マノン レスコー
| 第1幕 | アミアンの宿屋の前 |
フランスのアミアンにある宿屋の前では、学生や女たちが賑やかに集っている。学生エドモンドが、デ・グリューに仲間に加わるようすすめるが、きまじめな学生であるデ・グリューは応じない。そこに馬車が着き、マノン・レスコーと彼女の兄レスコー、そして国王の財務官ジェロントが、降りて来る。彼女を一目見た途端、デ・グリューはこれこそ理想の女性だと思い、激しい恋に落ちた。マノン・レスコーに近づいたデ・グリューは、彼女が明日父の意志で修道院に入る予定であることを知る。二人は後で逢う約東をする。しかし、好色なジェロントも、マノン・レスコーにねらいをつけている。これを知ったマノンの兄レスコーは喜ぶ。ジェントロは国王の財務官という高位にあったからだ。ジェロントは今夜のうちにも、マノンを用意した馬車でパリへ連れ去ることを目論んでいた。さて、落ち合ったデ・グリューとマノンは愛を告げ合い、友人エドモンドの手引きでジェロントが用意した馬車で、ちゃっかりデ・グリューとマノン・レスコーはパリに逃げてしまう。事態に気付いて地団駄踏むジェロント! だが、マノンの兄レスコーはジェロントに、“マノンはパリに行った。マノンはぜいたく好きで貧乏が嫌いだから、あの学生の手から離れるだろう。すぐあなたの手に入る”と、言うのであった。
| 第2幕 | パリにあるジェロント家のマノンの部屋 |
マノンとデ・グリューは一緒に生活を始めたが、ジェロントに見つかり二人の仲は裂かれてしまう。今やマノンはジェロントの愛人となっていた。マノンは豪勢な生活をしている。マノンの兄レスコーも、その恩恵を受けて金廻りがよい。今のマノンと自分の境遇に満足している。しかし、マノンはデ・グリューが忘れられない。兄レスコーはデ・グリューも同じ気持ちであると、うっかりマノンに告げてしまう。兄はマノンのためにジェロントの目を盗んで、デ・グリューを連れて来た。マノンは彼に許しを乞う。マノンの不実に怒ってはいるものの、抵抗出来ないデ・グリューであった。二人は愛を再確認する。この様子を目の当たりにしたジェロントは、二人を咎めた。だが逆にマノンに侮辱されて、ジェロントは怒りに震えながら出て行く。デ・グリューはマノンと一緒に逃げようとするが、彼女は宝石や贅沢品に執着を示す。デ・グリューはやりきれない。突然、兄レスコーが来て、二人は訴えられた、と告げる。ジェロントと警官がやって来た。そしてマノンを逮捕してしまう。デ・グリューは嘆く。
| 第3幕 | ル・アーヴル港 |
マノン・レスコーはアメリカに追放されることになる。他の罪人たち(売春婦)と一緒に獄舎で、船に乗り込むのを待っている。デ・グリューと兄レスコーは、港で待機していた。助け出そうとしてあらゆる手段を試みるが、すべて徒労に終わる。獄舎の窓のマノンと、外にいるデ・グリューは声を掛け合う。乗船の時、物見高い人々が、売春婦たちの落ちぶれた姿を侮るように見物している。デ・グリューは、点呼に答える売春婦の中にマノンを見つけた。彼は船長に駆け寄り、見習い水夫として、マノンと共にアメリカに行かせてくれるよう頼む。船長は許可を出した。
| 第4幕 | ニューオーリンズに近い荒野 |
植民地時代の新大陸アメリカに到着したマノン・レスコーとデ・グリューはしばらくの間、平穏に暮らしていた。しかし、マノンに想いを寄せた男とのことで問題を起こしてしまう。二人はフランス管理下の植民区域から逃亡し、荒野をさまよっていた。疲労困ぱいしたマノンは、もう歩くこともできない。デ・グリューは水を探しに行く。マノンは一人自らの死期を悟る。デ・グリューが水を探せなくて戻った時、マノンは永久の別れを彼に告げ、彼の腕の中で息絶える。デ・グリューは苛酷な運命を呪い、マノン・レスコーを抱きしめて号泣する。
http://pietro.music.coocan.jp/storia/puccini_manonlescaut.html
マリア・ストゥアルダ
<物語>
英国女王エリザベッタⅠ(エリザベスⅠ)(1533-1603)(在位1558-1603)とスコットランド女王マリア・ストゥアルダ(メアリー・スチューアート)(1542-87)(在位1542-67)の愛の確執(レスターに対する三角関係=史実としてはレスターはセシル(1502-98)がモデルか)が展開される。
| 第1幕 |
廷臣が居並ぶ中、女王エリザベッタは思いを告げる。彼女はフランス国王からの求婚を受け、迷っていた。レスター伯爵を愛していたからである。女王のまわりには幽閉されているスコットランド女王マリア・ストゥアルダ対して、慈悲を願う者(タルボ)や反対する者(チェチル)がいた。さて、マリア・ストゥアルダとレスターは愛し合っていた。それを思うと女王は嫉妬を感じた。そこへ当のレスター伯がやって来る。女王が当てつけにフランス国王との結婚を受けると彼に告げても、彼の様子は動じる気配がない。また彼の無関心に嫉妬を感じた。タルボはレスターに、マリア・ストゥアルダの手紙と肖像を秘かに渡す。レスターは変わらぬマリアの美しさに感嘆し、彼女を救い出そうと決心する。レスターは出くわしたエリザベッタ女王に、マリアの手紙を差し出した。彼女に会って欲しいと願う。エリザベッタ女王は約束をしつつ、ますます狂おしい嫉妬に駆られた。
| 第2幕 |
マリア・ストゥアルダの幽閉されている城。彼女は久々に庭に出て喜んでいる。そこへレスター伯が登場し、二人は再会を喜び合う。そこへエリザベッタが現れる。マリアは最大限の忍耐と我慢をして、へりくだってエリザベッタに慈悲を求める。それに対するエリザベッタの高慢な態度について、マリアは怒りを爆発し、エリザベッタを激しく罵倒してしまう。ついにマリアは捕らえられてしまった。
| 第3幕 |
エリザベッタはマリアの処刑を決断できなかった。しかし愛するレスターに対する嫉妬心が思い切らせた。レスターが恩赦を願いに来るが、彼に処刑に立ち会うことを命じてしまうのであった。一方、マリアはチェチルから自分の判決を聞かされた。タルボに語りかけ、十字架に祈り、死を迎える決心を固める。
処刑を前にしてマリアが、逆に悲しみにくれる従者たちを慰めた。死刑執行を告げる大砲が鳴り響く。レスターに別れを告げ、マリアはエリザベッタを赦し、そして決然と処刑場に向かうのであった。
エリザベス女王Ⅰ
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☆エリザベス女王Ⅰ(1533-1603、在位1558-1603)
エリザベスの母、ヘンリーⅧ第2妃アン・ブリン刑死後、エリザベスは一時王位継承権を失った。異母姉の英国メアリー女王Ⅰ(ヘンリーⅧ第1妃キャサリン・オブ・アラゴンの娘)在位中は、多難な少女時代を送る。エリザベス女王Ⅰとして即位後は、セシル親子つまり父(1502-98)と子(c.1563-1612)(共に国務秘書官だった)の補佐を得て内外の難局に着実に処した。メアリー女王Ⅰ時代、英国の国教はカトリックに戻ったが、エリザベス女王Ⅰによって英国国教会統一を確立された。エリザベスは即位(1559年)翌年に「国王至上法」によりヘンリーⅧを継承し、「礼拝様式統一法」によりカトリック的な方向での祈祷書の編纂と儀礼の継続を確保した。1563年「三十九箇条」の英国国教会の教義を明確化し、当教会の信仰告白としたのである。またエリザベス女王Ⅰは、文化的にはエリザベス朝文化を展開させた功績もある。歴史に残る芸術を花開かせた人物であった。
☆メアリー・スチュアート(1542-87、在位1542-67)
スコットランド王、父ジェームズⅤ世の死により、メアリー・スチュアートは生後6日にして即位した。英国とスコットランド併合の野望に対抗しフランスと親密な関係を保つため、1548年フランス王太子フランソアⅡと婚約した。フランスで養育され、1558年に結婚した。1561年夫の死後帰国、以後親政、カトリックを支持し、エリザベス女王Ⅰと対立した。1565年カトリックのダンリー卿と再婚したが、この夫と不仲になり別居状態で夫は殺される。彼は梅毒で療養していたともいわれている。
1567年夫殺しの容疑者ボズウェル伯と夫の死後3ヶ月後に再々婚した。メアリー自身も夫殺害首謀者として疑われて国内諸侯の反抗に遭い、その結婚の年(1567年)に王位をダンリーとの子ジェームズⅥ(在位1567-1625、英国王としてはジェームズⅠ在位1603-25)に譲り1)、彼女は単身英国に逃亡した。エリザベスⅠに保護を求めたが、彼女の滞在はカトリック勢力側によるエリザベスⅠ廃位の陰謀を引き起こしてしまう。1586年にバビングトン陰謀事件が起こり、バビングトンとの文通から陰謀参加を疑われ、メアリーは19年間の幽閉生活後、1587年断首刑に処せられた。
エリザベスⅠとメアリーは血縁関係で結ばれていた。それはエリザベスの父ヘンリーⅧの姉マーガレットが、メアリーの祖母であったからである。祖父はスコットランド王ジョームズⅣであった。
[注]
1) ジェームズの即位によって同君連合の形をとった。紆余曲折の結果、1707年に両国は統一して大ブリテン王国を形成した。




































