでカードを示すと「5ユーロのチャージがありますのでそれを使いますか?」と言う。最近このサービスエリアのカフェテラスは『バーガーキング』になりコンチネンテと提携しているのだ。「いや、別に払います」と言って普通に支払いコーヒーを飲む。以前とは違ってバーガーキングになってからは随分とお客が多い。

 ヴァスコ・ダ・ガマ橋を渡って、渡りながらA1で行くか、A8で行くか?どちらでも良かったのだが、猛暑だし海側の高速道の方が涼しいかなと思い急遽A8に乗る。ロウレスからボンバラルまでの高速料金=4,85€。以前A8は無料だったのだが、全国の高速道有料化が進んでいる。

 途中無料のところを走るがその間にオビドスがあるので一旦高速道を降りひと歩き。駐車料金=1€。物凄い人。人、人、人。ヨーロッパ人、中国人、それに日本人の団体も。日本人添乗員の女性が「暑いので陰のこの門の中で皆様をお待ちしましょう」などという声が聞こえた。

 30分ほどだけ歩き、1987年の冬だったか、未だポルトガルに住み始める前の旅行でMUZが風邪をこじらせてしまい、オビドスのお医者さんから移動禁止を言い渡され1週間滞在。僕はイーゼルを立て油彩を何点か描いたポルトガル原点の町だ。その時は勿論冬だったせいもあるが、観光客など全く居なかった。もう31年も昔の話になってしまった。その時の民宿のあたりをスケッチ。毎朝、朝食のパンを買いに走ったパン屋も今では土産物屋に代わっている。

 再び高速道A8に乗り、ナザレ近くのサービスエリアで昼食。バカラウのタマネギ煮込み=9,95€。レイタオンサンド=8,95€。ノンアルコールビール=2,25x2=4,50€。合計=23,40€。明日はレイタオン街道で昼食を予定の為予行演習でレイタオンサンド。でもこれは旨くない。

 オビドスからA8と別の高速道に乗り継ぎミラで降りる。高速道料金=12,50€。N1からクーリアに入ったところに鉄道駅。撮影。

 クーリアに着いたらすぐにホテルは判ると思っていたが、よく似た建物、パレスホテルか何かの門のところで「ここかな~」などと思って眺めていたら入り口付近に居た男が声をかけてきて「ホテル・テルマス・ダ・クーリアならずっと先の方だよ。」と言って自信をもって詳しく道順を教えてくれた。行ってみたがおかしいと思い引き返す。パレスホテルまで戻り、そのすぐ前のロータリーのところに半分閉まった門があり、そこの門番の少年に尋ねると「ここです」といいながら門を開けてくれた。

 テルマス・ダ・クーリアのホテルにチェックイン。ビジネスホテルとは違って温泉ホテルだから相当前もって予約をする人が多いのだろう。僕たちは昨日予約したばかりだからフロント係の人は予想していなかったのかも知れない。「予約は何時しましたか?」「予約は昨日」といったら「あっ、ありました~」と言ってようやく部屋のカードをくれる。

 部屋に荷物を下ろし、水などを冷蔵庫に入れ、テルマス(温泉)の広い庭というか、森を散策。やはりあまり咲いてはいない。大きな池の周りを庭が取り囲むかたちで湿度は高い。一回りして庭園にあるカフェテラスで休憩。ビールx1。カリッポ(アイスキャンデー・レモン)x1。合計=2€。真夏の暑さなのに庭園樹は紅葉している。

 夕食用のつまみを『ミニプレソ』に買い出し。その前にもうひとつ駅を撮影。買い物はルーソーのアグア・コン・フルータ1Lt=1,49€。TUCクラッカー100g=0,99€。スライス・サラミ120g=1€。梨582gx0,99=0,58€。合計=4,06€。梨は小さいもので安かったが旨かった。

 風呂に入り、映画を観ながら寝る。

 キーラ・ナイトレイとジュード・ローの『アンナ・カレーニナ』とアンジェリーナ・ジョリーとジョニー・デップの『ツーリスト』

 2018年9月25日(火曜日)晴れ。更に猛暑日。

 7:00起床。朝食サロンは7:30からだと聞いていたが、7:50に行くとお客は誰も居ない。係の人が「どこでもお好きなところに」というので、真ん中に座ったが、テーブルセッティングはたくさんしてある。お客は多いのだろうが、こういったホテルでは皆遅くに朝食を摂るのだろう。朝食の内容はまあまあ上等。たっぷりと食べたっぷりと飲む。途中から3組6人のお客。

 9:00から森を散策。広大な庭園だがルーソーのブサコの森とは違って平坦なために歩きやすい。でも今の時期、殆ど何も咲いていない。春、花の時期にももう一度来てみたいと思った。

 キク科の萼片に特徴のある黄色花はたぶん初見花。他にも小さな初見花か?それと2本だけだが白いイグチ系キノコ。ずっしりと重く、たぶん食べられるキノコだがそのまま撮影だけ。

 昨日入ったカフェテラスでコーヒーX2=1,20€。朝にたっぷり食べたのでお昼は遅い目にレイタオンのレストランへ。

 クーリアの南隣町メアリャーダを中心とする国道1号線沿いはレイタオン街道とも呼ばれ大小多くのレイタオン(子豚の丸焼き)専門レストランが並び、しのぎを削っている。その中の2番人気の『レイ・ド・レイタオン』に入るつもりだったが、あいにく定休日。

焼き立てのレイタオンを抱えたシェフのアズレージョ

 もう3度目になる1番人気の『ピクニック』に入る。レイタオン(子豚の丸焼き)2人前=24€。ポテトフライ=2€。ミックスサラダ=2€。ノンアルコールビールx1=1,60€。エスプマンテ(シャンペン)375mlx1=4€(エスプマンテもこの地域の名産)。フルーツサラダx2=2€。デスカフェイナードx2=1,40€。合計=37,00€。チップ=2€。食後、ルーソーを一回り。ルーソー駅を撮影。

 クーリアに戻り庭園内にあるフォンテ見学。老人たちが温泉水を白衣を着た係の人から汲んでもらって飲んだりしている。食後、3時間は飲まれないらしい。かつて北の温泉地シャーベスで見た施設によく似ている。

 3泊目をどうしようかと考えていたが、やはりエストレラ山に行くことにする。が、どうなるか判らないので未だホテル予約はしない。コビリャンに着いてからでも良いだろう。

 早めに風呂に入り、部屋でワインとつまみ。寝ながらテレビの映画も観たが覚えていない。

 2018年9月26日(水曜日)晴れ一時雨。きょうも猛暑日。

 7:00起床。7:50朝食サロンには1組のカップルが座っていたが、入り口には未だ鍵がかかっていた。別の入口から入ったのだろう。バスが停まっていると思っていたら、途中から20人程の団体客が朝食。ファーロから市役所のバス。今朝もたっぷりと食べ、たっぷりと飲む。

 9:00ホテルのチェックアウト。102€(2泊朝食込み)。出発。

 昨年も来たダオンで駅の取材。昨年は駅のあることを知らなかったので…。

 ダオンのPRIO/GSでガソリンを満タン。26,48Ltx1,579=41,81€。

 駅の標識がその先にあったので行ってみたがどうも違うと思い引き返し、途中、道路工事の交通整理をしていた小父さんに尋ねると詳しく教えてくれたがどうも複雑な様だ。肝心なところで標識が出ていないから判らなくなるのだ。一旦、IC12に入らなければならないのだがそこに標識が出ていない。その次からは標識がありようやく見つけることが出来、ダオン駅を撮影。満タンにしたガソリンスタンドの前を3度も行ったり来たり。

 ダオンからオリベイラ・ダ・ホスピタルを通過しセイアに行き、エストレラ山に入るつもりだがその道、国道234号線への標識が見つからない。こんどはダオン駅の前を3度も行ったり来たり。結局IC12に入りネラスまで行き、セイアに入る方が判りやすくて良いと思いIC12でネラスまで。IC12は無料の半高速道路だ。

 家に帰ってから考えてみたのだが、スマホを持っているのだからスマホのマップを見るとかすれば迷うこともなかったのだろうと思う。どうもスマホを使いこなせていない。

 ネラスで「駅はこちら」の標識があったので行く。ネラス駅を撮影。

 駅前の食堂で昼食。赤魚の姿煮。ポテトフライ。ミックスサラダ。豚肉の炭火焼きに豆ライス。ミックスサラダ。ミネラルウォーター1,5Lt。デスタフェイナードx2。合計=12€。安すぎるのにびっくり。

 その食堂のテーブルでスマホからコビリャンの『ホテル・サンタ・エウフェミア』を予約。昨日予約より当日予約の方が2€安くなっていた。でも今年はどこも高止まりだ。

 セイアからエストレラ山は何度も通っている慣れた道だ。このあたりでも山火事の跡は痛々しい。焼けたユーカリからは猛烈に新葉を出している。驚異の樹木だ。やはり山野草は殆ど咲いてはいない。

 あちこちで メレンデラ・モンタナ Merendera montana が咲いている。以前にも素晴らしい群生の撮影が出来ているのでそれほど必要はないのだが、今年は今年として撮っておいても良いかなと思ったが、以前の群生地を通過するころに大粒の雨。ところどころで観察を試みたがいつ降りだすとも知れない雲行き。

 コビリャンの『ホテル・サンタ・エウフェミア』に着いたのが17:00。駐車場は空いていた。フロントはいつも歓迎してくれる顔見知りの小父さん。支払=52€(1泊朝食込み)。夜に部屋から駐車場を見てみると満車。他のお客は遅くに着いた様だ。テレビの映画を観ながら寝たが、やはり映画は覚えていない。

 2018年9月27日(木曜日)晴れ時々曇り。きょうも猛暑日。

 7:00起床。7:40朝食サロンに行くと既に大勢の人。このホテルはいつも流行っている。朝食係が女性に代わっていた。たっぷりと食べ、たっぷりと飲む。

 9:00出発。コビリャオンとフンダオンの中間地点の国道沿いに、セレージャ(サクランボ)の季節には特設のセレージャ市が建つ。その筋向いにもレイタオン専門レストランがあり、いつも流行っていて、一度入ってみたがメアリャーダのレイタオン街道1番人気の『ピクニック』にも引けをとらないくらい旨い店だ。

 フンダオンをすり抜け、アルコンゴスタに寄って少しスケッチ。今までも2度訪れている村だがいつもセレージャ(サクランボ)祭りの時なので、何でもない静かな時にスケッチに一度寄ってみたかったのだ。

 朝食をたっぷり食べたので、あまりお腹も空いていないし少し早かったが、今まで入ったことのないレストランで昼食。通るたびによくクルマが停まっていてMUZが一度入ってみたいと思っていたと言う、ラルド―サのロータリー前食堂。ペスカダフリット、トマトライス、ミックスサラダ、炭火焼きミックスミート盛り合わせ(エントレコスタ、エントレメアーダ、鶏モモ、ソーセージ)、ポテトフライ、ミネラルウォーター1,5Lt、フルーツサラダx2、デスタフェイナードx2、合計=17€。さすがクルマが多く停まっているだけあって、ここも安くて旨い。昼食にはたいていノンアルコールビールを注文することが多いのだが、暑すぎるのでミネラルウォーターの1,5リッター。それを2人で殆ど飲んでしまう。

 カステロ・ブランコのジュンボGSで満タン。15,60Ltx1,490=23,24€。

 カステロ・ブランコからヴィラ・ヴェーリャデ・ロダオンを通り抜け、ニーサで休憩。コーヒーx1、カリッポ(レモン)x1=2€。以前にも何度もスケッチをしているが旧市街を少しスケッチ。やはり暑い。

 ニーサから山越えでポルトアレグレ。

 いつもならポルトアレグレからIP2に入るところだがその手前でIP13というのに入り、クラート、ポント・デ・ソール、モンテモール・オ・ノヴォのルートで帰ることにする。IP13の素晴らしいこと。いつこんな立派な道が出来たのだろうか?130キロは軽く出てしまう。久しぶりにクラートでも少しスケッチ。

 IP13まで戻りポント・デ・ソールを目指すが急に道が狭くなったりして未だIP13は完全とは言えない。やはりこのルートは時間がかかる。

 野の花も咲いていないし、鉄道駅もない。退屈な運転だ。もうだいぶ前からヘッドライトを点けている。遠くで真っ黒な雲、真っ黒な雲が太陽を隠していて、雲のアウトラインが金色に輝いている。珍しい現象だ。

 ヴェンダス・ノヴァスに着いたら『ビッファナス』で休憩をするつもりだったが、その前に、明朝食のパンとバナナが切れているのでヴェンダス・ノヴァスの『リードゥル』に寄り買い物。

 ピッザ・カルボナーラ400g=1,99-0,20=1,79€。100%ナチュラル・ローマ(ザクロ)のジュース750ml=1,29€。100%ナチュラル・レモネード750ml=0,99€。バナナ945gx1,05=0,99€。リンゴ(ガラ)800g=0,99€。パン(トリゴ・ダ・アヴォ)400g=0,59€。合計=6,64€。

 リードゥルで買った、冷えたレモネードとザクロのジュースを飲み一息入れ『ビッファナス』には寄らないで一気に帰宅。

 帰り着いたのが21:15。旅で撮った写真をパソコンに挿入、風呂場に置いていたセントポーリアを片付け、風呂に入ってテレビも観ないでぐっすりと眠る。

 帰って翌夜、7輪の『月下美人』が我が家のベランダで見事に咲く。

 月下美人を眺めながら腹を摩る。少し太った様だ。VIT

 

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 今朝方、歯を磨いている早朝、東の空に5機の戦闘機。リオ・フリオ基地から飛び発ったばかりなのだろう、機体は上向き角度。真っ赤な日の出を横切る様に南の空へ。

 コーヒータイムには、珍しく我が家の側の1本松のてっぺんに10羽ほどのコガラスがやってきて、10分ほど煩く騒ぎ立てていたかと思うと瞬く間に北の空に飛び去ってしまった。

 

 当初、我が家の周りには数十本もの松の木があった。

 先ずは北側の向かいにある、お屋敷の周りをとり囲んでいた10本ほどの松の大木が切られた。その様子をアトリエの窓から絵を描きながら1日中見ていた。お陰でパルメラの城が見通せる様になり1枚の絵になったし、国道10号線の向こう側の牧場で羊が草を食む姿も確認できる様にもなった。

 南側の水道局の空き地にも大小十数本の松の木があって、大木には子供たちのブランコが作られていたがそれも含め幼木も全て切られた。随分と見晴らしが良くなって、市バスの運行から人々の乗り降りまで見られるのと同時に風当たりも強くなってしまった。クリスマス前には近所の女将さんがノコギリを片手にクリスマスツリー用にと、形の良い幼木を切り取りに来ていたりもしたがそれも出来なくなってしまった様だ。

 南東方向には5本の松の大木が残っていて、小さな森を作っていた。その森のお陰で街の中心、ボカージュ広場からは我が家は隠れる格好になっていた。渡り鳥の絶好の中継点で季節ごとに違う鳥の姿が確認できたし、様々な囀りを楽しんできた。

 それが今年になって5本の松の内4本が切り倒され大きな丸太が転がされ、今もそのまま放置されている。

 隣のお屋敷の敷地内にある大木1本だけが残っている格好で、欲目で見てみると1本松と呼ぶに相応しい風格を備え始めている。その1本松のてっぺんに、今朝は10羽ものコガラスがひしめきあい騒いでいた。

 我が家は丘の頂上にあり、数十本も松の木があった以前から様々な野鳥が飛来するオアシスになっていて、木が切られればそれがなくなるかと思っていたが、やはり気のせいか野鳥の囀りは少なくなった。メルローなども見晴らしが良くなっただけ鳥の動きがこちらからも観察できるようにもなったが一本松には来なくなって遥か下の方を飛んでいる姿だ。

 今までも野鳥の姿をデジカメに収めようと何度か試みたが逆光でしかも小さくしか撮れないので野鳥の撮影は半ば諦めている。

 メルロー(クロウタドリ 学名:Turdus merula)とシラコバト (学名:Streptopelia decaocto)、それに渡り鳥のツバメ (学名:Hirundo rustica)だけは名前が分かっているが、小さな野鳥に関しては名前も何も判らないでいる。せめて写真が撮れれば検索をして調べることも出来るだろうにと思う。

 この時期は港の近くにいるカモメ も冬になれば我が家の側で飛び始める。何種類かのカモメが来る様だがそれも名前が判らない。

 ポルトガルに来る前の宮崎では、山の中に住んでいたものだから様々な野鳥を見ていた。

 店のガラス窓にアカショウビン が体当たりしたことが2度もあるし、池の稚鯉を狙ってカワセミ やゴイサギ が姿を見せていた。壊れた雨樋にはシジュウカラ が雛を育てていたし、ジョウビタキ やキビタキ も季節には必ず飛来していた。春にはウグイス がカジカと競い合うように歌の練習をしていたし、藪椿の木を移動しようと掘り返していると、シャベルで放り投げた土のてっぺんにルリビタキ がちょこんと飛び乗り愛嬌を見せてミミズを催促していた。冬には敷地を取り囲む小川にマガモ  の群れが飛来したりもしていた。仕事が忙しくてゆっくりは観察が出来なかったけれど、それこそ野鳥の楽園の只中に暮らしていたことになる。

 そして今も、松の木が1本だけになってしまったとはいえ、野鳥を観察しようと思えば居ながらにして観察できる位置にいることになる。

 クルマで10分も走れば古いオイルサージン工場の煙突のてっぺんでコウノトリ が子育てをしている姿があるし、その先の塩田では毎年越冬にやってくるフラミンゴ の群れを見ることも出来る。そしてその辺りでは様々な水鳥が観察できる。

 我が家の側の松の木には、ついこの2年ほどのことであるが、時々、コガラスが姿をみせる。たいていが3羽ほど。アレンテージョに行く途中でも沿道で時々コガラスを見かけていた。何故か3羽ということが多い。宮崎などに居るハシブトガラスの様な、いかにも獰猛なカラスではなく一回り小さく嘴も細いコガラスであるが、真っ黒であるし、鳴く声はやはりカラスであるから騒々しい。そして来ると決まって松の木のてっぺんに止まり一声二声カァーカァーと鳴き叫ぶ。

 それが今朝は10羽も姿をみせた。10羽に1本の松の木では少々狭すぎるのか10分ほど騒いだ後、北の方角に飛んで行ってしまった。

 コガラスが居つくことはないだろうが、居ついてメルローなどを脅かす存在にならなければ良いがと思う。コガラス、コガラスと書いているが実は正式な名称は知らない。

 昔、未だポルトガルに来たばかりの時、リスボンのサン・ジョルジョ城の一角に、動物園にある様な鳥小屋が作られていてその中に2羽のカラスが飼われていて不思議に思っていた。

 今年の帰国時に神戸の王子動物園の向かいの美術館でグループ展があり出品した。そのついでに王子動物園にも寄ってみた。パンダもいたがペンギンもいた。

 ペンギンの水槽の前で小学生の男の子が「おかあさん、ここは動物園なのになんでペンギンがいるの?」と言ってお母さんを困らせていたのが印象的であったが、僕は自身の子供時代はこんなのではなかったかなと思い可笑しかった。その男の子は『僕はペンギンが鳥であることを知っているのだぞ』と言いたかったのだろうが、もう少し大きくなれば鳥類も哺乳類と同じ動物なのだと判るのだろう。

 リスボンの市章は帆船の舳先と艫に2羽の鴉が止まり、サグレスからリスボンまでの航海でサン・ヴィセンテの遺体を守ったとされる絵柄である。

 サッカー日本代表のエンブレムは3本足の鴉。八咫烏(ヤタガラス)という日本神話にも登場するカラスで、神武東征の際に、高皇産霊尊によって神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたとされるカラス(烏)である。東西で何だか似ていないでもない。

 最近はカラスと言えば残飯を食い散らかし、人間にも襲い掛かる厄介な存在に見られているが、昔はそれ程でもなかった。

 子供の頃、友達と遊んでいて遊ぶのに飽きたりすると「カァ~ラァスゥが 鳴ぁ~くぅから 帰ぁ~えろぉ」などと言いながら家に帰ったものである。カラスは夕方のイメージがあるのかも知れない。

 ♪カラス何故なくの カラスは山に 可愛い七つの子があるからよ。

 ♪可愛い可愛いと カラスはなくの 可愛い可愛いと鳴くんだよ。

 ♪山の古巣へ行ってみてごらん 丸い目をした いい子だよ。

 と大正10年(1921年)野口雨情によって作られた童謡『七つの子』であるが、今も歌われ続けている。

 ゴッホの絵に『カラスが群れ飛ぶ麦畑』というのがある。パリ郊外オーベール・シュル・オワーズでの最晩年の絵だ。僕たちがオーベールを訪れた時にも麦畑に多くのコガラスが飛び交っていた。その麦畑でゴッホは自らの胸にピストルを押し当て発射した。オーベール・シュル・オワーズはゴッホ終焉の地として知られ、弟テオと並んでのお墓もある。

 カラスと言えばヒッチコックの『鳥』(The Birds)を思い浮かべ恐ろしい印象であまり良いイメージはないが本来は縁起の良い鳥なのかもしれない。

 映画と言えば先日『バードマン』(Birdman)という変な映画を観た。『あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』という長い副題がついている。内容は・・『ハリウッド映画で、スーパーヒーローの『バードマン』を演じた俳優がその後、鳴かず飛ばずで、いつしか60歳になってしまっていた。一念発起してブロードウエーに挑戦することにし、友人に脚本を依頼、自らプロデュース、演出、主演を務めるが陰にはいつもバードマンが寄り添う…。ブロードウエー演劇の最後の場面は自分の頭にピストルを発射して自殺で幕。となるのだが、最後には演劇用のピストルではなく本物を使う。弾は急所を逸れて鼻を捥いだだけで生き延びてしまう。整形された鼻はバードマンの様に尖ってしまっていた。病院の窓から自殺をしようと飛び降りるがバードマンだから空高く飛んでしまっている。』

 人は大昔から飛ぶことに憧れを持ってきた。レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチにもヘリコプターの様な設計図が残されている。

 ポルトガルでは毎年どこかでパラペンテ(パラグライダーと言うのだろうか、丘の上からまるで鳥の様に飛び上がり舞い降りていく)の世界大会が行われていて、アラビダ山の頂上付近にもその飛び出し台が設えられている。ベテランになればその着地点を寸分違えず降りることが出来るそうである。でもそれも鳥の様に低いところから飛び上がることは出来なくて必ず高い所から飛び降りるのだから、未だ「人は鳥の翼を手に入れた。」とはいいがたい。せいぜいムササビの飛行だろうか?

 でもドローンに人が乗られる様にでもなれば『バードマン』も夢ではなくなるのかも知れない。進化し続ける人類はその内、鳥の領域も冒してしまう時が来るのだろう。いやもう既に半分は鳥の領域を冒しているに違いない。

 臆病でおとなしくて何も言わない鳥類。そんな中にあってカラスだけは怒っている。VIT

 道端で見かけた塀の落書き、口から発せられるアラビア語(黄色)、ポルトガル語(緑)、日本語(赤)、英語(青)で『愛』の文字、そして(黒い)カラス。

 

 

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 日本ではこの夏、キュウリが6割も値上がりしているとか。ポルトガルでもいつの間にかニンジンの価格が上昇している。

 と言っても今までが安すぎたのだ。2018年8月1日、現在の価格が1キロで0,79ユーロだから数ある野菜の中で一番安い。タマネギ1キロ0,85ユーロ。ジャガイモは1キロ0,99ユーロ。尤もジャガイモなどは種類が多くもっと安価な物から様々だが。昨年まではニンジン1キロで0,50ユーロ以下というのがずっと続いていた。僕はこんなにも安くて良いのかなと思っていた程だ。

 

ポルトガルで売られている細くて小ぶりなニンジン

 瑞々しくて(絵は下手くそなので瑞々しくは見えないが)美味しくて、栄養価も高く、生で齧っても幾らでも食べられる。こんなことを書けば「お前は馬か?それとも兎か?」と言われそうだが、ヨーロッパのニンジンは細くて瑞々しくて旨い。

 スウェーデンなどでは子供のおやつとして食べられたりもする、果物の代用とも考えられているのではないだろうか?勿論、野菜ジュースには欠かせられないが、生でポリポリと齧るのも旨い。リンゴを歩きながら齧っているのはよく見るが、それと同様、ニンジンを街角で齧っている姿も良く目にする。

 お昼のお弁当にリンゴの代わりにニンジンの皮を剥きラップで包んで持って行ったりもする。僕もリンゴが切れてしまった時などにはニンジンの皮を剥きそのまま齧ったりもする。

 映画『コールドマウンテン』で、彼は戦場に行ったまま行方も知れず、牧師であった父が死に、世間知らずで何も出来ない娘のエイダ(ニコール・キッドマン)が、お隣の勧めでやってきた流れ者の女性ルビー(レネー・ゼルヴィガ―)の助けを借り、ようやく収穫できた小さなニンジンを、台所で一人、皮も剥かず葉も付けたまま、まるで子兎の様な可愛らしい歯で、安堵の表情を浮かべポリっと齧る姿は寒い冷たい『コールドマウンテン』に一条の光を与える場面である。

 日本ではタマネギとニンジンそれにジャガイモをカレーに入れる。カレーの定番で3つ共家庭の常備野菜として欠かせない。

 我が家のカレーの添え物に欠かせないキャベツピクルスにはニンジンを剣割きにして混ぜ合わせる。

 それに糠漬けである。もっともポルトガルでもヨーロッパでも糠(ぬか)は手に入らないからパンの耳などで糠床を作って糠漬けを作っているのだが、それにニンジンは欠かしたことがない。

 パンを代用にした糠床はかつてパリに住まわれていたフォトジャーナリストの奥村勝之さんが発見されたのだそうだ。バゲットとビールの残りを屑籠に放り込んで置いたところ、翌朝に糠床にそっくりな臭いを発していたのだそうで、これは糠床としていけると直感したとか。それが徐々にパリの日本人社会に広まって、今ではヨーロッパ中から南北アメリカまで浸透している。尤もフランスのバゲットではなくてもどこのパンでも構わない。飲み残したビールを使えば促成に糠床が出来るが、時間さえかければビールは使わなくても一向に構わない。

 我が家ではストックホルムでもニューヨークでもそして今、セトゥーバルでもそんな糠漬けは欠かしたことがない。

 ニンジンも品種改良が進んでいるのだろう。昔はもっと癖があったように思う。そのせいでニンジン嫌いの子供も多かったのかも知れない。ヨーロッパのニンジンは現在、日本で売られているものより更に癖が無くなっている様にも思う。そして細く小さい。

 1970年代、フォルクス・ワーゲンのマイクロバスでキャンピング旅行をしていた。基本的には自炊であった。1972年のことである、スペインからジブラルタル海峡をフェリーに乗りモロッコに渡った。モロッコでは観光客に対して何でも5倍に吹っ掛けると聞いていた。何かを買おうとする時、先ず10分の一に値切る。売る方もそれでは駄目だから少しづつ値段を下げる。やがて最初の言い値の5分の一になったあたりで折り合いをつけ買うことになる。

 その調子で何でも買っていた。ある時、普通の露店で老婆がニンジンを売っていた。泥と葉の付いた小さなニンジンの束である。いつもの癖で10分の一に値切ってしまった。普通の野菜などは観光客は買わなくて、地元の人向けの値段なのだから値切る必要はなかった訳で、老婆はポカンと口を開けたままであった。すぐに気が付いてそのままの値段でニンジンを一束買ったという苦い経験がある。ところが苦い経験はそれでは終わらなかった。そのニンジンの食べられる部分は周りのほんの少しだけで中心にはとても歯が立たない木質でガチガチの繊維があった。

 第2次世界大戦でアメリカ人が日本の捕虜になり、ゴボウを食べさせられて「日本人は捕虜に木の根っこを食べさせる虐待をした。」と言って怒ったと言う話を聞いたことがあるが、モロッコではニンジンの繊維をしゃぶらせられた。

 昔、僕が未だ 18~9 歳の頃だが針中野駅前商店街にあった『花時計』という喫茶店でバーテンダーのアルバイトをしていたことがある。お客の殆どが主婦と子供連れの買い物客だったが、そこのスパゲティは評判が良かった。ケチャップにニンジンを入れてミキサーにかけるのである。ニンジンの繊維が適当に残ってケチャップが麺に絡まりやすくなり、旨味が増す。今も我が家ではスパゲティにはニンジンを摺り下ろして入れる。

 ニンジンといえばジュール・ルナールの小説『ニンジン』(1894年)を思い浮かべる。フランス語で(Poil de carotte)。ルナールの子供時代の自伝的小説だが、主人公ニンジンはそばかす顔に髪の毛がニンジン色だからニンジンなのである。

 ニンジン色の髪の毛のイメージはルナールに始まったのかもしれないが、モンゴメリの『赤毛のアン』(1908年)やリンドグレーンの『ピッピ・ロングストロンプ』(1945年)など、そして映画の登場人物でもよく描かれているのが、他人とは違う奔放な人物のイメージに仕立て上げられることが多い。

 赤毛のアンもピッピ・ロングストロンプもニンジン色の赤毛でそばかす一杯の少女である。『ニンジン』の主人公(フランソワ・ルピック)は男の子だが他人とは変わっているがために親からも兄、姉からも意地悪をされる。でもその意地悪を意地悪とも思わず、明るく奔放に生きていく姿は読む者に勇気を与えてくれる。ルナール自身により戯曲化もされ上演され、世界中で翻訳された。

 その後、残念なことにルナールの父親は自殺、母親も自殺かどうかは定かではないが井戸に落ちて死亡している。

 そう言えばヴィンセント・ヴァン・ゴッホは子供たちから「フーリー」などと言って囃し立てられる赤毛であった。アルルで自分の耳を切り、オーベールでは烏の群れ飛ぶ麦畑で自分の胸にピストルを押し当て発射している。

 イングランド時の王様ヘンリー8世とアン・ブーリンとの間に生まれ、後に44年間の永きに亘り女王として君臨するエリザベス1世もニンジン色の髪の毛、赤毛だった。母親のアン・ブーリンは姦通罪でエリザベス1世が未だ赤ん坊の時に斬首処刑されている。

 欧米には元々、金髪の人も居れば赤毛の人も居る。北欧の人にはむしろ黒髪に憧れる人も居た。昔の日本人の美人の象徴として<髪は烏の濡れ羽色>と言う言葉がある。

 日本人でもその後は少し栗色に染めたりはしてお洒落を楽しんできたのだろう。

 帰国して驚くことに金髪や赤毛の人があちこちに居ることだ。サッカーの本田選手は以前から金髪にしていたが、今回のワールドカップで長友選手までもが金髪にしていた。

 50年も前にタイムスリップしたならば「どうしたのですか?その御髪(おぐし)。火事にでも遭われたのですか?それとも何かご病気?」などと言われたに違いない。

 さて食料としてのニンジンの話である。原種ダウクス・カロータの根は小さく白か紫で僅かに黄色いものもあり、それに品種改良を重ね、甘くカロチンの高い、そして大きくいわゆるニンジン色の品種がオランダ辺りで出来上がったのは何でも16世紀頃だったとか。

 ゴッホの時代にはニンジン色のニンジンは存在しただろうけれど、エリザベス1世の時代には未だなかったことになる。

 僕は花ニンジンを作るのを得意としている。和食に花ニンジンは欠かすことが出来ない。煮つけにも刺身のワサビの下敷きとしても茶わん蒸しにも花ニンジンは彩を添える。

 欠かすことが出来ない、と書いたがそれは言い過ぎで、そんなことはない、無くても一向に構わないものだ。それに「ニンジンのあの色が嫌いなのだ」と言う人もいる。

 ポルトガルで売られているニンジンは瑞々しくて美味しいが細すぎて花ニンジンは作りにくい。ニンジンは今も品種改良が進み、時代と共に変化し続けているのだろう。

 そしてニンジン色のニンジンは何時頃から日本に存在していたのであろうか。などと想いを巡らすが、古典落語にニンジンが出てきた記憶はない。

 ニンジンはセリ科、ニンジン(ダウクス)属、学名:Daucus carota、英名:Carrot、葡名:Cenoura。アフガニスタン原産で東に西に長い年月をかけて広がって行ったのであろう。ポルトガルにも原種は至る所に繁茂し、葉や花などに触れると爽やかな良い香りを発する。

 そして今、安くて食べられる食材として有難さを噛みしめたいと思う。VIT

 

 

 寅さんの主題歌に『♪目方で男が売れるなら、こんな苦労もかけまいに…』という歌詞があるが、一概に野菜も目方だけでは比較できないところがあるものの、最近買った野菜をキロ換算価格順に並べてみた。参考のために米、スパゲティ、パンも加へた。単位は1キログラムあたりである。

付録:最近の買い物から野菜価格/Kg単位価格順(含米)

ニンジン0,79€/kg。スパゲティ0,79€/kg。タマネギ0,85€/kg。オレンジ0,89€/kg。キャベツ(コラサオン)0,95€/kg。ジャガイモ(赤皮)0,99€/kg。カリフラワー0,99€/kg。トマト0,99€/kg。バナナ1,05€/kg。米1,12€/kg。緑パプリカ1,30€/kg。サツマイモ1,35/kg。桃(パラグアイ)1,49€/kg。蕪1,59€/kg。米ナス1,59€/kg。リンゴ(富士)1,59€/kg。白菜1,69€/kg。インゲン豆1,76€/kg。ブロッコリ1,78€/kg。大根1,96€/kg。セロリ1,98€/kg。レモン1,99€/kg。リンゴ(ガラ)1,99€/kg。パン(リオ・マヨール)2.20€/kg。フランスネギ2,48€/kg。イチゴ2,58€/kg。セレージャ(サクランボ)2,99€/kg。オランダキュウリ3,45€/kg。チェリートマト3,56€/kg。ガーリック3,70€/kg。アボカド3,99€/kg。ブラウンマッシュルーム5,60€/kg。ルッコラ9,90€/kg。

 

 

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 焼け着く太陽によってすっかり枯れ野原になってしまった平地を諦めて、標高の高い、ポルトガルの最高峰エストレラ山に行くのがこの時期の恒例になっている。最高峰と言っても高々1993メートルしかなく、クルマで頂上までも行くことができる。

 それでも今年に限ってなかなか腰が上がらなかった。

 4月25日に日本からポルトガルに戻って、いろいろな手続きを済ませ、クルマのオイルチェンジとメンテナンスも終え、もう既に18年も乗っているクルマの車検も一発で合格し、既に出発の準備は整っていたはずなのに、なかなかエストレラ山麓のホテルの予約に踏み切れなかった。

 と言うのはこの春がことのほか涼しかったからか、平地、つまり日帰りで行くことが出来る、或いはほんの15分~30分のところの野の花が未だ新鮮な姿で咲いていたからだ。

 ポルトガルに戻って1か月半を近場の野の花観察に費やすことになり、初見花も多く観察することができた。

 そしてようやく6月16日になってホテルに予約を入れた。うかうかしていると又天気が崩れる予報だ。最近はエストレラ山の7合目あたりのペーニャス・デ・サウデのルナホテルと言うところによく泊まるのだがあいにくとその週は満室で、以前によく泊まっていた標高600メートル程のコビリャンのホテル・エウフェミアに2泊だけ予約を入れた。45€x2泊=90€(朝食付き)

 ペーニャス・デ・サウデならホテルの敷地内でも野の花観察が出来るし、頂上までを何度も往復しても大した距離ではないが、コビリャンからならかなりきつい坂道の上り下りがあるが仕方がない。

 最低でも3泊程度はするつもりだが3泊目以降は様子を見てどこか違う場所に移動しても良いし、今回はスマホを確保しぼちぼち使い慣れ始めたので旅先からでもホテルの予約が出来る筈だ。

2018年6月17日(日)快晴。

 いつも通り7:00起床。朝食を済ませ、メールを開いてみると群馬県で震度5弱の地震。当地に住まれているTSさんにお見舞いのメールを送信してから出発。8:50出発。セトゥーバルの街を抜けるのに、今朝は日曜日で通勤がないので空いていると思っていたが案外とクルマは多かった。セトゥーバルの出口にあるジュンボのガソリンスタンドで満タン。14,59Lt x 1,592=22,31€。

 1時間ほど走ったヴェンダス・ノヴァスのビッファナス店で最初のコーヒー休憩。店に着くと何と3台もの観光バス。人で溢れ返っていた。いつもならここでコーヒーとバカラウコロッケを食べるところだが、レジの前が満員。テーブル席も満席。仕方なくトイレだけ使わせてもらって出発。

 コーヒー休憩はアライオロスの5キロ手前、キノコ観察にも良く通ったパルケのドライブイン。コーヒーx2=1,20€。ナッツをまぶしたお菓子(ボーロス・デ・フォルノ)1,30€。合計=2,50€。

 エストレモスからポルトアレグレ、更にアルパリャオンも過ぎ、途中も野の花を観察しながら、スケッチをしながらニーサまで頑張って走る。

 あいにくニーサのいつものレストランは休み。日曜日は定休日なのだろう。その隣のレストランで昼食。ニーサでお昼になることが多いのか、このレストランも以前に一度入ったことがある店。フランゴ、バカラウ、パン、オリーブ、ノンアルコールビールx2、デスカフェイナードx2。合計=16,80€。隣の人は骨付き羊のオーブン焼きを注文していたが、あれでも良かった。

 ニーサにはエストレラ山の行き帰りでなくても何度もスケッチに訪れている町。石の産地で、以前に彫刻家の中岡慎太郎さんから聞いた話だが、その当時のニーサ市長が女性でそのご主人が日本人の元石工、当時は彫刻家だと言うこと。お会いしたことはないが、今もニーサにお住まいなのだろうか…。などと思いながら食事。それにしても暑い。いつもの天気予報でもこの辺りがポルトガルで一番暑い。そして山火事も多いところだ。

 ニーサからテージョ川を渡りパルプ工場のあるヴィラ・ヴェーリャ・デ・ロダオン。そのテージョ川にあぶくが一杯の垂れ流し公害のニュースが先日あったばかりだが、運転をしながら川を覗いてみると既に綺麗な水に代わっていた。

 そのヴィラ・ヴェーリャ・デ・ロダオンを通り抜け、スクットに入り込まない様に注意を払いながら、カステロ・ブランコのジュンボのガソリンスタンドで再び満タンにするつもりでIP2をカステロ・ブランコ・イーストで降りる。

 IP2は高速道ではなく一般道でこの辺りは高速道とも平行に走っているが一般道と言へども時速100キロ以上も出すことが出来る。いつもはノードで降りるのだがカステロ・ブランコの街を通り抜け、いいところがあればスケッチをするつもり。でもイーストでは大回り過ぎる。しかし思いがけずカステロ・ブランコの鉄道駅も写真に撮ることができた。お陰でガソリンがぐっと減ってしまった。

 カステロ・ブランコの工場地帯にあるジュンボのGSでガソリン満タン。16,03Lt x 1,484=23,79€。セトゥーバルからカステロ・ブランコまでで16リッターを消費したことになる。

 カステロ・ブランコのショッピングモール・アレグロでトイレ休憩。アイスクリームを食べる。ピスタチオ1b=1,50€。チーズレモン1b=1,50€。合計=3€。

 昼をたっぷり食べたので夕食は入らないし、レストランが開く19:00まで待つのは疲れるので最近、夕食はスーパーでワインとツマミ程度を買ってホテルの部屋で済ますことにしている。

 フンダオンのリードゥルでその夕食用の買い物。ポテトとツナのサラダ250g=1,29€。パイオ・ヨーク・ハム200g=1,29€。チェリートマト500g=1,29€。箱入り白ワイン1Lt=0,95€。ル・トック・クラッカー100g=0,99€。ミックスナッツ200g=2,59€。アーモンドチョコレート250g=1,49€。パン(ビジョウ・インテグラル)0,07x4個=0,28€。合計=10,17€。

 フンダオンのセレージャ市でセレージャ(サクランボ)。1箱5ユーロからあったが折角だから大きくて立派な一番上等を買う。(1箱2kg)=8€。

 コビリャンのホテルの前を素通りしてコビリャン駅へ。駅を撮影してからホテルへ。フロントの小父さんは僕たちの顔を覚えていた。過去の記録にもあるのだろう。宿泊料金は既にネットで引かれている。部屋は表側の6階。部屋でゆっくり。ニュースでサッカーワールドカップロシア大会日本の初戦。コロンビアに1対0で勝ちとの報にびっくり。昼の外食がたっぷりだったので夜のツマミ程度さえあまり入らない。暑くてエアコンを入れる。山だからと分厚いパジャマを持ってきて失敗した。

2018年6月18日(月)晴れながら風が強い。

 朝はいつも通り7:00起床。すぐに部屋のテレビを点けびっくり。大阪の高槻を震源とする、震度6の地震。高槻に住む妹にスマホからメール。高槻は停電とのことだから届かないかも知れない。大阪の実家近くで喫茶店『英登』を営む幼馴染のモミジさんからメール。揺れは怖かったけれどモミジさんのところも僕の実家も大丈夫とのメール。それに対して返信メール。

 ホテルは静かだったので泊り客が他に居るのかな?などと思いながら7:50朝食サロンに行くと泊り客で一杯。朝食係は以前とは代わっていたが感じの良い、人の良さそうな小父さん。たっぷりと食べ、たっぷりと飲む。

 ホテルを9:00に出発。ペーニャス・デ・サウデに着くまでにも数か所で観察。いろいろと咲いている。最初はイヌノフグリの1種だと思って小さい花を撮影していたが、MUZが「これはスミレじゃないの」と言う。よく見てみるとなる程スミレだ。ひ弱な極小だが確かにスミレだ。勿論、初見花である。しかし風が強くてなかなかピントが来ない。いつも立ち止まり観察する場所には必ず止まったが、それ以外の場所でも貪欲に観察を試みた。

 ホテルでの朝食はたっぷりと食べ、なかなかお腹は空かなかったが、昼も夜もスーパーで買った物では楽しみもないので、昼食にはエストレラ山を反対側にかなり下ったところにある町、ロリガまで行くことにした。ロリガにも以前には泊ったことがあるし、そのホテルのレストランはなかなか良い。ロリガには天然のプールがあって、観光客にも人気の場所だが、暑い時にはプール客が居るので野の花観察などは出来ないが、プールシーズンでない時には水が豊富なので植物相も少し異なり魅力のある観察場所である。しかしきょうは暑くプール客がいる筈なので野の花観察という訳にはゆかない。でもロリガに下る途中にも野の花観察場所は多くある。

 ロリガのレストランで昼食。子牛のステーキ10,50€。ペスカダ10,50€。ノンアルコールビール1,50 x 2=3€。ミネラルウォーター1,5Lt=2€。オリーブ/パン=1,10€。プリン2,45 x 2=4,90€。デスカフェイナード70 x 2=1,40€。合計=33,40€。チップ2€。ステーキが3枚も付いて半分も食べ切れなかったのでポンフリと共に包んでもらって持ち帰る。アルゼンチンからの女性客2人が天然のプールに行ってきたと言って、レストランの隣の席に着いたが、天然のプールは人で賑わっているのだろう。

 エストレラ山の頂上付近には未だたくさんの雪が残っていた。暑かったので触ると気持ちが良かったが、この暑さではすぐに溶けてしまうのだろう。

 エストレラ山の頂上トーレには古い天文台と土産物屋、流行らないレストラン。それにポルトガル唯一のスキー場があり、それ用のリフトがあるが、勿論今は動いてはいない。

 喉が渇いたので頂上トーレのレストランでノンアルコールビール2,20x2=4,40€。

 夕食はホテルの部屋で映画を観ながらツマミ程度でワインを一杯。3泊目はどこか違うところのホテルと思っていたが、明日の予定を考えるとここまで戻って来る方が帰りは楽になるかな?と思いもう一泊、今泊っているホテルをスマホから予約。暑くてエアコンを点ける。

2018年6月19日(火)晴れ。

 7:00起床。8:00から朝食。宿泊客は昨日とは全く違う顔ぶれ。今朝もたっぷりと食べ、たっぷりとコーヒーを飲む。9:00出発。マンテイガス方面へ。

 ペーニャス・デ・サウデを過ぎたロータリーから右折、この道は狭く片側は断崖、だが交通量は少なく、ゆっくりと走れる。最初のキャンプ場で野の花観察。この辺りからの眺めの頂上付近にも未だ雪が残っている。平日だし朝が早いので観光客の姿は殆どなし。いろいろと咲いている。

 マンテイガスまでの道沿いは水が豊富で植相も少し他とは違って楽しみな道だが、今年は更に水が豊富で、あちらこちらに滝が落ちている。クルマを停めて野の花の観察をしていると地元の小父さんが隣にクルマを停めてペットボトルに山からの湧水を汲んでいた。我々も空きペットボトルを満タンにする。

 マンテイガスの少し手前から山に入る道があり、その先には『地獄の入口』という名前の滝がある名所がある。以前にペーニャス・デ・サウデのポウサーダ・デ・ジュベンチュードに泊まった時にフロントの人が「是非行ってみなさい。」と教えてくれたところで、その途中の道も野の花観察には魅力的なところでエストレラ山に来たならば必ず訪れる。

 その入り口手前で地上蘭 ダクティロリザ・マクラタ Dactylorhiza maclata が見えたので停車。やはり開花時期が例年とは違い、昨年に観察した場所では未だ花茎は上がっていなかったのにここでは今が丁度見ごろ。昨日観察の リナリア・エレガンス Linaria elegans もいつもの場所には殆どなく、それより100メートルほど標高の低いところで群生していた。

 停車した反対車線のPに沿道の草刈りの人のクルマが停まって休憩をしていた。そして我々の様子を興味深そうに眺めていた。昨年の悲惨な山火事を恐れて沿道などの草刈りを丹念にして少しでも山火事の被害をなくそうと言うものだ。それは良いことだと思うが、我々の目的の野の花も刈られてしまう。刈られてしまうより前に野の花観察をしなければ。

 途中の道は更に狭く、片側は断崖で対向車が来たならばどちらかが譲らなければならないが、きょうはクルマが本当に少ない。途中、一か所テーブルとベンチがある場所があって、そこで昼食。レストランはマンテイガスの町まで行かなければならないので、きょうはレストランには入らない。傍の地面にクロノボリリュウタケが生えていた。その間に草刈りの人のクルマが先に行ってしまった。

 初見花は殆どが今まで見過ごしていただけの地味な花で、これと言うほどの花はない。滝の水量も例年より遥かに多い。沿道はあちこち刈られているがその先は大丈夫で野の花は残っている。以前には原種の白いバラが咲いていたその反対側にピンク色のバラが咲いていた。接写をしたいところだが谷底に落ちそうで危険だ。枯れ枝を拾って、バラの枝を引き寄せMUZに持って貰って接写する。『地獄の入口』の滝からの帰りも殆ど対向車には出会わなかった。マンテイガスにはいかないで、同じ道を帰る。

 昼も夜もツマミ程度という訳にはいかないので、コビリャンのショッピングモールで食べることにする。ここなら食事時間(19:00から)ではなくてもいつでも食べられる。

 18:00夕食。サルシーシャス(ソーセージ)サラダ(レタス、玉ねぎ、ニンジン、キュウリ、トマト)ポテトフライ、アロス=5,20x2=10,40€。ノンアルコールビール1,75x2=3,50€。合計=13,90€。いつでも食べられるし、とにかく安くてお腹は一杯。喉が渇いていたのでノンアルコールビールが殊の外旨かった。ホテルに戻ると駐車場はほぼ満車。狭いところに停めようとすると、前に入った人が「トラックの後ろが空いているよ」と教えてくれる。そこに移動しようとするとトラックの人達がやってきて出て行く様子。空いているよ。と教えてくれた人のクルマと並べてトラックが出た後に停める。ホテルの部屋に戻って熟睡。

2018年6月20日(水)晴れ時々曇りのち一時雷を伴う大粒の雨。

 7:00起床。8:00より朝食。9:00出発。追加の1泊分はネットでは引かれていなくてカードで支払う。1泊分=46,80€。昨夜一緒に並べて停めたクルマの家族は未だ出発はしていない。

 帰るだけなら勿体ないのでフンダオンを過ぎた山道からペナマコール方面へ寄り道をすることにする。ペナマコールも行ったことがある町だが、この道は恐らく初めての道だ。横道にそれたすぐのところに リナリア・トリオルニトフォラ Linaria triornithophora の群生がある。

 途中、思わぬところに『駅はこちら』の標識。こんなところにも鉄道が走っていたのだ。無人駅だが今も使われている。敷地内にもいろいろと花が咲いている。駅の敷地も野の花観察の場所として見逃せない。そしてセレージャの大木が2本。赤く色付いたサクランボが一杯に実を付けている。ちぎって口に含んでみると甘い。そんなことをしていると踏切の警報が鳴り始めた。列車が来るのだろうか。ホームで待っていると黄色い保線車両がやって来た。線路に散水をしながらあっという間に行ってしまったが、手を振ると、運転手たちも手を振って応えてくれた。今回の旅でも思いがけず5つの駅を撮影することができた。

 ペナマコールについて少しスケッチ。入ってくるときに見かけたピザ店に行ってみる。ピザとテントには書かれていたが普通のポルトガル料理もあるかも知れないと思ったからだ。入り口には黒板があってポルトガル料理が書かれてあった。同時に外国人観光客らしき3人の女性が入って行った。1階はバルで食堂は2階になっている。幾つかのテーブルが片付けられないままになっていたが席はある。先に入った3人の外国人旅行者がメニューを手渡されて立ったまま見ていたが、諦めた様子でそのメニューを僕たちに渡して出て行ってしまった。ピザが食べたかったのかも知れない。ピザはなくポルトガル料理だけであった。ピザと書かれたテントは多分古いものなのだろう。こちらとしてはポルトガル料理のみの方が良かった。すぐにテーブルが片付けられ座ることが出来た。

 テレビではサッカーワールドカップロシア大会をやっている。それもポルトガルとモロッコの試合中であった。7~8人の労働者風の男たちが食事中であったが、意外なことにあまりテレビには注目していない。テレビはビデオではなく中継である。クリスティアーノが1点入れた様だ。テレビの画面を一番前に居たウエイトレスのお母さんがウエイトレスの赤ん坊をあやしながらなんとなく眺めているといったところ。

 セトゥーバルなどは応援のポルトガル国旗だらけで、ポルトガル人は今回のサッカーワールドカップロシア大会には国民を挙げて夢中になっていると思っていたものだから意外である。そう言えば以前に、画廊のペドロが「僕はサッカーも闘牛もあまり興味がないのだよ」と言ったことを思い出した。そんな人もポルトガル人の中には居るのだ。

 エントレコスト(スペアリブ)=7,50€、ドーラーダ(クロダイ)=6€。ミネラルウォーター1,5Lt=1€。イチゴとチョコレートのムースx2。デスカフェイナードx2。合計=14,50€。安いのにびっくり。

 レストランの中も暑かったが外に出ると尚更蒸し暑い。

 カステロ・ブランコに向けて走り出したが何だか雲行きがおかしい。これでは野の花観察どころではない。その内大粒の雨。以前にも長いドライブ旅行の帰り道。大雨に遭って、クルマの屋根の上に大きなコウノトリの糞がべっとりと付いていたのが大雨で綺麗に洗い流されたことがあったが、今回はコウノトリの糞こそないが、虫の汚れが沢山ついていたのでそれが洗い流された様だ。

 カステロ・ブランコに着くころには雨は上がっていた。がここにも降った形跡はある。

 カステロ・ブランコのジュンボのGSで満タン。27,06Ltx1,484=40,16€。カステロ・ブランコのGSでガソリンを入れたのが16:38もう帰るしかない。

 途中、エストレモスのコンチネンテで明朝の朝食用買い物。バナナ915g=0,96€。リンゴ1,512kg=2,40€。パン(セーラ・ファティーダ)550g=1,08€。ついでにHallsのど飴32g=0,79€。喉が渇いたので生ジュース(リンゴ、ニンジン、生姜)1Lt=1,29€。合計=6,52€。前回割引分5€。支払合計=1,34€。たったの1,34€の支払いをヴィザカードで。苦笑いするしかない。

 エストレモスのコンチネンテを出たのが20:30。

 家に帰りついたのは22:00を回っていた。

 帰って暫くすると追いかけて来た様に雷と大粒の雨。撮って来た写真を挿入したものの稲光がしたのでパソコンをすぐに閉じなければならず見ることは出来ない。風呂に入りぐっすりと眠る。

 続き2018年6月21日の日記は 1481.タヴィラの町角 へ。

 

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